先日も話をしたように、ベルギー・スペインの友達、10人強がロンドンに遊びに来ていたので、週末はロンドン市内観光で丸々2日が潰れてしまった。
さて、ベルギー人たちのたっての希望もありScience Museumに行くことになった。
渋谷にある自然科学博物館みたいなものをイメージしてもらえれば分かりやすいかと。
まぁ、色々なものがあって面白かったのだが、中でも特別展示として開催されていた「Japan Cars」が面白かった。
「燃料は水素、排出物は水」という車の展示があったり、軽車が紹介されていたり(ヨーロッパには、いわゆる「軽」が存在しない)、特にヨーロッパ人にとっては興味深いであろう展示だった。
そういえば、どうでも良いのだけれども展示内で「アハ体験」の茂木健一郎が、日本における車の意義みたいなものを英語で説明していた。
茂木健一郎の英語が達者だったのがアハ体験だったのだけれども、何で彼が車に対する説明をしているのかは全くもって不明。
何か色々と言っていたけれど、面倒くさいからスーッと通り過ぎてしまった。
さて、その展示自体はパーッと見て回って終わりだったのでこれ以上話をすることはない。
話をしたいのは、展示場の入り口にあったこの盆栽の数々。
日本という狭い領土の中で、ユニークな機能やデザインを形成していった日本車。
日本という狭い領土の中で、ユニークなアートとして確立された盆栽。
そういったコンセプトなのかどうかは知らないけれども、いずれにしても、大きな盆栽の隣に小さな車のフィギュアが飾られていた。
中には樹齢120年を超えるような盆栽も展示されていた。
おいおい、こんなオープンスペースにそんなもの飾ってて大丈夫?
他人事ながらちょっと心配になった。
そういえば、一緒に展示を見て回ったイギリス人がいたく盆栽を気に入ったらしく、実に色々な質問をされた。これはどうやって手入れをするのか、なぜ日本人はこういったものを育てるのか、コンセプトは何なのか、文化的な象徴はあるのか。
しらねーよ、と思いつつも、例えば「盆はPlateやDish、栽はPlantingやGardeningだ」という説明であったり、日本の狭い領土の中で庭園を造ることが難しく、結果として庭園の縮図として盆栽を楽しんでいたことであったり、それが「アート」として確立され、それが「粋」であることであったり。
そういうにわか知識を総動員してそれっぽい説明をする。
そして、こういう時に、日本のことを説明する大変さみたいなものを改めて痛感する。
それにしても、何とかそれっぽい説明が出来たから良かったものの、実際盆栽って何なんだろう?無為に何十年もかけて盆栽を育てていたわけではないはずだ、きっと何かに思いを馳せながら育てていたはずだ、一体それは何なのか。
ふと、一つの盆栽に目がいく。
大樹の足元で生い茂る深緑苔、力強く芽吹く・・・なんだこれ?貝割れ大根?
