渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

帰還

2024年01月14日 | open



生まれ育った渋い街から今住む
に夜帰還した。
淋しい町だ。


仕方ねえ。
独り飲むとするか。
サンクス友よ。
またな。



ピンドラ/クリソー土産

2024年01月14日 | open
 


渋谷ピンクドラゴン/クリーム
ソーダの買い物はこれ。
高橋誠一郎さんが店長時代の
最後の売り上げがこれ(笑
でも、特別枠で半額で分けて
くれた。
ありがたし。
ソッコーで10分後から使い始
めた。
オイル持ってなかったので、
中身だけ手持ちジッポーと
差し替えて。
 
考えたらこれは世界に一つし
かない記念品だ。
高橋誠一郎さんが店長として
の最後の販売品を私が持った
のだから。
創業者の山崎さん、右腕のバン
ちゃん亡きあとのピンク
ドラゴ
ンの顔が高橋誠一郎
店長だった
から。
そして、これが、誠一郎店長
のピンクドラゴン/クリーム
ソーダでのラストショットだ。

43年前のセイちゃん誠一郎店長。

 

 

渋谷路地裏、渋い店

2024年01月14日 | open
 


高橋誠一郎さんに連れられて
渋谷の妖しげなストリートへ。
一次会解散のあと有志でドワッ
とシゲさんの店へ行く。
アーティストのシゲパチーノ
さんの店である。
クリソーオリジナルの生みの親。
渋谷の顔だ。
 
変なおっさん二人。
ヤマハMT07乗りと。
周り見たらラブホ街だぜ、ここ、
をひ(笑


お店はここ。
知る人ぞ知る。誠一郎さんの
旧友の店。
これはMCハチコマ新年会から
完全に誠一郎さんお疲れ様会
に移行だ。




二次会も終電組が大量に帰る
ので一旦中締め。
残ったメンバーは渋谷残留組。
隣りのドアの向こうの店もシゲ
さんの店なので、そちらにも
った。
結局、朝3時半まで飲みまくり。
良い店だ。
都内住んでたら俺は入り浸りだ。


本日、綿貫マイクは爆睡寝坊
でホテル朝食食べられなか
ったので、中目黒の駅そば
喫茶店でモーニング食べ
た。
一人は早朝チェックアウトで
TV局取締役と京都に向かった。
おいらとマイクはサテンで今
後のレース活動の話。
マイクはことしは世界を走る。
ヨーロッパと日本を行ったり
来たりなので、結構大変だ。
マイクはレースを小学生の時に
ホンダ純レーサーのRS125で
始めた。中学高校初期は
カッパヤだった。夏の
鈴鹿4耐での雨の中の18

抜きが懐かしい。
今21才。1000のレーサーに
る。
身長は青年になっても少し伸び
ていた(笑
ピンクドラゴンの高橋誠一郎
店長には殊の外可愛がられて
いる。
昨年フランスに行った時には、
一郎さんの紹介でピンク
ドラゴン
一族の有名シェフ
の店にも行
ったようだ。
ことし、怪我なく国際レース
走ってほしい。
成人したから一緒に酒飲める
のがいいぜ(笑

40数年前のセイちゃん。

 


イタめし屋

2024年01月14日 | open
 
ピンクドラゴン高橋誠一郎店長
お疲れ様会&パンクドラロン、
いやMCハチコマ(正式名称第8
コマンドゥ)の新年会のため、
谷の個室宴会場で飲んだ。

セイちゃんピンドラ最後の日。
 
 
ピンクドラゴンの隣のしゃれた
イタめし屋THE RIGOLETTO
で高橋誠一郎さんと8C-EAST
のヘッドと私で新年会前に時間
があるのでビールを飲んでいた。
すると、そこに花束を持った美
のご夫婦が誠一郎さんに御
と挨拶に来た。
奥様は創業者山崎さんの姪御さ
で、ご一緒の旦那さんはあの
ポマードを復活させて作った
本人だった。
ダブルでおどれーた。
 
他にもいろんな関係者から連絡
がひっきりなしだ。
やはり、誠一郎店長が引退という
のは寂しいものがある。





初雪

2024年01月14日 | open
 

1月13日、東京は初雪だった。
 


ピンクドラゴン。
 




高橋誠一郎店長在籍最後の日。
1/15ではなく1/13に繰り上
たそうだ。


この後、誠一郎さんとハチコマ
イーストのヘッドと3人で向かい
の店で時間潰しのビール。
1900から新年会&お疲れ様会。
 
二次会に有志は流れ込み、けさ
3時半まで飲んだ。
某管区長、綿貫マイク、私の三
の泊まりは私がよく使う
生まれ故郷中目
のホテル
KKR。愛車KRではない(笑
実は私が生まれた時に住んで
た家のすぐそば。歩いて5分。
国家公務員目黒宿泊所という
のが正式名称のホテルだ。


民間企業勤めの中国地区統括
責任者在任期間の頃、本社出
戻り出張で半月目黒本社勤務
の時などに滞在に使ったホテル。
もろに私の生まれたド地元に
ある宿泊所だ。
最初、本社総務部が勝手に宿
泊予約手続きをして決めたホ
テルだったが、これまた偶然。
私が生まれた時の
家の極めて
近所だったという偶然。ほん
の偶然。
そして、不思議な縁で高橋誠
一郎さんのご自宅から歩いて
3分程の場所にある。これまた
ド偶然だが、世の中不思議な
縁というものはあるものだ。
できれば、この先東京に帰還
転住の際には生まれ故郷の上
目黒、青葉台、東山あたりに
住みたいが、3~4億ほど動か
せないと家が買えないので
現実的にはこの辺りには住め
ない(笑
 
朝一で、某管区ヘッドは某TV局
取締役と共に仕事で京都へ。
新幹線の中から送って来た画像。
けさの富士はクリアなようだ。