けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

公平公正な松江市教育委員会のメッセージに気が付かない大新聞社の誤解

2013-08-22 22:13:52 | 政治
今日のブログは下記の石井孝明さんのブログの受け売りである。過去に私のブログでも取り上げたことがある方だが、非常に理路整然とした議論には頭が下がる。今回は彼のブログを思いっきりパクリながら、フォーカスすべきポイントを整理し直しただけなので恐縮なのだが、多くのマスコミが指摘しない非常に重要なポイントなのでこのブログの読者には再確認していただきたいと思い、敢えて書かせていただく。

アゴラ言論プラットフォーム2013年8月21日 石井孝明「『はだしのゲン』騒動のばからしさ

今日は、文科相までもがこの問題に参戦してきたが、相変わらず朝日新聞、毎日新聞、東京新聞などのお約束の反日的メディアを中心に「『はだしのゲン』の閲覧を認めるべき!」との批判を続けている。私も子供の頃に少年ジャンプを読んでいたことがあるので、「はだしのゲン」の刺激的なシーンを微かながら記憶している。生きている人の体に沸くウジ虫の話など、少々、小学生には刺激が強すぎるという感覚はあったが、閲覧制限を加える必然性までは感じるものではなかった。だから、私のこの様な微かな記憶と同レベルのお気楽な路線で、日本を代表する新聞社の記者も軽はずみな気持ちで「けしからん!」と書いてしまったのには理解できなくもない。しかし、この松江市の教育委員会の決定を報じた下記の中国新聞の記事にそのポイントは隠されている。

中国新聞2013年8月17日「『はだしのゲン』を閲覧制限

この記事は、これを書いた記者がその意味を理解して書いたかどうかは分からないが、非常に重要なポイントを明記している。それは、「松江市教委が『子どもの発達上、悪影響を及ぼす』と判断したのは、汐文社(東京)発行の『はだしのゲン愛蔵版』1~10巻のうち、後半の6~10巻。」という部分である。全体の一部だけを制限するのは見るからに不自然なので、普通であれば背景に何かあると感じるはずである。そこで、Wikipediaで「はだしのゲン」を調べてみた。

長々と書かれているが、この中の「作品史」の部分にその秘密が書かれている。つまり、要約すると以下のようになる。「はだしのゲン」は1973年から少年ジャンプで連載が始まったが、翌年の1974年に連載が終了となる。これは、少年ジャンプが読者の支持をうける作品に重きをおくことによるもので、作者の中沢啓治氏の意図による連載終了ではなかった。その後、北朝鮮をユートピアとして賞賛した大江健三郎氏などの絶賛などを経て、『市民』誌なる雑誌にて続編が連載されることになる。この雑誌でも連載が打ち切りになると、日本共産党系雑誌「文化評論」にて連載を継続し、こちらでも連載が打ち切られると日教組の機関紙「教育評論」にて連載されることになり、最終的に1985年に「第一部完」をもって連載終了となる(第二部は実際には連載には至らなかった)。汐文社では愛蔵版を10巻まで発行しているが、少年ジャンプで掲載された部分はこのうちの第1巻から第4巻まで。つまり、少年ジャンプのような一般大衆をターゲットとした雑誌に掲載された前半部分に対し、後半部分は出版社を転々とさせながら、より政治的な主張が強い団体の支持を受けながら連載を継続した事実がある。それは、作者の意図するものなのか、連載と引き換えに政治的な主張を高めたのかは分からないが、少なくとも松江市の教育委員会が貸し出し制限を加えた第6巻以降は、既に少年ジャンプの時代に読んだ作品とは趣を異にした作品と見るべきものであるのだろう。

調べてみると、荻上チキ氏のツイッターでは、この貸し出し制限を最初に市に要請した「一般市民」は、かなりノイジー・マイノリティの類の人らしい。松江市議会ではこれを審議し、この要請を否決したようだがその後に教育委員会が独自に評価を行い直し、その結果が第6巻以降に限定した貸し出し制限だという。繰り返すが、(私や多分朝日新聞の記者など、多くの松江市教育委員会の決定を非難する人達の記憶にあるであろう)少年ジャンプで連載された全ての巻(第1~4巻)とプラス1巻については、上述の中国新聞に寄れば閲覧制限はかかっていないという。この様に考えると、松江市の教育委員会は非常に適切かつ冷静な判断をしたと言わざるを得ない。所謂、商用ベースでビジネスになると判断してくれる出版社にて連載を受け入れてもらえず、(結果的には)根拠の乏しい非人道的な残虐行為の掲載や天皇陛下に対する罵詈雑言を浴びせることで連載を勝ち取ったその表現行為に対し、教育の場での公平性を求めることは極めて妥当だと言える。

先日のブログ「民主主義の限界」の中でも、中国、韓国と日本との決定的な差は「教育にある」と指摘させていただいたが、その教育とは過度の右傾化によるナショナリズムの否定の教育であるが、これは勿論、右への偏りが悪いだけでなく同様に左への偏りも同様に教育の場では否定されるべきである。この視点で見れば、私も全てを読んではいないがピックアップされた数ページを読む限りでは、「はだしのゲン第6巻~第10巻」は極端な左傾化を誘導する教育を目指したものであると言わざるを得ない。

感情論であったり、ないしは当初の私のようなお気楽な路線で批判するのであれば、それは一考の価値もないボヤキ以外の何ものでもない。大新聞の記者さんたちは、その点に気が付いているのであろうか?

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