渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

茅ヶ崎みなみ動画

2024年01月07日 | open

【100の質問】バイク女子に禁断の
質問でまさかの回答が…!年齢は?
職業は?ツーリングでやらかしたことは?


可愛く清潔感あふれる看護師さん
なのだ。

これでいいのだ。
茅ケ崎みなみ

茅ケ崎みなみ

【バイクでグルメ探訪】おいしいって、たのしい。をモットーにバイクで各地を巡ってます。最近はスーパーカブでお仕事。帰りに街グルメにどハマり中(重要)CBR250RRと...

YouTube

 

 


藝州鍛冶 大山宗重 ~天正年間~

2024年01月07日 | open
日本刀の変遷 ~鐵と鉄を探す旅 その2~ - 渓流詩人の徒然日記

日本刀の変遷 ~鐵と鉄を探す旅 その2~ - 渓流詩人の徒然日記

旧山陽道である。この区間は古代山陽道とも同一で、安芸国大山峠を下った地点、旧大山駅家(うまや)の付近からさらに西に数キロ進んだ地点だ。江戸期に開けた広島城下から...

goo blog

 

日本美術刀剣保存協会の協力
団体である広島県美術刀剣
保存協会の方から連絡あり。
大山住仁宗重(天正八年二月
吉日)を秋に開催する広島県
内の美術館での郷土刀の刀剣
展示会に展示したいので貸し
出して欲しいとの旨。
日本刀文化広報の一環として
快諾した。
ただ、私の個体は武術で使用
している差料であるので、美
術刀剣展示には耐えられない
惧れがある。
フル美術研磨に出しても良い
のではあるが、間に合わない
かもしれない。
うちの刀剣会のメンバーの所有
する同人作についての展示貸し
出しを来週の東京での会合の
時に交渉してみようと思う。
そちらは、美術刀剣としては
極上研ぎ済みで保管中だ。

日本刀文化を多くの人に知って
もらう為ならば、美術館への
無償貸出しは私はいとわない。
古刀無銘三原も所蔵刀の中に
ある旨をお伝えした。

極上美術刀剣研ぎの研ぎ上がり
での保存状態だ。

もしかすると、検定の上その
三原も展示
されるかも知れない。
私が持っている時代刀剣は、

先祖からの伝来の差料を除い
て「私物」ではなく、日本の
歴史の中で一時だけ私が預かっ
ている物だと私個人は認識して
いる。
教育委員会に登録証届け出の
法規上は
私の所有物であっても、
それは
私的個人の財産ではない。
文化
財的存在として時代刀はあ
り、
国の歴史の宝だ。
ただし、高位鑑定を取ると、

課税対象となるケースもある。
法的には「資産」とみなされる
からだ。
そして、法規上の国宝や重要文
化財
指定を受けると、本当に自
分が
保管しているだけとなり、
売買
譲渡等も国の許可なしでは
でき
なくなる。
それは良い面もあり、不自由な

面もある。
「貴様は俺の弟子だ。これを
進ぜよう」とおいそれと刀を
見込んだ人材に贈与する事に
さえも税金が発生する事にも
なる。

日本刀を貴金属や高額絵画と同じ
ような資産品と見立てるとそう
なってしまう。
私はそうした法的縛りの枠外で
の歴史遺産保存伝承継承に貢献
したいと個人的には考えている。

現在の広島県は備後国と安芸国
の二国にまたがっている。
備後刀は備前刀とも並ぶ一大
刀剣生産地だった。鎌倉南北朝
の頃から戦国末期まで。
そして、戦国末期(末古刀)から
江戸期の新刀の時代にかけて、
新刀の各流派に散った。
一方備前鍛冶は、未曾有の大洪
水により、若い二名を残して全
滅し、備前刀の命脈は絶たれた。
生き残った者が江戸期に再興し
た製法は、新鋼を使った新刀
製法であり、古来の備前伝とは
呼べな
い。

そして、備後刀、安芸刀も江戸期
には製法が大転換になった。
備後刀では三原鍛冶(尾道が地場)
の末裔は戦国末期に新たに誕生し
た三原城の三の丸内に鍛冶場を
設置して末裔たちが鍛刀に勤しん
だ。
また、ある末古刀三原鍛冶の脈流
は備中青江派と血脈合流し、備中
にて水田国重派を形成した。
時流に乗り、古伝から相州伝風な
作域に転換して人気を博した。
脈流の一部は武州にまで移住した。

