渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

勤続49年円満退職 ~ピンクドラゴン高橋誠一郎店長~

2024年01月12日 | open




日本のロカビリー&ロックンロール
におけるファッションシーンをいつ
の時代もリードしたピンクドラゴン
/クリームソーダの高橋誠一郎店長
が勤続49年で今月1/15に円満退職
する。(誠一郎さんは47年とも言っ

たが正解には社歴では49年の模様)
私の誠一郎さんのイメージは上の
写真の頃の印象が強い。
おいらが高校~大学の頃(笑
今はマフィアのボスみたいな感じ(笑
下町生まれの江戸っ子なのに「ひ」
を正確に発音できる人(笑
小石川や神田三崎町あたりをウロ
ウロしてた俺のほうが発音怪しい。

今。


昨年の初冬から退職は個人的に
聞かされて知って
いたので、うち
の刀剣会モーターサイクルクラブ
の新年会と
一緒に勝手にお疲れ様
会を渋谷
でやる事にした。
最近になって「聞いたよ。辞め
んだって?」と個人的なお疲れ

さん会で連日のように芸能人や
関係者から飲み連れまわされて
いるらしい。
一ヵ月以上前からセイちゃんの
1/13(土)の身柄確保しといて
よかっ
たぁ~(笑
19時01分、確保!みたいに(笑

あした一緒に渋谷で飲むぜ。うち
の首都圏のMCメンバー十数名と
高橋誠一郎店長で。


「あしたヨロシク」と先ほど
誠一郎さんに電話入れたら、今
ちょうどクールスの水口ピッピ
さんが来たってさ

クールスの最初の頃のボーカルだ。
誠一郎さん、結構深酒みたいだっ
た。ヘロヘロ(笑
クールスの中ではピッピさんと

一番仲が良いらしいよ。
おない年だし気が合うらしい。
あしたは、最初ピンドラ行って、
それから店長とうちのメンバーで
夜の部に入る。

ミュージシャン、水口pitpiさん。

水口晴幸|PITPI Official Site

水口晴幸|PITPI Official Site

1974年12月舘ひろし等とともに東京原宿においてバイクチーム(COOL’S)結成。その後チームメンバーのうち8名でロックンロールバンドとしてデビュー(ニックネームPITPI)。1...

水口’pitpi’晴幸 Official Web Site |

 


ピッピさんもセイちゃんも71才
だぜ。
俺も8年後はこうでありたいぜ。

同じクールスだった舘ひろしさん

なんて73才だよ。
ウハハ。
男はこのように歳を取りたい。
ダンディ鷹山ね(笑




左コーナー厳重注意 〜あしたのために、走るべし、走るべし、走るべし〜

2024年01月12日 | open


日本は左側通行なので、左
カーブは特に注意する。
二輪で左コーナーで転倒し
たら、ほぼ右の対向車線に
飛び出すからだ。
そこに大型貨物などが来て
いたらまず死亡事故になる。
左コーナーは道路が蒲鉾型
のためカントがついた道路
と同じ状態になり走りやすい
が、左だけは転倒に要注意
だ。

右の場合は、バンクさせた
車体から身体がセンターラ
インの外に出ないように気を
つける事と、道路が蒲鉾型
なので、右コーナーは逆バ
ンク気味になるので要注意。
逆バンクになると、タイヤ
のグリップ力が低下するの
でスリップダウンしやすい。


左も右も、コーナーでは
サスペンションを充分に
沈ませて、コーナリング
フォースでタイヤを潰す
面圧をかける乗り方が重要
だ。
タイヤのグリップのみに頼
るただの車体傾けが一番転
びやすいので、そのような
乗り方は避ける。
タイヤは潰して、点ではなく
面を接地させて乗る。




公道で右コーナーが苦手なあなたへ

2024年01月12日 | open
 
 
私の峠の走り方 ~公道を安全に走るために~(2019年11月記事校正再掲) - 渓流詩人の徒然日記

私の峠の走り方 ~公道を安全に走るために~(2019年11月記事校正再掲) - 渓流詩人の徒然日記

【安全運転の本質を目指す】公道を安全にスムーズに、絶対に転倒せず。これが私のパブリックロードの走りの鉄則です。1985年、あることに気づき、それを解析し、体系化させ...

