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ブログ的なアレです。

「完璧じゃない」を理解してもらってこその完璧

2008年11月18日 | 仕事とか堅苦しい話
入社以来、最前線での現場管理を6年ほど経験し、今はイギリスでマーケティング、新規商品開発、品質改善、プロマネなどのバックオフィス的な立場で仕事をしている。

その現場との仕事の質の違いに戸惑い、親父含めた色々な方からのアドバイスを元に、仕事に対する考え方を変えようとしている事は先日のブログでも少々触れた通り。

過去の現場での経験として、顧客だけではなく現場までもが納得出来るソリューションを作らないと、お客や現場からボッコボコに言われ、ひどくなると本当に孤立無援になる、だから何もアウトプットが出なくなる、という負のスパイラルに陥った事がある。故に「また負のスパイラルに陥るのが嫌だ」という恐怖心は未だにあると思う。さらに、何か問題に事前に気付いておきながら、後から誰かにそれを指摘されると悔しい気持ちになる。それは「本来ならそれが出来たはずなのに」という理由によりプライドが傷つけられるから。

だから結果としてドキュメント・プロセスなどを詳細まで詰め、誰もが「ぐうの音も出ない」くらいのアウトプットを作り出す事を心がけていた。



ところが今は、前述の通りバックオフィス的な役割に就いている。
現場が下流だとするのであれば、今はわりと上流・中流にいる。

先日のブログでも触れたので詳細は割愛するが、要するに、今までの「細かいところまで詰める」だとか「ぐうの音も出ないくらい完璧なアウトプットを出す」という特性がこのポジションではあまり評価されないのだ。

自分が培ってきたスキルが通用せずに、どうすれば良いか分からない。
現場が「狭い範囲を深く掘り下げる」で、マーケティングが「広く浅く」なのであれば、「広さ」と「浅さ」の加減が分からない。
ここに戸惑いを感じていた。



迷っていても仕方が無いので、先日の親父のアドバイス通り、「今は勉強」「力を抜く」「細かくならない」を頼りに仕事を進めてきた。
すると、今のところいくつかの発見があった。

○ 一つのタスクを完成させるための時間が異様に短くなる。多分、今までの半分くらいの時間でアウトプットを作成出来ている。
○ 「具体的にどうする」という部分までは分からないものの、「大体こんな感じ」というぼんやりした資料が出来上がる。
○ 現場だったら文句言われそうなアウトプットしか作成してないのに誰からも文句を言われない。
○ 一方で「このアウトプットはすごいね!」という評価も無い。
○ アウトプットそのものの完成度よりも、タスクを完成させるという事実の方が重要。
○ 一通り必要なタスクを完成させていると、現場の方から「じゃあ、ここからの詳細はこっちでやっておくから良いよ」と言ってもらえる。

そういう意味では、バックオフィスというのは(ここの表現が難しいのだけれども)、基本的に「フォローアップをしてもらわなくちゃいけない立場」もしくは「詳細まで詰める事が出来ない立場」なのだろうか。

「表現が難しい」とわざわざ書いた理由は以下の通り:

○ フォローアップをしてもらわなくちゃいけない立場 / 詳細まで詰める事が出来ない立場:上流工程では詳細が見えない・詳細が特定出来ない上に、特定をしてしまうとプロジェクト全体が視野狭窄に陥る危険性がある、あるいは他の人の作業範囲を抵触する。
○ フォローアップをしてもらえる立場 / 詳細まで詰める必要がない立場:適当なアウトプットでも、誰かが自分のケツを拭いてくれるという意識。

ここで敢えてこういう注釈を付けた理由は、多分、今まで現場でやってきた中で、マーケティング・営業・購買・販促でも何でも良いのだが、「いわゆる上流工程」の人たちの無責任さみたいなものに辟易とさせられた経験があったからなのかもしれない。

例えば、過去に「原価率が悪いから改善しろ」と言われた事がある。
その時も「当初の原価率を決めたのは営業であってボクじゃありません。その原価率を決めた時にボクもその場にいて、その数字にボクもコミットしたのであれば責任はとります。が、他人が勝手に決めた事の尻拭いをボクがやる筋合いはありません。会社のために努力はしますがコミットは出来ません」みたいな啖呵をきった事もある。いや、こんなにストレートな表現じゃなくて、もっとやんわりとした口調ですけど、まぁ、今になって思えば有り得ないくらい傲慢だなとは思います。

ただ、いざ自分もそのポジションに立ってみると、このポジションがいかに職務の性質上、「無責任と捉われてもおかしくないアウトプット」が出てしまうかは痛感している。だから今だったら「詳細まで詰められない」という上流工程の難しさも、多少理解出来ると思う。

という事を言った上で、些細な事かもしれないけれども、すごく大事な事を一つだけ。

それは「物事を完璧に仕上げる事が出来ないという事を下流に伝える」というところまで出来てこそ、上流工程が完璧だと言えるのではないかという事。

例えば「ここまでは出来たが、以降は詳細が見えないであったり、これから作りこまなくちゃいけないから、下流ではこういったところも意識してみてくれ」と伝えるだとか、もしくは「過去にこういう交渉はしたんだが、たまたまパートナー候補が予算の都合で今は無理だと言われたので、将来的にはそういう道もある事は理解しておいてくれ」だとか。本来ならそういうのがあって然るべきなのだろうが、個人的にそんな良い経験をした試しはほとんど無い。

ただ、本当に些細な事かもしれないけれども、これがあると無いでは大違い。下流の苦しみ具合、協力体制の有無、チームとしての一体感、下流の「被害者意識」の有無、顧客から見たアウトプットの印象(一体感・連携・スピードなど)。そういったもの全てに影響が出てきてしまう。

そんな事をふと思ったわけです。

最後に、過去のブログでも「自分の一番大切にしている価値観は、自分の周りにいる人たちが幸せになれるかだ」という事を散々書いてきた。これも、過去の負のスパイラルの結果として出来たものなのだが、周りが幸せになってくれた時の達成感は、何物にも変え難いというのは今でも変わらない。そして、今のこのポジションでそれをどう達成するべきなのか、という事についても悩んでいたのだが、もしかすると「『完璧じゃない』という事を理解してもらう」というところに、そのヒントが隠されているのではないかとも改めて感じている。

という感じです。

読み返して思ったんですけど、大した内容でも無いのに長文でホントすいません。
全然力抜けてないですね。

そんな感じでアレを色々とよろしくお願いします。

コメント (6)
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