そして、肝心の安芸国大山鍛冶
なのだが、この脈流は三代(四代
とも)宗重延道彦三郎を以て、
刀鍛冶としての命脈は途絶えた。
三原等の備後鍛冶の命脈が幕末
まで枝分かれしながらも存続し
たのとは全く異なる、パタリと
途絶える運命を辿ったのが芸州
大山鍛冶だった。
通常、刀鍛冶は古来からの脈流
を何らかの形で別派になろうと
も残し伝えるが、大山鍛冶は
パタリと途絶えている。
まだ歴史背景を私は検証してい
ないが、これは単なる後継者
問題ではなく、地場の産鉄製鉄
継続に何らかの阻害要因が発生
して、そして原材料を入手でき
なくなったからではなかろうか
と推測している。
大山鍛冶は、他の刀剣大生産地
のような製品鉄を入手しての
加工刀鍛冶ではなく、製鉄その
ものに大きく関わっていた節
が強いからだ。
それは、鉄滓の大量出土もそう
した自家製鉄の事実を裏付けて
いる。
また、大山付近一帯は、小規模
なタタラ場が無数にあった場所
であることは地元郷土史研究者
たちによって明らかになってい
る。
私個人は、地場製鉄が何かの要因
で継続不能となり、その頃出回り
出した製品新鋼によっては古伝の
日本刀の体を為さない事が発生し
たのではなかろうか、と推測して
いる。

日本刀史の全体の流れからして
そのような気がする。
古刀と新刀期に跨って鎚を振る

って利刀を作った豊後刀工群と
は対極にある
行く末を芸州大山
鍛冶は辿った。

そして、実際には、日本全国の
刀鍛冶たちは城下町に
大量移住
した。そうした刀鍛冶は、かなり
の研究と努力もしたのだろう。
何とか
流通製品新鋼でも刀剣ら
しき物
にまとめる事ができて、
命脈を
保った。
しかし、中には、江戸という大

城下町に移住した後も、今の新
鋼では駄目だ、古い鉄でないと、
という原点回帰を目指して古鐵
→虎徹と銘を切った利刀製作鍛
冶も登場した。

だが、新刀時代は、それまでの古
時代とは異なり、鉄の現地色が
濃い
「五箇伝」は完全消滅した。
刀工単体の流儀とその弟子という
徒弟制が貫徹されたのが江戸期
新刀の特徴だった。
そして、それらはやはり極めて
途絶えやすかった。
かの虎徹の脈流でさえそうだった。

(たぶんあれは政治圧力による
一族の抹殺)
名を成した刀工が血脈や流門で
栄えるのはせいぜい数代に留ま
るケースが多かった。

さらに日本の歴史には衝撃的な
事実がある。日本刀についての
歴史の真実として。

実は、江戸前期にそれまでの数
百年の歴史を持った古来の日本
刀の製作方法は新刀製造方法に
転換したために、古刀製作法が
完全失伝した。
これは刀剣界でも日本史の中でも
よく知られている。
衝撃的事実はそれではない。
実は、江戸中期、新刀さえも新規
注文が完全に途絶えた時期が数
十年存在し、その時期に日本刀
そのものの製作方法が日本から
一時完全消滅したのだった。
これはほとんど日本人にも知ら
れていない。
そのため、どうにか日本刀の作
り方を古い資料などから研究し
た刀工がいて、それにより、「多
分こうだっただろう」という事
で日本刀の復元に成功したのが
幕末の始まりあたりだったのだ。
日本刀の作り方は歴史の中で
二度失伝している。
第一次が戦国時代が終わり、
江戸期に入る時代。古刀の製法
は材料が決定的に異なるように
なったために完全に失伝した。
第二次は江戸中期。
この時には刀剣自体の作り方が
もう全く
分からなくなった。
鉄砲鍛冶でさえ包丁鍛冶として
転業してかろうじて生き延びた
時代。

