渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

ユーチューブでの芸能人「キャンプ」

2024年01月16日 | open

燻製ステーキで最高のウイスキー
を飲む男【独キャン】




プロ芸人による、プロが企画
して、プロスタッフが移動し

て、プロが撮影したプロの番
組製作者の動画。
あくまでも興行である。
YouTubeを利用しただけで。

徳井さんが動画編集してアップ
するわけでもない。
広告収入の一部が徳井さんに
事務所から支払われる。
芸能人に本物のYouTuberは
一人もいない。
あくまでもTVから場をYouTube
に移しただけだ。

これが徳井さんのプライベート
タイムと勘違いしてはいけない。
あくまで番組興行の企画だ。
何十万も道具を並べ広げて、
高いキャンプ服を着て、何千円
もするステーキを焼いて、高価
なウイスキーを飲む。
そうした一般人が毎回出来ない
ような事を見せて、至福の時感
を出して憧憬を煽り、
グッズの
販売促進と再生回数を稼ぐ目的
動画だ。
完全に番宣のような企画。
見ていて「うまそうだねー」と
は思うが、動画の企画の目的
見抜け
ないとほんとの間抜け
になる。


実家に帰省して体調を崩してしまった独身アラサー女

2024年01月16日 | open

実家に帰省して体調を崩してしまった独身アラサー女


友人にアッキーチャンネルを
紹介したら観たらしい。
「よく食うなぁ、この女。
なんだこれ?」
との事(笑
だからいいんじゃん。
生きるパワーは食欲からだぜ(笑
ぽっちゃり大福お腹万歳!だよ。
知らねえのかなぁ、人のパワー
の源を(笑

でも頑張りすぎると疲れるよな。


日本刀の美を引き出すのは研ぎ次第

2024年01月16日 | open




私の差料、二尺三寸一分、無銘。
初期新刀だろうが、粗見では
なく精査すると、鉄(か
ね)
と製法が古いと鑑せられる。
研ぎは京都の腕の良い研師の
先生に
お願いした研ぎである。
非常に雅に刀の持ち味を引き
出してくれるしっとりとした
品の良い研ぎだ。巷によくあ
るペンキ
を塗ったような花魁
研ぎでは
ない。古雅な風味を
奏でる、
とても清涼で質の良
い研ぎだと私は思う。


日本刀を生かすも殺すも研ぎ
次第。
これは絶対定理だ。
技量の高い日本刀研磨師は、
確実に下地研ぎが優れている。
それの優劣甲乙については専
門的な解説になるのでここで
は割愛する。
今の時代は、下地もガタガタ
にしてしまい、かつ、べったり
とした花魁化粧のような研ぎに
してしまう研師が実に多い。
この京都の先生の研ぎの作は
私はとても好きだ。

研ぎ次第というのは、日本刀
だけではない。
日本刀の研磨の技法を駆使す
ると、全鋼の安いカネ駒の肥
後守でさえこのような鋼の働
きを浮かび上がらせる事がで
きる。研ぎ私。
笹の葉形はノーマルブレード
を私が磨り上げにより成形。

