土はいろいろな種類がある。
大別される赤土という物にも
同じ赤土という呼称の括りの
中でもいろいろな種がある。
そして、ある特定の赤土は
それを土壌として作る農作
物に明確な味の変化をもたら
す。
私が今住む近場でいえば、
広島県安芸津のジャガイモ
と岡山県井原のゴボウは、
これは全国的にみてかなり
美味な農作物となっている。
気になる点としては、両地は
古代において産鉄地である、
という点だ。
しかし、産鉄地である事と良
品質な農作物が収穫できる
土壌との関連性は学術的にも
解明されていない。
また、鉄どころは酒どころで
ある事実が何によるものなの
かも、アカデミックな方面か
らの説明は未知だ。
土の研究は大学や大学院など
の学術機関では土そのものの
研究は進んでいるが、まだまだ
総合的な因果関係等について
は解き明かされていない不明
な点も多い。
その解明が進んでいない事の
一つに超古代製鉄がある。
世間一般でも、殆ど知られて
いないのが赤土から鉄ができ
る事だ。
そして、砂鉄が発見される以
前の超古代製鉄は赤土からの
還元製鉄だった。
これはヨーロッパと同じく日本
でもその歴史を辿ったのだが、
日本の皇国史観では砂鉄絶対
主義のためか、日本での製鉄
の開始は6~7世紀からとして
いる。
だが、それは砂鉄製鉄による
製鋼の実体であり、製鉄その
ものではない。
実際に製鉄遺跡が出土しようと
もそのように定義づけしている
のは学術界に蔓延る「特定圧力」
の力が作用している。
だが、実際には多方面からみて、
日本の製鉄は縄文時代に遡る
だろう。
朱丹とベンガラの文化について
も、それらの科学的製法や精製
根拠は解明できていても、歴史
学と考古学と民俗学と冶金学が
手を取って高次に融合させて真
の学究を成す潮流は日本には存
在しない。くだらない縄張り意
識と権威主義が日本の学術界に
は根付いているからだ。
日本は「学問の国」ではない。
日本人が日本を駄目にしている。
超古代製鉄関連でいえば、そう
した学術界の横の連帯が日本に
は不在であるので、日本の神社
になぜ赤い神社と白い神社が存
在するのかについても考察をめ
ぐらす事さえできないのが現状だ。
神社の赤白は、あれは超古代
製鉄の土か砂鉄かの違いと、そ
の技法を誰が掌握していた歴史
があるかの違いだ。
それらが学術的に証明されれば、
超古代赤土製鉄から古代砂鉄製
鉄の点と点が線で繋がり、さら
に日本史の中での神社の成立
経緯や為政者の統治実態の歴史
が一気に解明される。
それができないのは、それを
されたら困る勢力が学術界に
根を張っているからだ。
たとえば、古墳などを全国で
すべて学術調査発掘したら国定
教科書の記述がひっくり返るだ
ろうが、そうなると都合の悪い
勢力が学術界で権威を保持し、
保身しているというのが日本の
学術界の実態なのだ。
赤土製鉄による低炭素鉄であっ
ても、卸鉄(おろしがね)の技
法によって炭素鋼に変化させる
事は可能なのではなかろうか。
吸炭加工を巧みにする事で。
鉄の硬度は炭素量で決まる。
しかし、現代では卸鉄ができる
鍛冶職は絶滅寸前なので再現は
困難かも知れない。
そして、砂鉄至上主義が日本の
鍛冶職のみならず冶金界にも
蔓延しているので、リモナイト
製鉄による超古代製鉄の再現や
研究も進まない事だろう。
その中にあっては例の学術権威
主義による学究阻害も現に存在
しているようだし。
赤土には何がある。
赤土には何かある。