現実には三度目の消滅危機が
昭和40年代にあった。日本刀の
材料が枯渇したからだ。それ
ゆえ自家製鉄に多くの刀鍛冶が
舵を切ったり、スポンジアイ
アンの試験的使用が試みられた。
だが、自家製鉄においては、殆
ど満足の行く結果は得られなか
った。卸しガネの技法さえも
失伝により復元不能だったのが
昭和40年代当時の戦後の刀鍛冶
だった。
美術刀剣史観にどっぷりと感化
された戦前~戦後の刀鍛冶たち
は、材料頼りの製法に依拠しす
ぎたため、強靭な日本刀を製作
できるどころか、材料自体を
使い果たして途方に暮れたのが
私が中学の頃の昭和40年代後半
だった。そうした中、一人の刀
工(文化庁正式免許)が、現代
製法を一度捨てて自家製鉄によ
る古刀再現に挑んだ。
刀工登録の年の出展でいきなり
入賞した。古刀然とした地鉄の
潤いは刀剣関係者権威筋をして
も驚嘆せしめた。
だが、権威筋のある者は言った。
「古刀の銘をすりつぶして新作
刀剣展に出品してもらっては困
る」と。
憤慨したその刀工は、翌年から
は出品を拒否した。
やがてそれから、古刀再現の
研究の中で、特殊炉と特殊構造
と鍛造法、特殊焼き入れによっ
て従来の日本刀のうちの一部の
利刀がそうであったように「斬
鉄剣」を作る事に成功した。
なお、これは私が後年指摘した
が、その刀工の焼き入れ方法は
奇しくも野鍛冶の鎌鍛冶が行な
う方法と酷似している。
そして、その後、数十年を経て、
東北の雄たる反骨の一人の刀鍛
冶がやはり斬鉄剣を作り上げる
事に成功した。この第二斬鉄剣
の製法もたまたまの偶然だが、
焼き入れについては、まったく
第一斬鉄剣の東京の刀鍛冶と同
じ態様の焼き入れ方法だった。
山を登るルートは別だが、頂上
近くになるとルートが狭まって
いつしか同じ道を登るのにそれ
は似ている。
そして日本刀の利刀を作る秘訣
は、今ねじ曲がった意図的な現
代キャンペーンが行なわれてい
る脱炭素ではなく脱酸素だ。
日本刀消滅の三度目の危機は、
関係者の努力により、出雲たた
らを復活させる事で解決をみた。
1980年から出雲たたらの新鋼
は国内刀鍛冶たちに配布販売が
開始された。(刀鍛冶以外は
購入できない)

それ以前の1945年の完全消滅
の危機は、日本刀関係者の努力
とGHQマッカーサー元帥に日本
刀の美術性を認識してもらう事
でどうにか日本において日本刀
そのものの存在存続と製造の存
続が可能となった。
だが、人身御供として、戦時中
の軍刀は日本刀ではないただの
凶器とみなされて、法的にも製
造禁止にされた。これは軍事力
永久放棄の一環として遂行され
た。

実は鎌鍛冶等の野鍛冶には
古刀製法の技法の残り香が存
在したりした。焼き入れや
卸し鉄という鋼のリセット方
法や鍛造方法に。
だが権威にすがる刀鍛冶たちは
江戸期だけでなく現代でもそう
だが、野鍛冶を見下してそこか
ら鍛冶としての根本を見つめ
直して学ぼうとはしない。
こうした特権意識的な睥睨感は、
社会学的にみて、刀鍛冶のみが
鍛冶職としては早期に脱賤して
独自の地位を築いた歴史と無縁
ではないだろう。
歌舞伎役者がいつの間にか江
戸期の裁判で脱賤して「梨園」
と称して名門名家のように自己
認識した社会的精神構造に酷似
している。
歌舞伎役者はそれを記念して、
ようやく念願叶って一般市民と
なれた事を血と涙の歴史の演目
とし、それを十八番の箱に入れ
てオハコとした。
刀鍛冶の世界ではそうした動き
は皆無だった。
むしろ積極的に刀鍛冶である
のに受領(ずろう)という官位
を大枚はたいて取得して権威
づけしたがったのが江戸期の
刀鍛冶だった。
虎徹(みのすけ興里)や大村
加ト(かぼく)などのように
そうした動きに一切興味ない
刀鍛冶はむしろ稀有だった。
一般的な刀鍛冶特有の睥睨感
を伴う優越意識は、これは鍛冶
発生当初から刀剣を持つ時の権
力者に付随する存在だったから
だろう。階級は最下級に置かれ
ながらも、何かしらの権威意識
の発動を惹起させる精神構造が
あったのだろうと推認できる。
また、刀鍛冶が他の諸業職人
たちと同じく元来は賤民階級
に置かれていた事などは日本
の国定教科書では教えない。
刀剣界でもそこは詳らかにす
る事は避けている。