肥後守は実用刃物なので、安
い肥後守をここまで日本刀と
同じ技法で研磨する人、ある
いは仕上げた作はネット上で
は日本国内、否、全世界中で
見た事がない。


肥後守でさえ、鍛造と熱処理
による熱変態の鋼の働きがこ
こまで出ている。
これは日本刀研磨の古流技法
の差し込み研ぎによる研ぎだ
が、日本刀も刀身全体に働き
が出ている。
日本刀の見どころは地鉄(ぢ
がね)の鍛えと働きに尽きる。
刃文などは熱変態の働きの
範疇の一つに過ぎない。
日本刀は鉄を観る。
それが、本道本筋であり、日
本刀鑑賞の極めはそこだ。
そして、研師が真っ白化粧で
こすって描いた刃の白い部分
は、やりすぎると本当の焼刃
が見えなくなる。厚化粧だか
らだ。
本物の美人は素顔のノーメイク
すっぴんでも美しいものだ。
日本刀とは、本来は素肌美人
を十二分に観るのが日本刀の
観方だ。
それをいらぬ研ぎで台無しに
してしまっては、日本刀製作
者も刀身自身も泣くだろう。
化粧研ぎもよいが、ごくほんの
薄化粧で素肌美人を引き出して
あげるのが、本物の日本刀研磨
師の匠の技だろう。
そして、それは誰にでもできる
事ではない。
ナイフや包丁の研ぎとは全く
異なるのが日本刀の研ぎだ。
それゆえ、日本刀は厳密には
研ぎとは呼ばず、研磨と呼ぶ。
慣用呼称で「研師」とはいうが、
刀の研師は厳密には日本刀研磨
師なのだ。
きちんとした伝統技法を確実に
習得した人しか日本刀の研磨は
できない。

私はナイフや包丁は研げても、
日本刀を研磨することはでき
ない。
上掲のような一般人ができない
技法で肥後守を研磨する事が
できても、日本刀研磨はでき
ない。
これは当たり前の事だ。
日本刀は日本刀研磨師の仕事だ。
趣味で刀を研ぐなどというのは
余人にはできない事なのだ。
その伝統技法は極めて奥深い。
刀鍛冶よりも刀屋よりも、ある
いは学術研究者よりも、日本刀
を一番知っているのは日本刀研
磨師なのだ。
この不動の定理は、実は世の中
ではあまり知られていない。

ジェイムソン・スタウト・エディション 〜アイリッシュ〜

2024年01月16日 | open




所用で広島県福山まで出たので
帰りしなアイリッシュウイスキー
を仕入れて来た。
ジェイムソンのスタウト・エデ
ションだ。
地元のクラフトビール醸造所と
のコラボで生まれたウイスキー。
ビア樽に寝かせたウイスキー。
40度。

飲んでみた。
なんだこりゃ。
全くアイリッシュぽくない。
バーボンみたいな味だ。
フルーツウイスキーのような。
これはこれでかなりうまいが、
好みは分かれるだろう。

私はウイスキーはストレート。
ワインや日本酒を水では割ら
ないように。
だが、いろんな飲み方があって
いいし、好みによるだろう。
私はストレート。
ポケットビリヤードも一番好き
なのはストレートプールだ。
バイクだけ、ストレートの直線
ではなく曲線が好き(笑


ピンクドラゴン ~名称の意味~

2024年01月16日 | open



ピンクドラゴンは1960年代末期
に故山崎眞行氏が立ち上げた
日本のアパレルメーカーだ。
主として、ロックンロール、ロ
カビリーのカルチャーを表現の
軸に据えたブランド「クリーム
ソーダ」をメインに、日
本の
ロックシーンをも牽引した。

そして、「原宿を変えた」のが
ピンクドラゴンだった。

50年近く店長を務めた高橋誠一郎
氏から私が聞かされたピンクドラ
ゴンの歴史で感じ入った事がある。
それは、社名の成立経緯だ。
ピンクドラゴン。それは日本を
表している。
日本列島を宇宙から見たらタツノ
オトシゴの形をしている。
そして日本の国旗は日の丸だ。
その日の丸の紅白の色を溶かす
と桃色=ピンクになる。
日本は、白と赤に分かれているの
ではなく、その両者が溶け合って
桃色の国になるのが本当の姿、本
来の姿なの
ではなかろうか。
そうした思想性が山崎眞行さんの
視点の中心幹に流れていた。
私はそれを誠一郎店長から聞かさ
れた時、いたく感じ入った。

紅白は源平の印でもない。
もっと古い時代から、実は日本の
歴史は赤と白の拮抗の歩みがあっ
た。
日の丸が白地に赤というのは、
単に日章としてのみあるのでは
ない。
そこには日本の深い歴史の歩み
が刻まれているのだ。
ただ、本来は本当はピンクの龍
であっただろう事が、いつしか
失われてしまった。
真の日本への望郷と未来への希望。
ピンクドラゴンを作った山崎眞行
さんはそれを希求する思想性を
持っていた。
私はそれを知った時感じ入る事が
多すぎた。
そして、それを高橋誠一郎店長
本人から私が聞かされた時、ティ
ーンの頃に抱いていたやんちゃな
憧憬とは全く別な視座からピンク
ドラゴンを捉えるようになったの
だった。

