渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

猫カゴ

2024年01月05日 | open


黒猫愛用の猫カゴはトラ子に
取られた。

寝てしまった。


諦めて置物になる黒猫。




カワサキの新型400

2024年01月05日 | open
 
ホントにこんなのカワサキが
出したら痺れるぜ。
【SCOOP!】カワサキ「Z400RS」が登場する可能性は70%! 2025年に400cc4気筒決戦勃発?!

【SCOOP!】カワサキ「Z400RS」が登場する可能性は70%! 2025年に400cc4気筒決戦勃発?!

目次 1 4発ネイキッド復活で熱い青春が蘇る!2 ベースモデルはNinja ZX-4R3 400は独自ネームになる可能性も4 カワサキ Z400RS[2025年モデル?] 4発ネイキッド復活で熱い青...

WEBヤングマシン|新車バイクニュース

 

 

 
 

私にはよく解らない感覚 ~元気の基は野性と知性と理性~

2024年01月05日 | open







これね、いつか言おうと思っ
ていたのだけどさ。
時々、漫画や現実世間の風潮
で私
には解らない事に出くわ
す事が多々ある。

例えばこの漫画『鐵馬とおっ
ちゃん』では50才代の男が主人
公なのだが、加齢による疲れ
とかをやたら描く。
まだ50才代でしかないのに、
大型二輪教習を真夏に受ける
のはきついとか、ほんの100
km程の片道を走っただけで
疲れ切っていたり、へとへと
になっている。
なんだ?それ。
まるで縁側で茶をすする隠居
爺さんみたいだ。
作者は80年代にはちょいエロ
漫画で人気あった漫画家さん。
珍しくバイク漫画を描いている。

さらにもっとひどいのは漫画
『キリン』だった。
主人公のキリン
は38才なのに
自分で「年老いた」
と「自覚」
して周囲からも「おっさ
ん」と
呼ばれてよぼよぼ老人扱いされ
いる。
見かけキリンよりもどう
見ても
お前のほうがオヤジだろという
ような若者
から。
俺などは38才の時は肉体的にも、

闘争心というかいろんな意欲な
ども18才の時となんら
変わりな
かったよ。


50才代で夏のバイクがきつい?
50才超時には俺などはビビスコ
ビンビンでやりまくってたぞ。
ズッコン!バッコン!パァ~コ!
パァ~コ!と。

サバゲを。
そして、63才過ぎてもバイク
などはサクッと乗って360km
の日帰りなどはチョイ乗りの
うちだぞ。
当然、ビビスコビンビンの
バッテリーはビンビンだぜ、だ。

世間の人たちは、もしかすると
実質老化が俺が考えているより
も早いのかもしれない。
中年になったばかりのまだ38才
のキリン
がもう戦えない年老い
たオヤジ
のような感覚になり、
壮年に入
ったばかりの50才の
鐵馬のおっ
ちゃんがやたらと
きついきつい
と言って、片道
たかだか100km
の走行をまるで
ロンツーのように言って
しまう。
なんだそれ?
よくわからない。
後期高齢者じゃねえんだから

よ~。みしっとしたらかっぺ、
なんだよなぁ。
漫画の主人公はたぶん作者の
肉体感覚の投影だろう。
漫画家さんは仕事がハード過ぎ

て全員早死にだし。身体酷使
し過ぎてぼろぼろの人たちだ
らけが漫画家の稼業だし。

さすがに俺も筋力は10代の頃
とは違うので、星飛雄馬の

リーグボール1号スタイルの

投球はできないが。
元々できないけど。
ホントにやったのは西本聖さん

くらいだ。ご本人曰く、巨人
の星の真似、と言ってた(笑


まあ、でもビビスコビンビンだ。
乗師ビンビン物語。

だってさぁ、所さんとか見てよ。
1960年生まれの俺の6学年上だよ。
だけどバッテリーは常にフル充電
だよ。
♪電流火花が体を走る~、だぜ。



舘ひろしさんなんて見てよ。
俺の11学年上だよ。
ちっとも年老いたジジイでは
ないよ。


そういうので行こうぜ。
世の中の男たちよ。
いつもいつでもピンコピンコ。
ビビスコビンビンだぜい。
ビンビンはいいぜ~。
ビンビンがいいよ。
ちょいと開けたら即ウイリーよ。
2回戦3回戦なんて当たり前。