現代において「日本刀製作」と

している製法は、幕末に推定で
復元した製造法に完全に依拠
した方法での製作となっている。
一部の古刀再現を目指す現代
刀工以外の刀鍛冶は、政府や
国(文化庁)の意向に沿って
復元大型永代たたら新鋼
での
日本刀製作を行なっている。
それ以外の鋼は認めない。小

規模自家製鉄を除いて。
これはこれで良い。
今の靖国たたら→出雲たたらが
消滅したら、日本の歴史で完全
に永代たたら方式の製鉄技法が
消滅するからだ。
だが、そこで作られた鋼を用い
ての日本刀製作は、古刀の原料、
刀剣製法
とは全く異なる。幕末
刀の
再現を現在の日本は実行し
いるのである。
砂利のような新鋼であっても、

刀の形にさせたら脆すぎてナイ
ロン紐を切っただけでボロッ

大欠けする刀であろうとも、

それでよいのだ。
それらはかつての
武士が腰にした
日本刀ではなく法的にも定められ
た「美術刀剣」なのだから。
武器としての強靭さがあっては

ならないのだ。
日本刀の形をした鋼の焼き物
オブジェなのだから。
だからモデルガンが壊れやすい

材料を政令で定められているよ
うに、現代美術刀は武器ではな
なく、伝統武術で武用に使う物
でもない鑑賞専門の日本刀の形
をした鋼の焼き物なので、それ
で良いのである。
それらは決して武士が存在した
ならば武士たちは持たない物だ
が、現代は武士もいない。
現代刀は刀ではなく「美術刀」
であるので、ある意味、とても
正しい姿を再現しているといえ
る。鋼を使った日本刀に似た物。
プラスチックモデルガンが実弾
発射機能が材料面からも構造面
からも一切持っていないのと
同じ態様の材料、作り方をして
いるのが現代美術刀なのだから。
今のままでいいと私は思う。
本物の日本刀を作るのは志ある
ごく一部の刀鍛冶だけで。
実際に現代刀工が現在約300名
いるが、
そうした本物の刀を
作ろうと
している刀鍛冶はほん
の数える程
の員数しかいない。
だが、それでいいのだ。
300名全員が本物の日本刀を作
ろうとしたら、絶対に権威筋、
権力筋から圧力がかかって、下
手したら刀剣製作者そのものが
消滅させられてしまうだろうか
ら。

日本刀は古刀に限る。
これは日本刀を知る人たちには
巷間人口に膾炙されてきた事だ。
それは極めて正鵠を射る。
ただ、仮にタイムカプセルのよう

な物があったとして、古刀期の
原材料があったとしても、古刀
再現は難しいのではなかろうか。
大型送風を以て為す現代の刀剣
製作方法では。
材料だけ古刀用でもだめで、古刀
再現には、作り方だけでなく、
炉のあり方そのものも古刀様式で
ないと再現復元は不可能だろう。
ただ、それを表立ってやると、

権威筋からつまはじきにされる
という構造が日本の現代の刀剣
界には厳然と存在している。
古刀の再現はなおさら困難な道
となっている。
幕末製法の復元刀でも刀は刀だ。
それさえも無くなるよりはまし
なのだろうが、日本刀剣界には
日本の負の遺産としての権威主
義による壮絶なパワハラ構造が
今でも強く残っているのである。
もしかすると、平和な時代ゆえ
刀剣需要が消滅したから江戸期
の刀鍛冶が消滅したのではなく、
何らかの政治権力構造の中での
圧力(刀剣関係者が大きく関与
している)によって江戸中期に
刀鍛冶は一時絶滅したのかも
しれない。
元和偃武の成れの果てだけでは
なく、江戸期に確立した現代ま
で続く権威主義ヒエラルヒーが
江戸中期に刀鍛冶たちをこの世
から一時的にいなく
させたのか
も知れない。