北海道から東京の大学に進学し
た山崎眞行さんは東京で生きる
事を決意した。
そして、ピンクドラゴンという
店舗を開いた。最初は狭い古着
屋さんからの始まりだった。
やがて、山崎さんの魂は店とオ
リジナル商品に反映されて行く
ようになった。
「流行を着るのが一番ダサい」と
山崎眞行さんは言った。
「みんな資本主義に毒されすぎ
ているのでは」とも。
山崎さんは左翼ではない。無論
右翼でもない。
左翼も右翼も関係ない、本当の
俺らのフルサトてのは何だ、と
山崎さんは問いかけて生きて来た。
だが、資本主義的商業主義が人間
とその感性を疎外する事は見抜い
ていた。
時流に乗ったりするのではなく、
自流を大切にする。
そして、自分を大切にして精一杯
生きる。生き抜く。スロットル
全開で。
ピンクドラゴンを創設した故山崎
眞行さんの思想はそれだった。
天上天下唯我髑髏である。
右腕にバンちゃんがいて、左腕と
して店長のセイちゃんがいた。

高橋誠一郎店長は2024年1月13日
にピンクドラゴンを退職した。
山崎さんが亡くなり、バンちゃん
も亡くなり、多くのピンドラ生ま
れの関係者も時代と共に鬼籍に
入った。
誠一郎さんは私に言う。
「生きているうちにピンドラを
退職しようと思った」と。
引き止められもしたが、引退を
決意した。
山崎眞行さんの遺志=ピンクド
ラゴンの思想を正しく継ぐ数少
ない者の一人が高橋誠一郎店長
だった。


赤土には何がある ~日本の歴史~

2024年01月16日 | open



土はいろいろな種類がある。
大別される赤土という物にも
同じ赤土という呼称の括りの
中でもいろいろな種がある。

そして、ある特定の赤土は
それを土壌として作る農作
物に明確な味の変化をもたら
す。

私が今住む近場でいえば、
広島県安芸津のジャガイモ
と岡山県井原のゴボウは、
これは全国的にみてかなり
美味な農作物となっている。
気になる点としては、両地は
古代において産鉄地である、
という点だ。
しかし、産鉄地である事と良
品質な農作物が収穫できる
土壌との関連性は学術的にも
解明されていない。
また、鉄どころは酒どころで
ある事実が何によるものなの
かも、アカデミックな方面か
らの説明は未知だ。

土の研究は大学や大学院など
の学術機関では土そのものの
研究は進んで
いるが、まだまだ
総合的な因果関係等について
は解き明かされていない不明
な点
も多い。
その解明が進んでいない事の

