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初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

本「テレビジョン制作技術」

2016年11月09日 22時34分01秒 | Weblog


本箱の隅から懐かしい本がでてきました

ベラ・バラージュの「映画の理論」と

ルディ・ブリッツの「テレビジョンの制作技術」の

2冊です



映画はテレビが現れるまで

娯楽の王者でした。

ベラ・バラージュは本の中で

映画の歴史の項目では名場面「オデッサの階段」の

エイゼンシュテイン演出の「戦艦ポチョムキン」や

モンタージュ論のスタニフスラスキーなどが論じられていて

当時の私は青臭い頭で一生懸命に読んでいました



映画は百年の歴史がありますから映画を論じた本は

数多くありましたが、始まったばかりのテレビジョンでは

テレビを論じた出版物は少しだけでした



私が大阪テレビ(OTV)に転職してすぐに

ルディ・ブレッツ著「テレビジョンの制作技術」を

手に入れました。この本は、アメリカのテレビ局の

現在を取材した。テレビ技術者の入門書でした

アメリカのテレビ局も生放送時代でした。



日本では、新しくテレビ局が開局していく

時期でしたから、新しいテレビマンには

良き参考書になりました

テレビ番組の制作で

テレビカメラのレンズの使い方や

カメラポジション、セットの製作、

セットの建て方、タイトルのテロップ、

フリップの作り方と操作方法など

徹底的に解説されていました

… … …

「テレビジョンの制作技術」の奥付を

見ると昭和33年、第3刷発行とあります

日本で発行された技術書では隠れた

大ペストセラーでした。









木下恵介監督のワンカットドラマ

2016年11月08日 21時59分05秒 | Weblog


映画監督の木下恵介(きのしたけいすけ)さんが

30分のテレビドラマを制作することになりました

ドラマは生放送ではなく、VTR録りでした。

映画は1台のカメラでワンカットずつ撮影して

編集で一本の映画に仕上げます。それに対して

テレビドラマは、ドラマが始まれば最後まで

3、4台のテレビカメラで

切り換えながら進行します



映画監督がテレビドラマをどう料理するのか

楽しみでした。

… … …

私はスタジオでカメラリハーサルを見学しました

テレビカメラが1台だけでした。

カメラ1台だけですから、

カットの切り換えがないのです

… … …

番組、頭のタイトルが済んで、

スタジオのセットで演技が始まります

一人の俳優さんが歩いて隣のセットへ歩いていきます

そこに大勢の俳優さんがいて、その中に入って

演技が続いていきます



スタジオに複数のセットが建てられていて

Aセットから次のBセットへ歩いて行く俳優さんを

カメラはフォローしていきます

そして次のCセットへと30分ドラマが

1台のカメラで最後まで切れ目なく続くのでした



映画カメラのフィルムマガジンは1000フィートで

カメラを回しっぱなしで10分しか撮影出来ませんが

テレビのVTR(ビデオレコーダー)は

30分~1時間30分連続して録画できます

そこで、木下恵介、映画監督は、これに目をつけて

1台のカメラの切り換えなしで

30分ドラマを制作したのでした

ドラマの時間経過はリアルな30分の出来事でした

映像スイッチャーはタイトルが済んで、

カメラのスイッチをONにしてあとは

モニターを見ているだけでした

… … …

出演している俳優さん、

主役のカメラマンのプレッシャーは

大変だったでしょう






映画監督「木下恵介」さん来る

2016年11月07日 21時58分52秒 | Weblog


劇映画の制作は一つ一つ煉瓦を積み重ねて

建物を作り上げるように、カットを

編集でつないで完成します

… … …

短い短いカットをつないで映画を作る

監督さんがいました。その監督さんの

仕事ぶりをスタジオマンに

「千切りカット」と云われていました



反対に撮影カメラをクレーンや移動車に乗せて

長回しする監督さんがいました

「雨月物語」などを演出した溝口健二監督でした

ワンシーン・ワンカットと呼ばれた手法で

監督の「用意!…スタート」の号令で

カメラが回ると、延々と演技が続いて

なかなかカット…の号令はかかりません

… … …

映画カメラのフィルムマガジンは1000フィートで

撮影できる時間が10分ほどですから

長いワンシーンの途中でNGになると

マガジンのフィルム残量が中途半端になってしまいます

溝口健二監督作品に出演される俳優さんは

NGを出さないようにと神経がピリピリしてきます



松竹大船で現代劇を制作している

木下恵介(きのしたけいすけ)監督が

大阪テレビ(OTV)でテレビドラマを

制作することになりました

… … …

木下恵介監督は、

本邦初カラー作品「カルメン故郷に帰る」高峰秀子

「女の園」高峰秀子、久我美子(くがよしこ)