ビリヤードの5ラック先取りね。
乗る気、やる気失せたら男は
ダメよ(笑

人それぞれパワーライフのやり
方はあるだろうけど、俺の場合
は剣術の立ちきり稽古と同じよ
うな事をどんなジャンルでも
やってみる。
つまり、レブリミッターを外す。
これは麻雀好きな人たちは経験
者たちだろう。徹夜麻雀とかは
それに該当する。
とことんやるのだ。もうできま
せん、という程に。
二輪走行でも「もうこれ以上は
走れない」という程まで一度
長距離を走ってみる。
玉撞きにしても他のスポーツで
も何でも、とことんやってみる。
絵を描くのでもいい。木刀の素
振りでもいい。真剣試斬でもいい。
もう身体が動かないという程ま
でやってみる。血反吐吐きそう
になる程まで。
私のビリヤードの最長は28時間
ぶっ通し撞きだった。ギターは
12時間半弾き続け。
古流抜刀術は、習い始めの時に
毎日500本抜き差しした。毎日
それを半年きっかりやった。
寝る間を惜しんで。
荒野の少年イサムのようにやった
よ。あいつは一晩徹夜でピース
メーカーの弾ごめ10秒以内を
マスターしたが、私は淀みない
抜刀斬撃と円滑納刀は一晩で
は無理だった。だから徹底して
訓練した。
そうしたら半年後には数段上の
抜刀技が知らないうちに身に
ついていた。私が初二段の頃に
周辺同段位と比較して事実とし
て突き抜けていたのはその初期
の徹底訓練の遺産だ。最初から
真剣を使用した。射撃訓練は
当然にして実銃を使うように。
本当に最初に毎日500本抜きを
半年続けてごらん。千本ノック
のように。相当抜刀納刀技が
さまになっている筈だから。
鯉口も一切傷めない。それを
やるのはド素人だ。刀の切先
は鞘の穴に入れる。鞘口に刺し
たりするのはそれは納刀では
ない。そして、私は抜刀斬撃
と納刀で手を切った事がこれま
で生まれて一度もない。
反復訓練を頭ごなしに否定する
人は、そうした域には絶対に達
しない。私は当時「切り」の
技量の良否については、同段位
同稽古年月の人たちの中では
日本一だったと思う。これ、奢り
ではなく。鯉口も何万回抜き差し
しても全く傷んでいない。
二輪連続走行は1000km台ちょい
切りだ。今は1日750km以上は
走ってはいないが。
そして、日本刀の瞬息抜刀納刀
で手を切ったことが一度も無い
ように、二輪での立ちゴケとい
うものは、二輪に乗り始めてこ
とし1月で丸51年だが、一度も
無い。これは排気量関係なく。
大型でも立ちゴケはした事が
無い。二輪での公道での走行
転倒は、1985年の秋以来一度
も無い。
学校の勉強でもそうだ。普段は
やらなくとも、やる時にはこれ
でもかという程に徹底的にやる。
やるときには徹底してやる。
そうした緩急の存在こそが生命
に活力をもたらす。
ただし、刀術で抜刀納刀で手を
切って損傷する事と二輪の立ち
ゴケだけはやる必要はない。
それはやって覚えるのではなく、
やらない事を継続して徹底させ
たほうが良い。列車が来るホーム
に飛び込むのと同じだからだ。
それらについては、「やって
覚える」というのは不存在だ。
この認識はかなり重要になる。
バイクの転倒挙動については
公道以外の閉鎖コースや私設
閉鎖空間で、低速度で転び覚え
たほうがいいかも知れない。
特にオフロード訓練は、やった
らロード部門でも技量は確実に
向上する。

そうした徹底的にやり抜く事を
経験すると、体内の何かの装置
が働き出す。
ベータエンドルフィンとかアド
レナリンとかそんなものではな
い。
「これ以上はやめたほうがいい
よ」という体内センサーが機能
し始める。
すると、人間の身体は尋常なら
ざる程の鋭敏さが発揮されてく
る。肉体の自己防御と緻密な
体内機能的な限界値内での発揮
能力の物差しが無意識のうちに
身体の中にできる。
同時に脳も身体もとてつもなく
活性化する。
要するに、使えるものを全く
殆ど使わないままで長年過ご
すと、脳と体がそれに見合った
ものになってしまう。
同時に、老化現象も一挙的に
進む。
多くの人がこれなのでは。
能力を使わないままで過ごして、
そして老いが加速度的にやって
来る。
なぜ人間以外の動物に人間と
同様の老化が無いのか。
動物とて老化はある。犬も猫
も。だが、人間の態様とは大
きく中身が異なる。