一つに超古代製鉄がある。
世間一般でも、殆ど知られて
いないのが赤土
から鉄ができ
る事だ。

そして、砂鉄が発見される以
前の超古代製鉄は赤土からの
還元製鉄だった。
これはヨーロッパと同じく日本
でもその歴史を辿ったのだが、
日本の皇国史観では砂鉄絶対
主義のためか、日本での製鉄
の開始は6~7世紀からとして
いる。
だが、それは砂鉄製鉄による
製鋼の実体であり、製鉄その
ものではない。
実際に製鉄遺跡が出土しようと
もそのように定義づけしている
のは学術界に蔓延る「特定圧力」
の力が作用している。
だが、実際には多方面からみて、
日本の製鉄は縄文時代に遡る
だろう。
朱丹とベンガラの文化について
も、それらの科学的製法や精製
根拠は解明できていても、歴史
学と考古学と民俗学と冶金学が
手を取って高次に融合させて真
の学究を成す潮流は日本には存
在しない。くだらない縄張り意
識と権威主義が日本の学術界に
は根付いているからだ。
日本は「学問の国」ではない。
日本人が日本を駄目にしている。
超古代製鉄関連でいえば、そう
した学術界の横の連帯が日本に
は不在であるので、日本の神社
になぜ赤い神社と白い神社が存
在するのかについても考察をめ
ぐらす事さえできないのが現状だ。
神社の赤白は、あれは超古代
製鉄の土か砂鉄かの違いと、そ
の技法を誰が掌握していた歴史
があるかの違いだ。
それらが学術的に証明されれば、
超古代赤土製鉄から古代砂鉄製
鉄の点と点が線で繋がり、さら
に日本史の中での神社の成立
経緯や為政者の統治実態の歴史
が一気に解明される。
それができないのは、それを
されたら困る勢力が学術界に
根を張っているからだ。
たとえば、古墳などを全国で
すべて学術調査発掘したら国定
教科書の記述がひっくり返るだ
ろうが、そうなると都合の悪い
勢力が学術界で権威を保持し、
保身しているというのが日本の
学術界の実態なのだ。

赤土製鉄による低炭素鉄であっ
ても、卸鉄(おろしがね)の技
法によって炭素鋼に変化させ
事は可能なのではなかろうか。

吸炭加工を巧みにする事で。
鉄の硬度は炭素量で決まる。

しかし、現代では卸鉄ができる
鍛冶職は絶滅寸前なので再現は
困難かも知れない。
そして、砂鉄至上主義が日本の
鍛冶職のみならず冶金界にも
蔓延しているので、リモナイト
製鉄による超古代製鉄の再現や
研究も進まない事だろう。
その中にあっては例の学術権威
主義による学究阻害も現に存在
しているようだし。

赤土には何がある。
赤土には何かある。


パティーナ

2024年01月16日 | open



1874年製コルトSAA

美術の世界には「パティーナ」
というものがあります。
それは象牙などが典型的なの
ですが、「経年変化」による
象牙の飴色に変化する状態を
指す時にパティーナと呼ぶ。
良い味が出て来る状態の事を
指し、日本語でいうならば
「時代がついている」という
美術界での表現になります。
日本刀の世界では、金を使っ
た金具などに「金錆」と刀剣
界で呼ばれる経年変化の風味
などもそうしたパティーナの
一つです。
これは、使い込んで発生した
味の場合もそうした概念で括
りますが、使い込みによる
「用の美」とも別な概念とし
て表現される言葉が「パティ
ーナ」です。
英語の美術の世界でもよく
使う単語。

上掲の1874年のコルト・シン
グル・アクションは、完全に
ブルーイングが剥げてしまっ
ています。
しかし一切錆びてはいない。
百数十年の間、良性保管の為
か、手入れされ続けている為
か、表面保護のブルーが剥げ
て鋼鉄の地肌が出たままでも
錆びていない。
この時代の風合いがパティーナ。
これが赤錆が出たらパティーナ
とは呼びません。
それは「風化」であり、朽ち
て行く事。パティーナとは、
創作物が経年変化を見せながら
もある種の不朽性を持つ状態を
指します。

この時代のパティーナは日本の
法律の下での非鉄金属の亜鉛
合金(白もしくは黄、金以外は
銃刀法違反)やプラスティック
では表現できません。
また、プラスティックに特殊
処理をしたブールイングでも
この実銃の経年変化のパティー
ナは表現できない。
どんなに巧みな技術でブルー
イングを施しても、実銃のパ
ティーナは出せません。
似て非なるものになる。日本刀
のベタ研ぎ=花魁研ぎのように。

私見ですが、実銃のブルーが
剥がれた物でも、アンティーク
ガンに見られる「金属表面が
露出しているのに一切錆びて
いない銃」というのは、私は
鋼鉄が日本刀の表面のように
「不働態化」しているのでは
と思う。
古い日本刀が錆びないのは、
そうした化学変化によるもの
であって、毎日磨いているか
らではない。
表面が化学変化により、錆が
発生しないような被膜が形成
されるのが不働態で、実銃の
アンティークガンもそのよう
な状態になっているのではと
私は推察します。