そのあたり、江戸中期の社会情
勢の歴史の真実と向き合って、
往時の社会実情と克明にすり合
わせ
しながら深く研究した者は
残念ながらまだ
見ない。
それをできるとしたら、熊本大

の医師でもあった福永酔剣先生
だけだっただろう。


立て直せない国

2024年01月07日 | open






1980年代後半の北朝鮮のファッ
ション誌である。ファッショ誌
ではなく。
戦後日本が戦前から建設していた
インフラを利用した北朝鮮は発達
した工業国だった。
朝鮮という国が二つに割れた以降、
北は先進性を持つ工業国、南は
工業化に立ち遅れた農業国だった。
北朝鮮の繊維工業は発達していて、
GDBもかなり高く、「裕福な国」
だった。
まだ後進国だった中国が北朝鮮
に留学生を送り、先進繊維工業
技術を学んでいたりした。
だが、ソ連の崩壊により一気に
北朝鮮の経済は奈落の底に落ち
て行った。軍事だけでなく経済
圏域としても赤い防衛ラインが
消滅したからだった。まだ中国
はほぼ全員人民服の時代だ。
中国に市場を求めるのは無理だ
った。
北朝鮮は生産力が一気に落ちて
農業生産も同時に60%以上が
停滞し、これまでの豊かな国か
ら一転して累積数百万人から数
千万人の餓死者を出す最貧国に
転落した。
国体の如何を抜きにすれば、北
朝鮮が「地上の楽園」であった
時期は、戦後から1980年代後半
までの時期には実は確かにあっ
たのだった。

今は南朝鮮の音楽を聴いただけ
で拘束され重罰に処される。
下手したら公開死刑だ。

いくら経済的に、つまり金銭的
な潤沢さを持っていようとも、
そんなのは楽園でもなんでも
ない、という事だ。
だが、日本もこのままではやがて
北朝鮮のようになる。
それは北朝鮮型似非「社会主義」
という形ではなく、「自由と民
主」
という本当は自由と民主主
義とは
無縁な勢力の動きによって。
確実になる。
そうした兆候は、この日本でいた
るところに既に噴出しはじめて
いる。

多くの日本人の富裕層が海外に
生活の拠点を移している。
俯瞰して先が見える連中なのだ
ろう。ユーチューバーにさえい
る。海外にいながら日本や日本
人についてあれこれ無責任な
論評をして集客集金している。
だが、それは母国を母国人とし
てなんとかしようとする心を
捨てて自分のみ延命しようと
する亡国の民のやる事だ。
たとえ泥の船であっても、沈み
かけた船から真っ先に自分だけ
逃げる。同胞を見捨てて。
それは売国奴に等しい。


独ヲタアッキーの日常

2024年01月07日 | open

 

独ヲタアッキーの日常

独ヲタアッキーの日常

独ヲタ女子【*アッキーch*】のサブアカウントです。

YouTube

 



アッキーからラインメール来た
ので、新チャンネルを登録した。
うちのウェブ日記に1日に来る人

の数より少ない時点で登録でき
た。
うちは日本刀ネタがメインだった
頃は1日に3万人が来て8万回閲覧
だったが、あまりにネラーが粘着
犯罪を執拗に行なうので記事を部
分的にパスワード制にしたら今は
激減。
でも、それでいい。
今でも粘着ネラーの犯罪者が犯罪
を続けているが、クズはどうでも
いい。
何も換金化などしたこともない
し集客が目的でもない。
好きな人だけ見ててくれればいい
が、今のネット時代、大抵クズは
湧く。人間社会、ゴミは出るもの
だ。

アッキーの超人気YouTubeメイン
チャンネルはこちら。

独ヲタ女子【*アッキーch*】

独ヲタ女子【*アッキーch*】

笑い袋を声帯に宿したバイク・キャンプ系YouTuberです。【いろはラーメン.】という名前ではイラスト活動していて同人誌作ってます。◾️サブチャンネル@dokuota-akkie-n...