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私の事を「こんな乗れてない奴
見た事ない」とか「珍理論」と
かダダ滑りの頓珍漢かまして裏
ネット掲示板で匿名の陰に隠れ
て誹謗中傷を続ける本バカたち
はどうでもいいが、真面目に
生きている方々は事故は起こ
ないで欲しいと願う。
個人攻撃の薄汚いネット犯罪を
犯してる暇あったら、二輪の乗
り人ならば、走りについて考察
したほうが遥かに人生が豊かに
なる。
 
私は右も左も好きだが、日本の
公道のコーナーは右と左で物理
的な条件が異なるので、その差
異について知悉する事は無事故
継続人生に寄与する。
ほんのタイヤ1本でさえ違って
くる。
道のR通りに走行すると、高速
ではない快速度あたりの領域で
さえも、タイヤが滑って転びか
けたりもする。
 
撮影車はロードのRに沿うライン
のため、深い右で逆バンクに
り、一瞬トラクションを失
って滑ってステップを擦った。
上手いので転倒は回避した。

 
速度域は前に車が詰まっていて
巡行速度に落とした時にこれ。



どうしたらオートバイの運転が上手くなるか

2024年01月12日 | open
 
オートバイは楽器を演奏する
つもりで乗れば上手くなると
思う。
体幹を使う楽器として。
運動神経とか関係ないんだよ
ね、二輪の運転操縦って。
例えばスーパーノービスと呼
ばれた日本チャンピオンで
モリワキからホンダのワーク
スライダーになった宮城光さん
は、自身が言うにはとんでも
ない運動音痴だったという。
だが、彼はドラマーだった。
太鼓叩き。

緩急強弱の表現が絶対に必要
な乗り物がオートバイなので、
楽器を演奏するのと同じ感性
で乗れば、かなり繊細でシビア
な操縦も可能になると思う。
大雑把で操作はどうでもいいや
というのは二輪の場合にはダメ。
音楽を奏でるような乗り方を
するのがオートバイだから。
音楽といっても、珍走団旧車
コールのようなエンジンを傷
める虐待扱いは絶対にダメよ。

オートバイの乗り方

2024年01月12日 | open



(83ガンマ1型)


1980年代前半のある日。
二輪仲間たちと10数台で峠を
走った。
山中湖までの道だ。
ある峠の途中で休憩した時、
ある
主婦ライダーが私のバイ
クに乗
らせてくれと言う。
いいよ~ん、気をつけてねと
貸し
た。
来た道を下って行ったが、なか
なか帰ってこない。
こりゃ転倒したか事故ったかな、
という話になり、他の人と2ケツ
で引き返して探しに行こうかと
いう事になった時に、ゆっくり
戻って来た。
どうしたのか訊いたら、転ばな
ったけど、エンジンが突然止
まっ
たという。
そして、「ガンマってパワー
ない
のねぇ。6速でいくらアク
セル回し
てもちっとも前に進ま
ないの」と。

「エンジン止まって、やっとの
ことでかかったから戻って来た」
と言う。

それ、2ストの乗り方以前に根本
にオートバイの乗り方ではな
いか
ら(笑
パワーバンドとか全く知らない
感じ
だった。
「パワーバンド使わないと走ら
ない
よ」と言うと「パワーバン
ド?何
それ?」と言う。
あいや~。というかドッシェ~
だった。

プラグを見たら、ぼっこし被り
かけ
ていた。よくエンジンかか
ったなぁ
という程に真っ黒け。
すぐに予備新品プラグにその場
で交
換した。
普段はヤマハの4スト250に乗っ
てい
る人だった。

似たような感じの経験を数年前
した。
あるスポーツオープンの四輪を
運転していて、ヒール&トゥを
使いながら峠を走っていた。
3速でレッド下まで回してシフト
アップし、きついコーナーでは
H&Tでシフトダウンして2速で
旋回して立ち上がりでシフト
アッ
プ。
そういう走らせ方をしていたら
助手席の車のオーナーさんが
「トップまで入るよ」と言った。
あ!と思った。
これ1980年代前半に似たような
経験があった、と。

もしかするとオートバイでも
発進してすぐに街中でさえ6速
まで入れる人たちがいるのかも
と思った。
そんな乗り方してると4スト
400
でさえ、プラグ被りまっせ。
そして、基本、250の2ストは
6000rpm以下で走行すると
プラ
グが被るか被り気味にな
る。
コースインのピットロードと

同じような超繊細スロットル
操作をしていても被り気味に
なる。
街中渋滞などはとんでもなく
苦手の二輪だ。高速道路や峠
では元気になる。パワーバンド
が使えるから。特に標準指定の
9番プラグなどでは2スト250は

街中は苦手の最たるものだ。

だが、適正回転で走行するとい
のは二輪の鉄則だ。オートマ
四輪
ではないのだから。
何のためにタコメーターが付い
いるのか、と。

ゼファーχの事をかみさんに言っ
事がある。
「このバイク、6速3000回転で
なんだかなんとかクルージン
グの時には走るよ」
と。
そしたら妻は「え~?うっそ~。
信じらんない」という。
私と同じくパワーバンド乗りだ
ったからだ。

そして、6速でトロトロ運転な
二輪はできない(特に中型
二輪あ
たりまでは)という事を
知ってい
るから。
そういう意味では、大型二輪
とか
は低速低回転でもトルク
で走る
から楽でしょうね。物
理的に。
小排気量車は
常に適正出力を
出す回転を維持し
ないとまと
もにきびきび走らない
どころ
か、前述のように車が止ま