いずれにしても、このアングルは、まさに「庭園の縮図」であり、それを縮図として再現させた日本人の芸術性、そこから感じ取れる箱庭サイズの生命の息吹。知ったかぶりな発言をするつもりはないのだけれども、そこには何か言葉に出来ない、感覚でしか理解出来ないような息遣いが存在していた。
うーん、それにしても、大きな庭園サイズのものでも、ミニチュアな盆栽サイズのものであっても、大きさを問わず同じ生命なんだよなぁ。そういえば、手塚治虫の火の鳥の輪廻転生だとか、みんな同じ生命の集合体でアレがどうのこうのだとか言ってたな。これってそういうことなのか・・・。磯野波平や伊佐坂先生や、パーマンやオバQの「神鳴(かみなり)さん」なんかも、実はものすごく「粋」で、盆栽の手入れをしながら輪廻転生とか考えていたのかもしれないな・・・。
ちなみにどうでも良いんですが、「おさむ」を変換すると、候補で「治虫」がしっかり出てくるのはマジですごいと思いました。どれだけ利用頻度が高い言葉なんだ。
というわけで、今日は手塚治虫先生がいかにすごいかという話についてでした。
以上、アレを色々とよろしくお願いします。
さて、ベルギー人たちのたっての希望もありScience Museumに行くことになった。
渋谷にある自然科学博物館みたいなものをイメージしてもらえれば分かりやすいかと。
まぁ、色々なものがあって面白かったのだが、中でも特別展示として開催されていた「Japan Cars」が面白かった。
「燃料は水素、排出物は水」という車の展示があったり、軽車が紹介されていたり(ヨーロッパには、いわゆる「軽」が存在しない)、特にヨーロッパ人にとっては興味深いであろう展示だった。
そういえば、どうでも良いのだけれども展示内で「アハ体験」の茂木健一郎が、日本における車の意義みたいなものを英語で説明していた。
茂木健一郎の英語が達者だったのがアハ体験だったのだけれども、何で彼が車に対する説明をしているのかは全くもって不明。
何か色々と言っていたけれど、面倒くさいからスーッと通り過ぎてしまった。
さて、その展示自体はパーッと見て回って終わりだったのでこれ以上話をすることはない。
話をしたいのは、展示場の入り口にあったこの盆栽の数々。
日本という狭い領土の中で、ユニークな機能やデザインを形成していった日本車。
日本という狭い領土の中で、ユニークなアートとして確立された盆栽。
そういったコンセプトなのかどうかは知らないけれども、いずれにしても、大きな盆栽の隣に小さな車のフィギュアが飾られていた。
中には樹齢120年を超えるような盆栽も展示されていた。
おいおい、こんなオープンスペースにそんなもの飾ってて大丈夫?
他人事ながらちょっと心配になった。
そういえば、一緒に展示を見て回ったイギリス人がいたく盆栽を気に入ったらしく、実に色々な質問をされた。これはどうやって手入れをするのか、なぜ日本人はこういったものを育てるのか、コンセプトは何なのか、文化的な象徴はあるのか。
しらねーよ、と思いつつも、例えば「盆はPlateやDish、栽はPlantingやGardeningだ」という説明であったり、日本の狭い領土の中で庭園を造ることが難しく、結果として庭園の縮図として盆栽を楽しんでいたことであったり、それが「アート」として確立され、それが「粋」であることであったり。
そういうにわか知識を総動員してそれっぽい説明をする。
そして、こういう時に、日本のことを説明する大変さみたいなものを改めて痛感する。
それにしても、何とかそれっぽい説明が出来たから良かったものの、実際盆栽って何なんだろう?無為に何十年もかけて盆栽を育てていたわけではないはずだ、きっと何かに思いを馳せながら育てていたはずだ、一体それは何なのか。
ふと、一つの盆栽に目がいく。
大樹の足元で生い茂る深緑苔、力強く芽吹く・・・なんだこれ?貝割れ大根?
いずれにしても、このアングルは、まさに「庭園の縮図」であり、それを縮図として再現させた日本人の芸術性、そこから感じ取れる箱庭サイズの生命の息吹。知ったかぶりな発言をするつもりはないのだけれども、そこには何か言葉に出来ない、感覚でしか理解出来ないような息遣いが存在していた。
うーん、それにしても、大きな庭園サイズのものでも、ミニチュアな盆栽サイズのものであっても、大きさを問わず同じ生命なんだよなぁ。そういえば、手塚治虫の火の鳥の輪廻転生だとか、みんな同じ生命の集合体でアレがどうのこうのだとか言ってたな。これってそういうことなのか・・・。磯野波平や伊佐坂先生や、パーマンやオバQの「神鳴(かみなり)さん」なんかも、実はものすごく「粋」で、盆栽の手入れをしながら輪廻転生とか考えていたのかもしれないな・・・。
ちなみにどうでも良いんですが、「おさむ」を変換すると、候補で「治虫」がしっかり出てくるのはマジですごいと思いました。どれだけ利用頻度が高い言葉なんだ。
というわけで、今日は手塚治虫先生がいかにすごいかという話についてでした。
以上、アレを色々とよろしくお願いします。