人間の生涯は時間的には犬猫
よりは長いが、ソウガメより
は遥かに短い。長く生きても
90年から100年程だ。平均寿命
が一世紀にはまだ達していない。
生きているうちにやりたい事を
どんどんやったほうがいい。
しかも、徹底的に極めるまで。
物見遊山気分でやるのではなく
極意を獲得する程までやる。
広く浅くではなく、広く深く。
チョン突きではなく貫いた刀身
が身体を抜けて向こうまで出て
鍔が身体に当たってようやく
止まる、という程まで突く。
そうした生き方をしていると、
老化はさほど進行しない。
いや、これホント。
確実に医学的には肉体が100%
老いるには老いて行くのだが、
その度合いが通常とは異なる
例を示し始める。
ちなみに、私はことしで64才
になるが、老眼というものが
殆ど出ていない。細かい字まで
よく見える。
これはオートバイのおかげだと
思っている。
一点を凝視せず、見の眼と観
の眼を瞬時に使い分ける事を
日常的にやっているからだ。
眼球機能関連の筋肉を使って。
また、マスターアイは右だが
これも瞬時に左右どちらにも
スイッチできる。これはサバゲ
などでのスイッチショット射撃
の必要性から。1980年代中期
には既にスイッチシューター
だった。
野球では小学生のリーグ時代
にはスイッチバッターだった。
バスケットでは左右の手での
ドリブルは誰でもできるが、
中学生の時には左右どちらで
も同じシュートができた。
これは70年代初期当時は珍し
かった。
右利きは大抵は左足をピボッ
トの軸足にするセオリーを
中学生あたりでは墨守していた
からだ。今は技術が進んだの
でプロと同じ技法を使ってい
るのかもしれないが。
ビリヤードでは最初から左右
の両手で同じようにキューを
さばいて撞いた。これは今で
もそう。目は瞬時にマスター
アイを左右替えて狙う。
とにかく目の使い方を弛緩さ
せたり緊張させたり、ピント
合わせを遠方だったり近場だ
ったり、マスターアイを左右
瞬時に転換したり等、そうした
任意自己コントロールする目
の使い方を常に日常的にして
きた。子どもの頃から。
すると、(あくまで私の場合は)
実例として顕著な老眼が発生し
ない。
眼球打撲による外傷性仮性近視
なので、自動車の運転には近視
用眼鏡を使用しているが、専門
機器による目の検査でも「老眼
はほぼ無いに等しい」との検査
結果が出ている。私が勝手に
適当な事を言ってるのではない。

この目の衰えが遅いという現象
はいろんな面で効能がある。
まず、日本刀の鑑賞が細部まで
肉眼で見えて鑑する事ができ
る事。これはかなり大きい。
それと、刃物の研ぎにおいて
研磨状態を肉眼で精査できる
事だ。こちらも大きい。
無論、還暦過ぎあたりなどは
40代30代と何ら身体的動作は
変わらず、チャッチャと何でも
やれる。
それは年をとっても、まるで
一度身に着いた包丁さばきが
もっさりする事のないように。
とことん、やってみるのがいい。
すると、できるようになる。

あと、もう一つの元気の秘訣。
それは、よく寝る事。
これは時間の長さではなく、深
い睡眠を取る事。
深い睡眠を取れるか取れないか
も、精神を含めた人間の能力の
範疇に入る。
睡眠を取れるかどうかそのもの
さえも人間力の一つとなる。
よく眠る事。これ、とてつも
なく大切。
元気な連中、修羅場でも生き
残って来た連中を見ていると、
眠る時にはコテンと即行で寝る。
どんな場所でも、眠ると自分が
意思を持ったら即眠れる。
そして起きる時にはパッと起き
る。野生動物のように。
人間には野性が極めて生物的
に重要だと納得する。
起きたら晴れならば必ず太陽
は見たほうがいい。
私はそれをやる。
太陽を見ると、人間の身体は
変わるからだ。これ医学的に
も説明されている。
体内時計が動き出すのだ。
そのような「目に見えない仕組
み」に元気の秘訣が隠されてい
る。
ビビスコビンビンでもズンドコ
ベロンチョでもどうでもいいが、
とにかくシャキッとしていない
と、多分だが、無駄に短命に終
わる。何もしないまま。
元気の基は、野性とそれを意識
的に喚起する方法を自分自身で
見つける独立自立的な知性と
自己制御を適切に行使する理性
の三位一体に尽きる。