「二十四の瞳」「喜びも悲しみも幾歳月」

「野菊の如き君なりき」「楢山節考」など

名作を制作された監督さんです

どんなテレビドラマを制作されるのか…








ビデオレコーダー登場

2016年11月06日 22時30分06秒 | Weblog


アンペックス社のビデオレコーダーが

入ってきたのは 1958年(昭和33年) で

今から58年前になります

私が大阪テレビ(OTV)に入社したころになります



テレビ映像と音声がビデオテープに録画されるのですが

ビデオヘッドが高速回転して録画していく

大げさな構造でした

ビデオテープは大きなリールに巻かれていて

テープ巾は2吋(約5センチ)です。

銀塩フィルムの6センチ巾の

ブロニー判フィルムぐらいです



ビデオレコーダーの登場でとりあえず

テレビカメラの映像と音声が同録出来るように

なりましたが、編集は出来ませんでした

ビデオテープ一巻の価格は2万円位だったようです

録画時間は60分、90分(1時間半) とありました



劇場映画を撮影する35ミリフィルムのカメラのマガジンは

1000フィートの長さで、約10分しか撮影できないのに

比べると、ビデオレコーダーは時間を気にせずに

録画できることになります



15分、30分番組を生放送時と同じように

ノンストップで番組頭から終わりまで録画するようになりました

何かの都合でNGがでれば、また頭から録り直しでした

当時は、録画テープを編集することはできませんでした

番組をVTR録りしていて、番組終わりに近づくと

スタッフ、俳優さんともども、どうぞ、

そのまま最後まで、上手くいくようにと

祈ったのでした










「大阪テレビ」へ出勤

2016年11月05日 21時32分34秒 | Weblog


「京阪特急テレビカー」の話が出たついでに

私の通勤ルートを思い出してみます

… … …

当時、京都市左京区浄土寺西田町に住んでいました

まず、銀閣寺道バス停から⑤番のバスで

三条京阪へ向かいました

このバスは真如堂前(しんにょどう)→

平安神宮前を通ります。

この⑤番のバスは何故か何時も満員でした

三条京阪バス停に着くと

お客さんはドッとバスから降ります。

大阪への通勤が多かったのですね



三条京阪駅ではホームの横を水量の豊富な

琵琶湖疏水(そすい)が流れていました

疏水と鴨川に挟まれた堤を電車は走ります

この堤の春には、桜並木を走る京阪電車になって

風情がありました



京阪電車の京都側は三条で大阪側は天満橋(てんまばし)が

終点でした。

今度は、天満橋から大江橋(おおえばし)へ

大阪市営バスに乗ります

京都市バス、京阪電車、大阪市営バスと乗り継いでの

出勤、退社でした。



大阪テレビの放送は、午前10時から午後2時まで。

午後2時から夕方5時まで放送は休みです

午後5時から夜10時過ぎでした。

出勤、退社時刻は、毎日決まっていました

やがて、ビデオレコーダーが入ってきて

録画番組が増えて、勤務に残業が生じました

それに、不規則になってきました







「京阪テレビカー」に乗って

2016年11月04日 22時43分50秒 | Weblog


「京阪テレビカー」の話をもう一つ

テレビカーは京阪三条駅(京都)から天満橋(大阪)まで

走っていました。

テレビカーのテレビは走行中、

ずっと映っていました

私も出勤にはこの「京阪テレビカー」によく

乗車しました

… … …

淀駅を過ぎ鉄橋を渡って八幡市駅(やわたし)に近づくと

テレビカーのテレビ受像機の画面が乱れました

大阪のテレビ局(NHKを含む)テレビ送信所が

生駒山(いこまやま)にあって

その電波が八幡市の男山の陰になってテレビカーの

アンテナに届かなくなる(弱くなる)ためでした



出勤時にはテレビカーの映像の乱れを見て、大阪府に

入ったなと思い、

退社時の特急で、この映像の乱れを見て

京都へ帰ってきたなと思っていました



当時、朝のラッシュ時の国鉄、京阪、阪急は大変でした

大阪テレビは、毎日の放映開始時刻が、10時からでした

従って、出社時刻(現場も事務も全社的に)は10時からでした

