ピンクドラゴンは1960年代末期
に故山崎眞行氏が立ち上げた
日本のアパレルメーカーだ。
主として、ロックンロール、ロ
カビリーのカルチャーを表現の
軸に据えたブランド「クリーム
ソーダ」をメインに、日本の
ロックシーンをも牽引した。
そして、「原宿を変えた」のが
ピンクドラゴンだった。
50年近く店長を務めた高橋誠一郎
氏から私が聞かされたピンクドラ
ゴンの歴史で感じ入った事がある。
それは、社名の成立経緯だ。
ピンクドラゴン。それは日本を
表している。
日本列島を宇宙から見たらタツノ
オトシゴの形をしている。
そして日本の国旗は日の丸だ。
その日の丸の紅白の色を溶かす
と桃色=ピンクになる。
日本は、白と赤に分かれているの
ではなく、その両者が溶け合って
桃色の国になるのが本当の姿、本
来の姿なのではなかろうか。
そうした思想性が山崎眞行さんの
視点の中心幹に流れていた。
私はそれを誠一郎店長から聞かさ
れた時、いたく感じ入った。
紅白は源平の印でもない。
もっと古い時代から、実は日本の
歴史は赤と白の拮抗の歩みがあっ
た。
日の丸が白地に赤というのは、
単に日章としてのみあるのでは
ない。
そこには日本の深い歴史の歩み
が刻まれているのだ。
ただ、本来は本当はピンクの龍
であっただろう事が、いつしか
失われてしまった。
真の日本への望郷と未来への希望。
ピンクドラゴンを作った山崎眞行
さんはそれを希求する思想性を
持っていた。
私はそれを知った時感じ入る事が
多すぎた。
そして、それを高橋誠一郎店長
本人から私が聞かされた時、ティ
ーンの頃に抱いていたやんちゃな
憧憬とは全く別な視座からピンク
ドラゴンを捉えるようになったの
だった。
北海道から東京の大学に進学し
た山崎眞行さんは東京で生きる
事を決意した。
そして、ピンクドラゴンという
店舗を開いた。最初は狭い古着
屋さんからの始まりだった。
やがて、山崎さんの魂は店とオ
リジナル商品に反映されて行く
ようになった。
「流行を着るのが一番ダサい」と
山崎眞行さんは言った。
「みんな資本主義に毒されすぎ
ているのでは」とも。
山崎さんは左翼ではない。無論
右翼でもない。
左翼も右翼も関係ない、本当の
俺らのフルサトてのは何だ、と
山崎さんは問いかけて生きて来た。
だが、資本主義的商業主義が人間
とその感性を疎外する事は見抜い
ていた。
時流に乗ったりするのではなく、
自流を大切にする。
そして、自分を大切にして精一杯
生きる。生き抜く。スロットル
全開で。
ピンクドラゴンを創設した故山崎
眞行さんの思想はそれだった。
天上天下唯我髑髏である。
右腕にバンちゃんがいて、左腕と
して店長のセイちゃんがいた。
高橋誠一郎店長は2024年1月13日
にピンクドラゴンを退職した。
山崎さんが亡くなり、バンちゃん
も亡くなり、多くのピンドラ生ま
れの関係者も時代と共に鬼籍に
入った。
誠一郎さんは私に言う。
「生きているうちにピンドラを
退職しようと思った」と。
引き止められもしたが、引退を
決意した。
山崎眞行さんの遺志=ピンクド
ラゴンの思想を正しく継ぐ数少
ない者の一人が高橋誠一郎店長
だった。