YouTube

 


日本史の嘘。僕も騙されました…【ホリエモン・切り抜き・堀江貴文】

2024年01月07日 | open

日本史の嘘。僕も騙されました…
【ホリエモン・切り抜き・堀江貴文】


井沢氏の言ってる事は正しい
と思う。
でも、歴史を俯瞰できない人
だらけなのは、そうした教育
を受けて来た人が日本人全員
だからなのでは。
要するに「ある決められた方
向性を持たせるための教育」
という。
それはもはや真理探究を追求
する学問でも教育でもなく、
洗脳だ。
今のゆとり世代が知力激低下、

学力も偏波な教条主義状にな
ったのも洗脳教育の末だ。
ただ、ゆとり世代に代表される

思考停止の人間たちを製造した
のは、ゆとりのはるか以前に
「事なかれ主義」で世の中を
作ろうとした連中がやった。
戦犯はその当時に社会の中心
層だった戦前戦後派とそれに
一時は異議申し立てをするも、
その後身を翻してひれ伏した
団塊世代だ。


団塊世代の子どもたちがゆとり
世代だ。躾も教育も何も無い
放置無教育世代。
ゆとり世代の人間たち自身の
みに責任がある
のではない。
家庭教育と躾を一切放棄した
団塊世代とポスト団塊世
代が
日本のダメ社会を作り上
げた。
全共闘運動などに参加した世代
のほとんどが、企業戦士として
モーレツ昭和社員になった時点
で、今の日本の行く末は決定し
いた。
また、牙抜け従順保身の冴えは
掌返しが巧妙だった団塊世代こ
そが天下一品であり、彼らが
今の日本を作ったといえる。

周囲に団塊世代がいたらその
子たちを見てごらん。
ほぼ全員に近い連中が自分中心
の駄々こね幼児で、頭も冴えな
から。身体も冴えない。
グーパーしかできない身体能力

になってしまっている。
そして、それはゆとり世代と
ポストゆとり年齢層とピタリと
合致す
る。




リーンウィズで走るヤツ現れる

2024年01月07日 | open

リーンウィズで走るヤツ現れる


こらおもろいわ~。

完全リーンウイズではなく浅い
ハングフォーム取ってるけどね。

この人の動画ではこれがとても
参考になっただす。
【忖度なし】ミシュランロード6から
ロード5に履き替えて公道インプレ


新原付制度の問題点

2024年01月07日 | open



2025年中に開始される新原付
制度。

これをよくひも解いてみると、
はっきりと見えて来る事がある。
世間ではそれが見えておらず、
なんだか誤解している
面が多く
見受けられる。

内実は、この新制度は新規排
ガス
規制を現行50cc車両がクリ
ア不可能だ
からその50cc第一種
原付の法的縛
りを拡大して、デ
チューンした
出力が極度に低い
125に適合させ
よう、というも
のだ。

つまり、原付一種相当免許(道
交法と車両運行法は異なる)で
125の車両に
乗れる、というもの
ではなく、
新たに原付一種車両
相当の125
を設定して、その車両
に限り
原付免許(実技無しの学
科試験
のみ)でも乗れるように
するだ
けの話。
当然、125であっても原付一種
(50)縛りの道交法が適用され、
二段階右折と30km/h速度制限
が適用される事になる。

「原付免許で125に乗れるよう
になる」と
ぬか喜びしている人
たち多すぎ
ないだろうか。
中身は逆なのだ。
特定125(50並みの動力性能し
か持たない新作デチューンバイ
ク)
をこれまでの50扱いにする
だけの法改正
なのが真実の実体
だ。


これは、排気量による免許区分
を実行している現行制度の改変
なのだが、非常に法的にも整合
性を欠く「特例事案」となる。
それは、現在大型二輪免許の
教習所で多く使われている
ホンダのNC750Lなどはどうい
う事なのかという問題。
NC750Lは2気筒745ccで馬力は
37馬力である。
少し前の250ccの国産二輪の
出力はメーカー自主規制で
45馬力だ。400は59馬力。
その後250が40PS、400が53
PSへの低下自主規制となった。
ナナハンのオートバイが37PS。
これは250よりもかなり低い
馬力しかない二輪という事に
なる。排気量の大きい分トルク
は太っているが、出力を現在
道路を走れる古い250よりも
かなり低くした形だけの大型
二輪という事になる。
それで取った免許で大型の排
気量無制限の二輪が運転でき
る事にしてしまっている問題
が現代は存在する。
かつての免許制度はデチューン
バイクで簡単にして免許を取ら
せる思想は存在しなかった。
実質公道を走っている車と同じ
車で教習なり一発検定をして
いた。カレーが辛いから砂糖を
入れましょう、みたいな変な事
はしていなかったのである。