当時、朝のラッシュアワーを解消するために時差出勤が

叫ばれていましたが、テレビ局はラッシュ時後半なので

混雑がいくらか少なくなる時刻でした





テレビドラマ「京阪テレビカー」

2016年11月03日 22時25分03秒 | Weblog


テレビ放送は最初はオープニングから

放送(放映)終了まですべて生放送でした

スタッフも出演者も長い緊張に

耐えられないからでしょうか

短い番組が並んでいました



15分~30分番組が多くありました

毎日のニュース番組、婦人ニュース

料理手帳、奥様チャンネル、天気予報

ニュース解説など



毎回完結の15分ドラマ「コント千一夜」がありました

主演は、森光子さんらで、作者は茂木草介(もぎそうすけ)

長沖一(ながおきまこと)香住春吾(かすみしゅんご)さんで

特に、ドラマの脚本の香住春吾さんは、かげで

かせぎしゅんご、と云われるほど、多作の作家でした



連続テレビドラマは30分で

「日真名氏飛び出す」「事件記者」

「部長刑事」「京阪テレビカー」などが人気番組でした



ドラマ「京阪テレビカー」はスポンサーが京阪電鉄でした

… … …

三条京阪(京都)~天満橋(大阪)間の特急電車には

列車の一両か二両にモノクロテレビ(ブラウン管)が

ついていました。

このテレビを積んだ特急列車を「テレビカー」と呼んでいました

テレビはNHK番組のほかに、プロ野球ナイターも映していました

… … …

京都に住んでいた私は、勤務先の大阪テレビ局への

通勤に京阪特急を利用していましたから

「京阪テレビカー」に良く乗車していました













テレビドラマ「時間ですよ」

2016年11月02日 20時38分04秒 | Weblog


テレビドラマではセットの食卓に並んだ

料理は、演技につれて食べます

テレビドラマでは、本物の料理が使われます

大勢の俳優さんが一堂に会して賑やかに

食事をするシーンが毎回のように登場する

ドラマがありました

… … …

TBSが制作した「時間ですよ」です

俳優さんは森光子、堺正章(さかいまさあき)

悠木千帆(ゆうきちほ=樹木希林)

天地真理、浅田美代子

演出は久世光彦(くぜみつひこ)で

ストーリーは銭湯の話で

毎回、女湯のヌードシーンが売り物でした

長寿番組でリバイバルでは

とんねるず、SMAPの中居正広、香取慎吾 らも

出演していました



現代劇の映画で食事のシーンの好きな

監督さんがいました

東宝の千葉泰樹(ちばやすき)監督です



テレビドラマの食事シーンで

台詞の多い俳優さんは

台詞と台詞の合間に箸を使わなくてはならず

演技が大変でした

台詞の少ない俳優さんや並んでいるだけの

俳優さんは、シーンの中で自由に食事ができました

… … …

テレビドラマが録画されるようになってからは

昼食後のロールになると、俳優さんには仕事とはいえ

ちょっと酷な話になりますので

食事のシーンの録画撮りは

午前中で昼食前に予定が組まれるようになりました







テレビドラマの食事シーン

2016年11月01日 21時19分13秒 | Weblog


私にはテレビスタジオで作られた料理が

食べられることが驚きでした

… … …

映画撮影所のセット撮影で

食事のシーンがありましたが

セットに用意される料理はあくまで

撮影のための小道具でした



現代劇、時代劇映画で

どんなに豪華に見えるご馳走でも

やはり小道具でした

ご馳走を口に入れる演技、演出は

ありませんでした



テレビスタジオの床は

リノリュームのフロアですし

冷暖房の効いた空調です

映画のスタジオに比べると

ほこりが少ないので

別に抵抗もなく俳優さんは

セットに並べられた料理を

演技とともに口にするのでした



テレビドラマの食事のシーンでは

ドラマのディレクターがテレビ局の

社員食堂にドラマの内容を説明して

料理を発注します

… … …

ドラマの食事シーンの前になると

社員食堂から料理を盛り付ける皿、お椀と

料理を入れたワゴンに数名の料理人が

セットにやってきます

… … …

セットのテーブルには湯気の立った

出来たての料理が並びます