西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

ベートーベン「第9交響曲」-歓喜に寄す(1)

2016-02-08 09:23:15 | 音楽一般
ベートーベン(1770-1827)はいつシラー(1759-1805)の詩「歓喜に寄す」を知ったのか。1789年5月に、ベートーベンはボン大学に入学する。ここでゲーテ、シラーを知ったのだった。「ベートーヴェン」(平野昭著)によると、ボン大学に招請されたシラーの友人フィッシェニヒの手紙に「…この少年は、選帝侯によってウィーンのハイドンの許に派遣されたところです。彼はまたシラーの『歓喜』を、しかも全節を作曲しようとしています。…」(1793年1月26日付)とある。Hess番号143に「歓喜に寄す」がある。1793から99年の間に作曲されたと推定され、作品表には「紛失。2つのスケッチのみ現存」とある。第9交響曲が作曲されたのは「1818,22-24」年と言うことなので、詞を知ってから作曲を実現するまでに約30年かかったことになる。

このシラーの詩は、全9節108行の長い詩だった。上の手紙にあるのと異なり実際には全部には曲を付けていない。取捨選択していることになる。採用していない箇所にはどんな内容が書かれているのか。掻い摘んで書くが、「同胞たちよ、満ちた杯が回ってきたなら席から立って泡を天まではじかせよう」「同胞たちよ、善と血に重きをおこう 輝かしい事績にはふさわしい冠を うそつきたちには没落を」「同胞たちよ、飲もう、そして声を合わせよ すべての罪人は許されてあれ 地獄がなくなるように」などとある。これらを取り除いてできたのが「第9」の歌詞だった。(以上の訳は、「第九入門」(2011年12月号)による。)

Freude! Freude!

Freude, schöner Götterfunken,
Tochter aus Elysium,

以上コンマで区切られた3つは、Freude(歓喜)と同格で、呼びかけである。schönは形容詞「美しい・うるわしい」、Götterfunkenは辞書になし。GötterはGott(英 God、「神・造物主」の意)の複数形、Funkeは「火花」である。Tochterは英語daughterと同語源で「娘」。Elysiumは「極楽・楽土」。

Wir betreten feuertrunken,
Himmlische, dein Heiligthum!

betretenは他動詞で「足を踏み入れる」とあるが、英語の同じく他動詞のenter(~にはいる)である。 feuertrunkenはFeuer(英 fire)「火・激情・情熱」と形容詞trunken(英 drunk)「酔った」の合成語である。himmlischは形容詞「天の・天国の・天にある・神の・永遠の」、Heiligthumは「神聖な場所」で、heilig「神聖な」(英 holy)と-tum(英 -dom)の合成語。-thumとなっているが、今は-tumである。(以前と綴り方が異なったということだと思いますが。)

Deine Zauber binden wieder
Was die Mode streng geteilt;

Zauberは「魔法」、bindenは「結ぶ」で英語のbind(「縛る・くくる・束ねる」の意)と同語源。綴りはそっくり。ドイツ語動詞は大多数、ほとんど全部と言っていいが、語尾は-enで終わり、これを取ったものを語幹と呼ぶ。読み方は、ビンデン。英語の方は語尾なるものはなくなった。そして読み方は、バインド。英語では、近代英語に入る前にGreat Vowel Shift(大母音推移)というものが起こり、それまで所謂ローマ字読みだったものが、二重母音化した。このようなものはドイツ語と英語の間で非常に多く見られる。wiederは副詞で「再び」。wasは英語のwhatと同語源で、用法もほとんど同じと言っていいだろう。ここでは関係代名詞。Modeは「流行・はやり・時流」、streng(英 strong)は「厳しい・厳格な」の形容詞と「厳格に」の副詞の両方の意があるが、ここでは後者。ドイツ語は、形容詞がそのまま副詞の働きをするものが多い。geteiltは動詞teilen(英語のdealと同語源で、「分ける」の意)の過去分詞。

Alle Menschen werden Brüder,
Wo dein sanfter Flügel weilt.

allは言うまでもなく英語のallと同語源で、「すべての」の意。Menschは「人・人間・人類・男」で-enがついてその複数形。この2語の読み方は、アレ・メンシェンである。気持ちよくアーレ・メンシェンと延ばすと、Aal(英 eel)(-eが付くと複数形)の「ウナギ」になってしまう。「すべての人間が」のところが「ウナギ人間が」になってしまう。werdenは「~になる」の意で、読み方はヴェールデンである。(ヴェルデンではない)BrüderはBruder(英 brother)の複数形、「兄弟・仲間」の意。woは英語のwhereと同語源。先ほどのwasと何か似ている。ドイツ語のw-と英語のwh-は対応しているということです。意味はwhereとほとんど同じでここは疑問副詞でなく、関係副詞。sanftは英語のsoftと同語源で、「柔らかい」の意。Flügelは「(鳥の)翼」の意、他に音楽用語で「グランドピアノ」のことも言うのですね。辞書引くといろいろ学びます。weiltは動詞weilenの単数3人称形で、意味は「とどまる・滞在する」。

この2行は、この後も合唱で何度となく現れます。「すべての人間は兄弟となる」この思想にベートーベンは強く引かれたのではないかと私は思っています。それがこの詩を挿入して大規模なこれまでにない交響曲を作曲しようというふうにベートーベンを駆り立てたのではないかと思います。そしてベートーベンはそれをこのシンフォニーによって実現させました。偉大な人間と私は思います。

(続く)