そして、現在は普通二輪免許で
新車で80馬力の400さえ乗れる。
そうした時、「排気量分けの
免許制度は何なのか」という
問題が日本の社会制度として
横たわっている事に気づく。
大型免許があるのは明らかに
法的にも論理的にもおかしい
という根本問題の矛盾が露呈
する。
「自動二輪」は自動二輪で
一括りにするのが本来の二輪
免許制度の整合性を担保する
のである。
そもそもが、1975年の世界で
類例を見なかった法改正の
日本独自の自動二輪免許を
二分化して排気量によって
運転可能な二輪を定めると
いう悪法成立こそが根本的
に現行免許制度の矛盾を発生
させている。法的にも整合性
が無く、非常に珍妙な制度と
なっている。
まあ、憲法で軍事力はこれを
保持しないといっても、名前
だけ自衛隊とした国軍を保持
するような国なので、自動車
の運行に関しても出鱈目な
法律を勝手に国(=統治権力
の実体である警察)が作って
それを制度として施行してい
るのが日本という国だ。
日本という国号さえも法的に
定めていないという世界でも
例のないこの変な国。
つまり、実際は法律などあって
無いような国がこの日本という
国なのだ。法的整合性も何も
あったもんじゃない。

新原付制度は、排ガス規制を
クリアできないという問題か
らの苦肉の策だが、「原付
免許で125に乗れるように
なる!」とぬか喜びしている
人たち、多くないだろうか。
本当は逆だ。
「125なのに50の道交法が適用
されてしまう」なのだ。
低出力125をそれまでの原付
一種
と同じとみなす制度が新
原付制度なのだ。

では、現在大型二輪免許取得で
使われているホンダNC750は?
250よりかなり低い馬力の車
免許を取得できるようにして、
排気量無制限で高出力車を
運転
できるようにしてしまって
いる
その問題点はどう説明すると?

何か根本的におかしいでしょ?
新原付制度は、法は整合性の
確保を目指すという「法の精神」
から
したら。

1975年法改正が根本原因なん
ですよ。
自動二輪免許を二つに分けて
排気量によって免許ごとに乗
れる車を限定したから。
同排気量でも大排気量車を上
回る機種が開発されたら、そ
の免許区分は全く「拘束性を
求めた法改正」の意味が消滅
してしまう。
1975年の日本独自の法改正を
考案した人間は、本当に目先
の取り締まりだけを考えた
「国家百年の計」を持たない
人間が成立させた仕組みだと
思いますよ。

そして、1975年法改悪の骨子を
引きずったまま、日本国家と
警察は1995年にさらなる法改悪
を断行した。
それは「自動二輪」制度を無く
し、普通二輪と大型二輪という
新制度を新たに作り出した。
これはアメリカの圧力に負けて
教習所免許でも大型車に乗れる
ようにはするが、何としても
旧限定付制度は保持したい、
というこれまた苦肉の策、メン
だけを優先した政策だった。
本来ならば、1975年10月以前の
免許と同じように「自動二輪=
排気量無制限」という免許に
戻すのが一番法的にも整合性
が確保されるのに、何としても
「国民に二輪に乗らせない」と
いう目的で国家権力が作った
1975年法改正の骨格だけは残し
たかった。
戦後日本の最大国民統制が破防
法の制定と1975年の
免許制度
改定だったから。

国家権力がなりふりかまわず自
由に国民の乗り物を規制できる
という事を実行したのが75法改
定だから。ゆえに95年改正の時
には、これだけはアメリカ
に何
と言われようと墨守した
いのが
国家権力だった。

(道交法制定などは国民的議論
などは一切されない。権力が
勝手に御用学者を集めて作る。
そのため、原付の30km/h規制
などという現行社会現実に全く
そぐわない法が成立して運用さ
れていたりする)