このような私あたりのプラへの
ブルーイングでなくとも、遥か
に職人技を有する人がプラを
ブルーイングしても、実銃の
アンティークガンのパティーナ
は表現できません。
これはこれで実銃ぽいのですが、
「使い込んだ実銃ぽい」範疇を
超えていません。
やはり本物の時代の重みを超え
る事は、後年の創作物では難し
いようです。

どんなによく見積もっても、
「まあ、お上手ですね」という
程度のブルーイングでしかない。
実銃の150年の歴史を再現する
には程遠い。
というか、再現はできない。
それは日本刀が鎌倉南北朝時代
の刀身を現代では復元できない
のと同一線上の定めにある。


日本刀の研ぎについての雑感 ~2011年掲載記事より~

2024年01月16日 | open


日本刀の研ぎについて書いて
いる過去記事。
日本刀がお好きな方は、よろ
しかったらご覧になってみて
ください。
研ぎ前と研ぎ後の刀身の対比

画像も示して説明しています。

刀の研ぎについて思うこと - 渓流詩人の徒然日記

刀の研ぎについて思うこと - 渓流詩人の徒然日記

以下はすべて私の私的な好みの感想であり、特定個人を非難していることではないことを御承知おきください。刀は研磨によって大きく表情を変える。研ぎ師いかんによって全く...

goo blog

 

 


おばか

2024年01月16日 | open



友人に「俺さぁ、西部劇観る時
バカみたいに毎回ピースメーカー
をテーブルの上に転がして映画
観てる」
と言った。
すると、友人も「俺も」だと(笑
おばかピーは世の中いるもんだ。

でも、俺と高橋誠一郎さんは
SAAと1911にゾッコンだが、
奴はSAAとCZなんだよね。
ただ、セイちゃんは、おいらが
「ドツボにハマるモデルだから
よしといたほうがいいのでは」
と言ったのに、チーフスペシャル
にもハマってしまった。
実銃の世界もそうだが、モデル
ガン、ガスガン、トイガンの
世界にも「悪魔の三大銃」が
ある。
それはコルトSAA、コルトM1911
A1(ガバメント)、S&Wチーフ
スペシャルだ。
ハマると泥沼。抜け出せない。
社会復帰できるかどうかになっ
てしまうような機種なんだよ。
これ、銃好きはよく知ってる。
九州のモデルガン研究家のヨン
ヨンさんにも昔「SAAはよし
といたほうが・・・」とあたしゃ
言ったのに、ドハマリしてしま
って、いつの間にか業界のオー
ソリティになっちまった(笑

松本零士先生が作品の中で「国
内に古式銃のコルトポケットが
2丁だけ確認されている」と昔
書いていた。
実はその2丁は神奈川県に住む
方が両方持っていた。
ある時、私に連絡があった。
もう20年以上前だ。
どうしても私に1丁買ってほしい
と。当時としては格安値だった
が、今のゼファーχの距離行った
のが買える程の金額。
私はたまたまかみさんが大病で
入院していて物入りの時で、買
えないので九州のヨンヨンさん
を紹介した。
すると、ヨンヨンさんが九州の
パーカッションファンの方を
その持ち主に紹介してくれて
円満に話が進んだようだ。
よかったよかった。
ヨンヨンさんのサイトではその
個体が紹介されている。
松本零士先生が作品中指摘した
2丁のうちの1丁だ。
今では他にもコルトポケット
は「発見」登録がなされてい
るようだ。
1849年のコルトポケットは
この上なく可愛い。ベラボー
にブラボーだ。

 


歴史の中でオンリーワン

2024年01月16日 | open



やはり痺れる。
コルトSAA-1stジェネレーション。
これしかない。
歴史を変えた。
西部を征服した。

西武の制服もいいけどさ(笑


共通点

2024年01月16日 | open
 

(中央 高橋誠一郎&風吹ジュン)
 
