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喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

佐田岬の風景 ~伊方湾~

2016-02-22 | 佐田岬の風景
 3日前の2月19日、こちら伊方町湊浦は朝からいい天気だった。
カメラを取り出し、シャッターをきる。

 室鼻の灯台。


 仁田之浜から中浦、川永田を望む。
山の尾根には、何基もの風車が回っている。
 風は見えないが、風車を通して風が見えるようだ。


 岬に吹く風が、しだいに暖かくなってきた。
春の足音が大きく聞こえてくる。

                   岬人(はなんちゅう)

 

セピア色の夕日と魚釣り ~松集落の思い出~

2015-01-18 | 佐田岬の風景
 私がかつてたいへんお世話になった上司がいる。
定年を迎えられ、年に1度の年賀状のやりとりだけになっていた。

 そんな昨年末、フェイスブックを始められたようで、友だちリクエストが届いた。
それからというものの、お互いの様子がよく分かるようになり、コメントまでいただいている。

 尊敬する上司からのコメントは、とてもうれしいもので、心に響く。
10日ほど前からシリーズで書いてきた「松集落のブログ」。

 これに対して、次のようなうれしいコメントがあった。



『半世紀前、父親が勤務したので、母と弟が松へ一緒に行きました。
夏休みに妹と行ってスズキ等の大物を沢山釣った覚えが鮮明に残っています!

 写真のような夕日と夜釣りでの鶴見岳のロープウェイの明かりを見たことも記憶されています。
最も印象的だったのは、冬場の北西の風と防波堤をはるかに越える大波でした…!!



 弟の後輩がサスケ兄弟で、亡父の仏壇に手を合わせに来てくれたことも、松との縁の深さを感じます!
長くなりましたが、この素晴らしい写真を仏壇の遺影に見せます!

 どうも有難うございました!!!』



 上司からのコメントを読んでいると、松集落の防波堤での景色が、
セピア色となって思い浮かぶ。

 松集落とこのようなご縁があったとは、初めて知った。

 まぶたを閉じれば、まぶたの裏側に浮かんでくるさまざまな景色。

いつまでも、いつまでも、大切なふるさと。

              岬人(はなんちゅう)

未来に残したい故郷、岬の風景 ~ 松 ~

2012-10-15 | 佐田岬の風景
 未来に残したい故郷、岬の風景 ~ 松 ~


 
 佐田岬に柑橘をもたらした宇都宮誠集が生まれた故郷、松地区。

未来を先取りする進取の精神がやどっている。

 昨日14日(土)、カメラを片手に松地区をまわってみた。

石垣、路地、漆喰の屋根、まちなみ、みかん、漁船、釣り人など

おもしろいものがいっぱい。 

 夕方、西方の九州へ沈んでいく夕日が感動的だった。

 どれも、未来に残したい故郷、岬の風景。

佐田岬みつけ隊 「どこよりも碧い・青い佐田岬半島で…」

2012-02-08 | 佐田岬の風景
 伊方町町見郷土館のサポーターに「佐田岬みつけ隊」がある。
私も名前だけは連ねているものの、活動に参加していないのが心苦しい。
 
 それでも毎月学芸員の高嶋さんから、みつけ隊通信が送られてくる。
今月号には新メンバーの紹介がされていた。
その方の文章があまりにも心に残った。

『アコウと大楠に逢いたくて八幡浜駅から特急バスに乗りました。
細長く海に突き出た半島は、地図で感じたギザギザとした厳しさもなく、
優しさにあたたかく縁取られていました。

 そしていつしか眼下に広がる2つの海は、
頭上の天空とつながり、
まるで大自然が私を青いトンネルの中に誘ってくれたような、
ピュアな至福感につつみこまれました。

 私が隊員に参加させていただきましたのは、昨年、
講演の機会をいただき、町見郷土館をお訪ねしたのがご縁の始まりになります。
 
 館内では、裂織りのベストや背負子体験をしましたが、
帰り道、坂道を背負子を背に、しっかりとした足取りで元気に上がって来るおばあさんに出逢いました。
 そのあまりにも元気な足取りやお姿から、
現在の生活の中に綿々と息づく、先人たちが誇りと共に、
今に伝えようとしている郷里への愛のようなものの熱さに感動させていただきました。』


 

 よその方が感じられた佐田岬半島。
その感性がとても新鮮で心に響く。

 碧い、青い佐田岬。

               岬人