てしまったりもする。

これは400でも被ってエンジン
停止したりする。上り坂の
峠で6速
でアクセル回し続けた
りの不適切
運転をすると。
そうした視点で二輪車を俯瞰
する
と、50ccの2ストスポーツ
を運転
するのが一番二輪のア
クセリング
が上手くなるので
はなかろうか。

適正回転数確保による走行操縦
絶対に必要なので二輪の中で
一番
運転が難しいから。

タコメーターは利用しましょう。
出かける時は忘れずに(笑
タコメーターを家に置き忘れな
ようにね(笑
長嶋監督は幼い一茂を球場に忘
て置き去りにして家に帰った
みた
いだけどさ(笑
あと、長嶋さんでは面白い実話
のエピソー
ドがある。
川上監督の車を借りて一日出か
けて
帰って来てから監督に言っ
た。

「監督の車、スピードが全然
出ない
車ですね」と。
監督が見たら、サイドブレーキ
引きっぱなしのままで長嶋さ
んは一日走ったようだ。

どうしてそういう人があのよう
野球の超ファインプレーがで
きるのかと思う
が、天才は紙一
重というやつか(笑




スズキBANDIT250・400試乗インプレッション

2024年01月12日 | open

スズキBANDIT250・400
試乗インプレッション


本当に美しいオートバイだった。

この動画を見てすぐに判るだろう
が、一般公道で制限速度を大幅に
超えている。かなり(笑
検挙されたら一発12点加点ほどに。
だが、これが1980年代では普通
だった。道交法違反映像である
事などは誰でも分かっている。
しかし、雑誌社だけでなく、乗り

屋が峠のコーナー立ち上がりで
120km/hを超えるのなどはごく
普通だった。特に箱根芦ノ湖スカ
イラインや箱根ターンパイクは
高速コーナー揃いなのでそうな
っていた。旋回時でも120km/h旋
回などはごく普通。80~90km/h
旋回などはもうしょっちゅうだ。

時代は違ったのだ。
ちょっと速度超過しただけ、多少
センターを割っただけで鬼の首
獲ったようにヒステリーに騒ぐ
偏執者のような人間はいなかった。
警察にしても「目に余ると取り締
まるぞ」位なものだった。

そして、二輪事故は現在のほうが
圧倒的に多い。走行台数分母換算
では。

安全運転ヒステリー揃いのネット
警察ぶった良市民気取りの連中
だらけの現代のほうが圧倒的に
二輪事故が多い。
それは、そうしたヒステリー連中
含めて「オートバイに乗れない」
人間が激増したからだ。
この動画に映っているような二輪
の操縦操作は誰でもやっていたの
が1980年代だった。この動画の人
とレベルは違えどやる事は同じ。
基本操作はこれくらい
乗れて当た
り前田のクラッカーだ。

私の妻でさえこの動画のような
パワーバンドを使う乗
り方だった
し、きちんとブレーキ
ングしなが
らブリッピングシフト
ダウンも
やっていた。中原街道や2国で
90km/h出すのは出し過ぎかと
私で
さえ思ったが。
だが、立ちゴケはゼロ。転倒も
ゼロだっ
た。信号停止ではつま先
立ちでバイクを支えていた。親指
の付け根さえ路面に着かない。完
全につま先のみが接地。身長は私
より20センチ低い。ちょこみさん
やアッキーよりも低い。

この動画は雑誌社の販売ビデオで
あるライド
オンでの映像だ。
また、新車の試乗テストも公道の
ワインディングが使われるのは
常で、これは四輪車も同様だった。
撮影場所は箱根芦ノ湖スカイライン
がとても多かったが、このような
某海岸線もたまに使用された。
今では雑誌社でも絶対に不可能な
撮影だろう。

この動画は、最後まで観なくとも、
最初の走りですぐに宮崎敬一郎氏
と私は判った。
ヤマハからある400モデルが出た
ばかりの時、彼がテストしている
場に朝の箱根乙女道路で遭遇した。
下りでわざとウイリーさせたり
していた。私より年上の国際A級
だったが、乗り方に特徴がある
のですぐに彼だと判った。
私らがエリアで一服していたら
何度も上り下りしていた。
走行速度はローリング族とはまる
で別物の次元の全く違う走り。
コースライダーだね、と判る走り
方だ。
その彼の峠の走りの様子は映画
『キリン』で隼を箱根スカイラ
インで走らせている姿に収まっ
ている。あれと全く同じ走法を
1980年代前半末期のある朝、箱
根でやっていた。
当時からイケメンだった。私より
歳上とはいえまだ歳は若かった
が、風貌は貞本義之の漫画作品
『18Rの鷹』に出て来た湘南の
バイク屋のおやじさん(実は峠
のキングだった)にとても似て
いた。