ピンクドラゴン/クリーム
ソーダ元店長高橋誠一郎
さん私の共通点。
・東京生まれ
・50s生まれ
・元目黒区青葉台住人
・包丁使い(セイちゃん元プロ)
・ロック
・ロックンロール
・ロカビリー
・音楽
・ファッション
・ダックテール
・オートバイ乗り
・互いに別ながらMCメンバー
・映画好き(かなり)
・モデルガンファン(67年と
 69年に初購入)
・フライフィッシャー
・バンブーロッド愛好者
・刃物、ナイフ好き
・アート好き
・歴史愛好家(日米欧史)
・日本刀愛好家
・古流抜刀術研修者
・真剣斬刀法研修者
・銃好き(二人ともSAAとガバヲタ)
・ファストドロウシューター
・愛犬家
 
誠一郎さんと懇意に付き合い
始めて、二人の共通項を知っ
て二人で笑いした事がある。
なんだこれ?と。
 
まだある。
・ジュンちゃん好き(笑
 (ちっきしょー!)

黒色火薬 初期型SAA

2024年01月16日 | open

Colt Single Action Army 150th Anniversary


初期型SAAの黒色火薬モデル。
反動と硝煙が凄いのね。
一発撃ったら前が見えない(笑
これは確かに、早々に無煙火薬
の発明が待たれた筈だ。

私は黒色火薬SAAも無煙火薬
SAAも、ピースメーカーを撃
った事が無い。
日本人で米国で射撃経験のある
人でも、無煙火薬SAAは経験が
あっても、黒色火薬モデル(時
代実物銃)の射撃経験は滅多に
無いのではなかろうか。
というかアメリカ人でさえ、
本物の黒色火薬SAAの射撃経験
者は少ないのではなかろうか。

いやあ。
本当にもろにガンスモークです
ね、これは。
1896年。コルト・シングル・
アクションは無煙火薬仕様に
変更された。
シリンダーピンを固定するネジ
は前側下方からの固定ではなく、
ピンを両側から挟む形式に変更
になった。
一般的に西部劇で使われている
殆どのSAAが1896年式以降の
銃を使っている。
なので、西部開拓時代を舞台と
した西部劇ではそれは嘘になる。
1990年代に入り、銃器の時代考
証がかなり徹底され、リアルな
コルト(複製)を使う潮流が
発生した。
だが、実は戦前の西部劇や戦後
直後の西部劇では、実銃の黒色
火薬モデルも多く登場する。
状態がよい1870年代のコルトが
まだ多く残っていたからだろう。

今回のこのヒコックおじさんの
動画。私は150周年記念モデル
よりも、1874年製SAAのほうに
惹かれた。
それは現代刀ではなく正真虎徹
で試斬をするようなものだから
だ。
それにしても、状態が良い。
実際の西部開拓時代に使い込ま
れて、ボディ本体のエッヂが
丸くなっているのもとてもいい。

1874年製コルトSAA。使用弾
.45ロングコルト黒色火薬。


日本の雑な作りのモデルガン
などと違って、見て、この
トリガーハウジングの前方
の造形仕上げとか。
実に美しい。
まるで洋式高級バスタブの
縁みたいに滑らかな造りだ。
私のモデルガンのうち、よく
ドロウファイアで使うモデル
はこのような造形に削り込ん
でカスタムしているが、本来
SAAはたとえレプリカモデル
ガンであっても、出荷箱出し
段階からこうありたい。
実銃ではこの後のモデルの角型
ハウジングであっても、角は丸
めてあるし、それがメーカーと
してのモノヅクリの姿勢だろう
(上掲画像)。


軍事組織の使用銃器

2024年01月16日 | open



最新式制式小銃だけに拘泥せず、
必要ならば適正化された銃器
を配備して使うのは当たり前。
それが軍事組織の常識。

海自特殊部隊SBU。9ミリパラ
を米国製銃器M4改で使用。