今の二輪免許制度は、1995年に
改定され、排気量ごとの免許区
分を強化したものだ。
1975年の法改悪は自動二輪免許
を条件付、条件無の二種類に分
けるものだった。なので400も
750も同じ自動二輪免許だった。
中型限定免許で750を運転した
ら条件違反のみ。これは法的に
当然だ。違反点数加点は2点。
(違反点数は減点ではなく加点)
だが、1995年新免許制度では
別免許となったので、普通二輪
免許で大型二輪を運転したら
無免許運転となり一発免許取り
消しになった。
つまり、排気量しばりの免許制
度として1975年規制をより強化
した内実を持たせたのが1995年
新免許制度であり、これはアメ
リカの圧力に屈した日本のせめ
てもの「独自規制」を敢行して
やるというくだらないメンツと
意地を見せた新制度だった。
本来ならば1975年10月以前に
戻して「自動二輪免許=ハーレー
でも乗れる免許」にすべきだった
のだが、権力者の思惑は法的整
合性や合理性などは無視するの
が日本の国家運営の常だ。やる
訳がない。
そして、1995年新免許制度は
免許を取得する事自体はどん
どん簡単にした。
それから年を追って、じわり
じわりと首を絞める手段を講じ
た。
今、大型二輪免許を教習所で
取得した人が大型二輪で一年
以内に3点の違反をしたら、卒
業した教習所の卒検技能教官
に規定の実技学科講習を受ける
義務が設置されている。
それを受けなければ全免許取り
消し。
教習所でなくば、免許センター
での一発試験官に講習を受ける
が、そこでは旧限定解除以上に
「落とすため」の講習なので
ほぼ100%合格させない。
つまり法的制度の裏での国権
発動で免許を取り消す仕組みに
改変された。
そして、その特別講習から半年

以内に3点の違反をしたら即免許
取り消しとなっている。
現行の大型二輪免許制度はそれ。
過去規定年数以内に違反が無け

れば3ヵ月で点数は戻るが、新
大型二輪免許制度は、たった3
点の違反で即免許取り消しとい
う制度に改められたのだ。
これ、新たに大型二輪免許を
取得しようとしている人たち
知っているのだろうか。
免許を取るのは極めて簡単に

させて、かつ罰則は超絶強化
しているのだ。サラッと人知
れないうちに、警察権力は。
もろに権力の「飴と鞭」政策

であるので、権力の体質という
ものが
分かりやすい。
軽微な違反でも国家制度に背く

者は徹底的に取り締まる、と
いうのが真の目的だ。交通事故
防止のためなどは金科玉条であ
る。

これも1995年新免許制度以降、
「大型二輪免許も教習所で取
れる」として誤認から喜んだ
人たちが多かったのではなか
ろうか。
実はアメリカの圧力を逆手に
利用して、国家権力の強化
体勢を巧みに敷いたのが日本
の権力者たちだったのだ。
かなり狡猾である。
そのため得意の「飴と鞭」を
国家が実行するようになった
のが1995年以降の日本の二輪
免許の流れなのだ。
アメリカの圧力と国民の無知
を利用したので「アメと無知」
なのだろう。国家権力としては
してやったり、の感だろう。

今回の2025年新原付制度には
そうした根本問題を場しのぎ
と同時に国権強化の一環として
断行される背骨がある。
だが、そうした根本問題につい
ては「二輪ジャーナリズム」を
自称する連中は判っていても
指摘はしない。
日本の二輪界にジャーナリズム
もモータージャーナリストも
存在しないという現実があるか
らだ。社会問題などはあえて
目を逸らすのが日本の二輪界だ。
軒並みいいこちゃんぶりっこで
良市民ぶる。報道機関が権力の
手先となって。
そんなジャーナリズムは先進国
には存在しない。それは暴力と
弾圧で国を治める未開発国の
あり様だ。
だが、残念ながら、日本人たち
がやっている「二輪界の社会性」
などは、権力にひれ伏して真の
自由と個人の尊厳を大切にする
ものとはなっていない。真の社
会性などは持ち得ていない。
しかし、これは免許制度やその
各種規制によって決められた
ではない。
国民たる日本人の二輪乗りたち
が自分で自分の首を絞めている
だけの事だ。見て見ぬふりとい
事を行なう事で。
そして、自分だけ助けてもらお
と権力に尻尾を振って忠犬=
似非
良市民=ぶりを見せる事で
逃れ
ようとする。
そうした奴らこそ、実は国を亡
ぼす奴らなのだ。
自分の事だけしか考えない奴は
自分をも滅ぼす奴だ。

(映画『七人の侍』島田官兵衛
の台詞から)