なんだかなぁと思うのが、散々
峠での膝擦り伝授とかの企画を
やっていた当時のライターが
今まるで安全運転遵法走行の
伝道師みたいな顔しておため
ごかしを雑誌やネットで語って
いる。
おまいさん、過去にどんな事を
広めていたのよ、と思う。
それで自称「モータージャーナ
リスト」なのだから呆れる。
ジャーナリストならば一度でも
権力や社会ファシズム風潮に
牙をむいてみろ、と言いたい。

なお、新型カタナが出た時、
「カタナという名前にしなく
てもよかったのでは」と書いて
含みの不満を述べたのは宮崎
敬一郎ただ一人しかいなかった。
あとは二輪ライターは軒並み
まるで御用学者のようにメー
カーの提灯持ちのおべんちゃら
売文書きに終始していた。


1989年グッドデザイン賞受賞モデル

2024年01月12日 | open

艶美と走りを融合したスポーツバイク!
スズキ バンディット400・250を
ゆっくり解説【ゆっくりバイク解説】


このスズキのマシンが登場した時、
なんてハイセンスなデザインなの
だろうと感心した。「美」がある。
案の定、1989年のグッドデザイン
賞を受賞した。
グッドデザイン賞とは公益財団法
人日本デザイン振興会が主催する
年ごとの工業製品等に対して授与
れる賞だ。1957年の設立以来、
「よいデザイン」であるという
実績を社会に残すための賞。
その趣旨は、グローバルな認知度
も高く、国内外で活躍するデザイ
ナーから評価を受けられる賞で、
受賞対象や企業の信頼性向上・差
別化に寄与する。
社会的意義の証として、デザイン
による課題解決や、人や社会への
意義を重視する賞であるため、こ
れからの社会をよりよくするデザ
インであることの証となる。
スズキのバンディットは粗野な印
象のネーミングとは裏腹に、非常
に洗練された都会風味のデザイン
で作られたオートバイだった。
私の真剣刀術の先生でもあった
林流真剣刀法故林邦史朗先生が、
ある法律案件で弁護士への依頼で
私の勤務する法律事務所にいらし
た時、バンディットの250に乗っ
て来た。
「お~!バンディットですか」と
私が言うと「このクラスが一番
楽。都内最強(笑)」と言って笑顔
を見せていた。
グリーンのバンディットだった。


私の勤務先事務所にいらした頃の

林先生。私は目をかけてもらい、
何度かご自宅にも泊めて
もらった
事がある。林先生がごちそうして
くれた駅前の屋台ラーメンは格別
に美味しかった。奥様美人(元女
優)。
林流・真剣刀法のすべて
~初之巻・中之巻・奥之巻~
映像最後に映る日本刀は初代
小林康宏作。

林先生は日本の映像世界の殺陣に
革命をもたらした人だ。
亡くなるまで大河ドラマの武術
指導と殺陣を担当していた。
元々は俳優から殺陣師になった
日本古流武術の研究家だった。

私の古流居合の師である全剣連
範士
八段の師匠も私を通じて林
先生と交流があ
り、多摩の道場
で林先生に招かれ
て共に真剣刀
法を教えたりしてい
た。林先生
の経歴にある土佐英信
流を学ん
だというのは、英信流皆伝者
山本晴介の直門人だった私の師
からの伝承であり、本家本物
本筋
の無双直伝英信流の流れの
教えである。
残念ながら林先生は既に病気で

鬼籍に入られた。
私の師匠は95才でまだ健在だ。
現在でも現役税理士で事務所を
運営している。
たまたまの偶然だが、私が勤務
した法律事務所で鈴鹿4耐の私
の相方だった弁護士とは顧問
関係の税理士だった。
これも私によくあるアルアルで
その関係性は師匠と知り合って
から何ヵ月か過ぎてから知った。
エニシはどこかで繋がっている。
たとえ本人がその縁を知らなく
とも。
その手のケースが私の場合は
異様に多すぎる。オカルト風味
であるほどに多すぎる。
その手のケースが40例以上とい
うのは、やはり通常よりも多す
ぎると思う。
最近一番驚いたのは、かつて昔
偶然懇意にして連絡を取り合って
いた同姓同名の人(私のバンブー
フライロッドを作ってくれた人
の隣にかつて住んでいた人。その
時点でアルアルに該当するが)が、
私と高祖父が同一人物だった事
だ。つまり同じ血族。なんとい
う血のめぐり合わせ。
最近、さらに発生した。
私と妻がかつて住みたいねと
二人で言っていた所に今娘夫婦
が住んでいる。偶然で。
最寄り駅とかではなく、ピンポイ
ントで。
これまた驚いた。娘たちはそん
な事は知らない。