オートバイが一番速い

2024年01月05日 | open


お気づきだろう。
かつて、1970年代に誕生した
和製英語だった「バイク」とい
単語は、今は世界共通語にな
ったことを。
英語では百数十年以上も発動
付二輪の事はモーターサイク
と呼ぶのが言語としての歴史だ。
しくは米語でのモーターバイ
クだった。
日本語で言うバイクというと欧
米では自転車の事を意味し、
語圏では全く通じなかった。
英語感覚ではバイクという言葉
は日本語のチャリンコに相当し
たからだった。
日本人でも例えばアメリカ人
がオートバイ(これも和製語)の
事をチャリだチャリだと言った
ら「え?」となるだろう。
かつて「バイク」という単語は
世界規模ではそれだった。

だが、1980年代後半から世界
GPの英語圏ライダーが日本製
マシンの事をバイクと呼び始め
て世界に日本語のバイクが徐々
に広まった。
そして30年が過ぎた今。全世界
にバイクという単語がモーター
サイクルを意味する単語として
定着しつつある。

日本が地球を変えた。
それは1960年代から2010年代
までの約半世紀、日本が世界の
輪を強烈に牽引したからだ。
ゆとり世代が中心となった今の
日本の工業力と知力では到底無
理。
今は世界戦で最後尾をやっと
走るバイクしか日本は作れなく
なった。コンピュータデータ
任せで人間不在で車を作ろうと
しているからだ。世界一の選手
が運転しても転ぶ二輪しか作れ
なくなった。
そして、日本の二輪メーカーは
やる気も無い。
目先の利益だけを追い求める
体質に世代交代したからだ。
国を滅ぼす世代が企業幹部と
なる時代となって。

この動画、コーナーのある
サーキットならばバイクが
ドベかリタイアだろう。
絶対に転ぶから。



ヤマハXSR125 ~高いのは値段かシート高か、あるいは質か~

2024年01月05日 | open






車両本体価格が50万6000円。
ワイズギアカスタムで32万。
合計82万円。
ちなみにXSR700が約100万、
初売りの頃は90万円。

この125、自動二輪エントリー
モデルとかになるのだろうか。
(車両は原付、免許は自動二輪)
たぶん、それは狙ってないの
では。
セカンドバイクとして、経済的
に余裕のある人たち向けのお楽
しみ小型車設定のように思える。

XSR125のシート高は810mm。
XSR700のシート高は835mm。
ちなみにゼファーχは775mm。
ゼファーχの場合、私は両足が
ベタベタに着くだけでなく、立
つとシートと尻が結構離れる。
ゼファーχとXSR125のシート高
の差は3.5センチ。XSR700とは
6センチもある。
シート高が6センチも違ったら
塩梅はかなり異なるのだろう。
シートの幅にもよるが。
RZ350のシート高は785mm。
グンバイクのCB750Fは800mm。
新型カタナは825mm。

そうして見ると、XSR700はかなり
シートが高い。

XSR700は、作った開発総責任者の
山本さん、
ご自分の身長に合わせ
たのかも知れない
あの人身長が
高いから。

XSR700は初期型のタイプRM22J-
B2G1の製作思想が良かった。

それはクロスプレーンコンセプト
というもので、ライダーのスロッ
トル操作に対しリニアなトルクを
創出することを求める設計思想だ。
本来、オートバイはそうあるべき
だと私は感じる。
打てば響く、というような生きた
鉄馬作り。
モノヅクリとしてのモトヅクリ。
そうした設計思想は、内実として
二輪車の本質を突く
質の高さを持
っていると思料する。



救出

2024年01月05日 | open





よかった。

冬の峠

2024年01月05日 | open
 


蜜柑畑がありそうな南に面した
南峠を走ったら、燃費は11km
台だった。
遠乗り巡行より一気に下がる。
でも、そんなもんだろう。
ロングツーリングではないし、
走ったなり。
路面温度は低いが、枯葉の絨毯
も全く無く、ロードの状態は最
高だった。