渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

ジン

2024年01月17日 | open



ジンという薬草酒はほんと
うめぇな。
糖質ゼロ。
太りません(笑
豆食いながらとか、フィズに
したりとかしたら駄目だけど
さ。
割るなら炭酸水がおすすめ。
大人の味よ。
てか、薬草の味(笑


2024年01月17日 | open



ちょいと1泊家空けただけで、
猫がベタベタなんだわさ。


革ジャン

2024年01月17日 | open
 


先週末、渋谷でMCの新年会と
ピンクドラゴン/クリームソー
ダ高橋誠一郎店長の勤続47
年退職お疲れ様会を開いた。
その時、参加したうちのMC
ブラザーは首都圏組10数名だ
った。
私はミッドナイトブルーのブレ
ザーにダークグレーのスラック
ス、ネクタイと紳士服ベスト
だったが、MCメンバーでは
ザージャケットを着ている
メン
バーが何人もいた。(和
服一名)
あ、こいつら普段から街着で
も革ジャン着こなしてるんだ、
と思った。
考えたら、オートバイに乗る
時と刀剣鑑賞会の時に集まる
のが多かったからさぁ。普段
の都内での街着はあまり見た
事がなかった。銀座でのMC
の飲み会重ねた時とかは仕事
帰りが多いのでみんなスーツ
だったしさ。
レザー着てる連中、なかなか
決まってたよ。
私もレザーコート着て行こうか
と思ってたけど、翌日は焼香
行くので革はやめてカシミヤ
黒のロングコートにしといた。
宴会もあるので、ちょいラフ目
にスーツではなく、ブレザーと
金シルク織りのタイ、銀の
チョ
ッキにしてさ。
翌日はダークカラーのタイで。
 
改めて、アーバンスタイルでは
レザーも合うねとメンバーを見
ていて思った。
東京の奴ら、ダサいのは一人も
いなかった。
今更ながら、だよな、と独り
ごち
た。
 
てなこと言ってっと、またメン
バーに言われちゃうんだよな。
「なにオノボリさんみたいな事
言ってんのさ」と。
奴ら、バイクの時もごくフツー
にミリベレやハンチングやキャ
スケットとか被りこなしてるし
さ。
俺でさえバイクでミリベレは照
れちゃうのに(笑
誠一郎さんもミリベレをバイク
の時にかぶりこなしてたし、
紳士服ジャケットの時とかは
1920年代の欧米アウトロー風
にキャスケットで決めてた。
それがまた、堂に入ってるから
違和感無し。
着こなしってそうだよね。
服は着るもんであって服に自分
が着られるものではないから。
誠一郎さんの場合は仕事がアパ
レルだから、いわばプロなんだ
けど、普段着も決まってる。
それはピンクドラゴン創設者の
山崎眞行さんが否定したように、
上から下まで高級ブランドに
身を固めるものではない。(ピ
ンクドラゴンはその手のファッ
ションを全否定。載せられて
高級ブランドを買いあさって
それを身に着けるのはノット
ファッショナブルだからだ。
いわゆるダサい)
誠一郎さんはピンドラ育ちなの
で、どんな服でも着こなす。
高級ブランドばかりを揃えて
悦に入る似非ファッション人
さは微塵もない。
思ったね。ピンドラの思想でも
あるけど、流行を追わない「自
分流」を持っているのが本筋だ
し、イケてる、と。
本当はファッションてのはそう
なんだけどね。
雑誌見て同じのを買い漁って
流行追うのは、とってもダサ
い。
しかも、着こなせないから、
よく見るネットのファッション
広告のモデルなども、着こなし
がダサい例が多い。
あれ、多分だけど、根本の根っ
こに思想が無いからだと思うよ。
猿真似するから七五三みたいに
なっちゃう。
着装一つとっても、ポリシーと
まではいかなくとも、根っこ
思想が無いのは、そりゃ駄目
よ。
知らんけど。
 

映画『サーキットの狼』(1977)

2024年01月17日 | open



原作は1975~1979年に連載された
池沢さとしの漫画。
本作品は1977年公開。
1976年時点の富士スピードウェイ
や鈴鹿が劇中で観られる。

本作品自体は、観るに堪えない
くそダサちゃちスカ映画。
どうしたらこうまで出鱈目な映画
を作れるのだろうという感じだ。
例によって出て来る走り屋と称す
る暴走族たちは、当時地球上どこ
にも存在しないようないでたちと
態度で登場する。
全員がショッカー戦闘員のような
恰好をしてナチス式敬礼を暴走族
のボスに対してやる(笑
とにかくすべてがくそダサい。
そして、大根役者の学芸会だ。
唯一、演技ができているのは千葉
真一の弟のみ。

いやあ。しかし、しどい作品だ。
どう説明したら伝わるか。
そう、伝説の「チョロいもん
だぜ」と同じなのだ。製作者の
表現感覚が。

原作者の池沢さとしがロータス
ヨーロッパのボンネットに大き
く「サーキットの狼」(字体は
マンガ映画と同じ)と書いて
富士スピードウェイを貸し切っ
て走行した時に、たまたま私は
そこにいた。1977年だ。
「幻の多角形コーナリングとや
らを見せてもらおうか」とヤマハ
系ロードレースチームの連中と
パドックからヘアピンを見下ろ
した。
池沢先生、とんでもなく遅かっ
た。
チャリンコでも抜けるのではと
いう程に。ガス欠?という位。

当時池沢氏は売れっ子漫画家だ
ったが、作品のその非現実的
ダダ滑り具合は、まさに「マン
ガ」だった。
「サーキットの狼」のあとに
は「青い流れ星」を連載し、
ヤマハRZ350の峠族を主人公
としてこれも大ヒットした。
あれにより1981年から峠に
バイクの走り屋が大勢行くよ
うになった。
それが1980年代のローリング
族の原型となったが、決定打
は1983年連載開始の「バリバリ
伝説」だ。
バリ伝は「ガードレールキック
ターン」以外はかなりリアルな
劇画で、サスの動き一つでも
リアリティを描き切っていた。
いうならば、池沢マンガとは
対極にあるのがバリ伝だった。
同時期の「あいつとララバイ」
は、あれは青春ラブコメね。
バイク漫画ではない(笑