初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

スピード仕上げを経験して

2015年12月31日 22時47分43秒 | Weblog


戦場から京都へ帰って,ホテルで休暇をとって

撮りためたフィルムを店に預けて

翌日の夕方か翌々日の朝に仕上がった

写真を受け取って,帰国するのです

… … …

当時の為替レートは1ドル=360円でしたから

兵士にとって写真仕上げ代金は安かったでしょう

… … …

私は10日間のスピード仕上げを経験して

カメラ店から写真というものを改めて

考えてみました



当時のカメラは自動露光ではなかったので

ネガフィルムの露光の過不足がずいぶんありました

引伸機に入れたネガフィルムの一コマ、一コマを見て、

このネガは焼けるとか焼けないとかを

瞬間に判断していました

そのほか、ネガフィルムのピントが合っているか

ボケているかも同時に判断していました

… … …

したがって、ネガフィルムの一コマを眺めて

露光がまあ適切で、ピントもまあまあ合っている

コマを探し探して焼き付けていくことになります

すると現像された一本のネガフィルムから

プリントできるコマ数は限られてきます



やがてカメラも自動露光時代に入ります

すると現像済みネガフィルムの露出が揃うことになります

そして、カメラが自動焦点(オートフォーカス)になって

カメラは被写体のどこかにピントが合っていないとシャッターが

落ちません、

一本のネガフィルムで

全駒、露出が揃って、しかもピントが合うことになります

同時プリントで全駒無駄なく焼き付けられます

… … …

カメラ店から見て,お客さんから預かったフィルムで

プリントできる枚数の多い、歩留まりの高い結果になります







新しい写真の世界

2015年12月30日 21時38分23秒 | Weblog


暗室の中で大勢の一人として

引伸しを手伝っていましたが

… … …

この仕事のはじめはまず

ホテルの店から撮影済みのフィルムを

預かってくるところから始まります



暗室でまずフィルム現像です

暗室のベテランはフィルム現像液の入った

深タンクにフィルムに鉛の錘をつけてつるします

適当な時間が経つとベテランはフィルムを引き出して

暗い緑色のセーフライトにフィルムをかざして濃度を見ます

暗室のベテランは適当な濃度に現像されていることを確認して

中間停止液に移します



当時のカメラは自動露光ではなかったので

フィルム露光の過不足が激しかったのでしょう

暗室のベテランさんは薄暗い緑色のセーフライトで

一本、一本、濃度を確認して

現像を打ち切っていました



私のネガフィルムの現像は液温厳守と

時間現像でした

… … …

暗室のベテランさんの

視認で現像を打ち切るのは

私には神業に見えました

… … …

私は家の押し入れ暗室で

のんびりと写真を作っていました

… … …

1日に何枚仕上げるかというスピードを重視した

暗室作業があることを知りました

この10日間の仕事は新しい写真の世界を

見せて貰って有意義でした。







暗室作業

2015年12月29日 20時50分31秒 | Weblog


今日の話も、面白くありません

どんなに忙しかったかのはなしです

… … …

暗室の中、引伸機で露光した印画紙を

ひっくり返して番号を鉛筆で記入します

乾燥して仕上げたプリントとネガに書き込んだ

番号と合わせて整理する目安です

露光した印画紙を現像バットに漬けます

しばらくすると,画像がうっすらと浮かんできます

丁度良い濃さに画像が見えると次の停止バットに

印画紙を移して現像の進行を止めます



停止バットに現像した印画紙が溜まると,次に

暗室の真ん中にある大きなバットに印画紙を移します

この大きなバットも停止液が入っています

私の仕事はここまでです



私以外に2台の引伸機でプリントに取り組んでいる人も

それぞれこの大きなバットの現像停止液に

印画紙を入れていきます

すぐに、大きなバットは印画紙で満員になります



次に別の人が停止バットから定着液バットに印画紙を移して

定着が終わった印画紙は,最後に大きな籠に入れて、水道の水で

水洗そしてフェロタイプ乾燥で終わります

… … …

引伸機で作業が終わった私らは,フェロタイプ乾燥や,

出来上がったプリントのまわりをカッターで縁取りの手伝いも

しました。兎に角,スピード仕上げでしたから,何人もの人手が

必要でした。







暗室でプリント開始…

2015年12月28日 19時11分27秒 | Weblog


友だちの写真機店の暗室に案内されました

そこはかなり広い部屋でした

暗室内のあちこちに黄橙色のセーフライトが

点いていて,かなり明るい印象でした

部屋の真ん中の机に、わずかに酸っぱい臭いのする

希釈された酢酸(さくさん)液の

入った,全紙判のバットが置かれています

印画紙現像の進行を止める酸性の停止液です

そのバットを中心としてまわりに藤本ラッキー2B

引伸機が3台並んでいます



その引伸機の1台を任されました

引伸機レンズは75ミリです

… … …

現像済みフィルムが渡されます

フィルムはブローニー・セミ判

6×6判か35ミリフィルムで

どちらも長いままで一本一本巻かれたままです



引伸機の横には四つ切りの現像バットと

中間停止浴のバット、二つが並んでいます

未感光の手札判印画紙で2号、3号、4号と

それぞ箱に入って並んでいました



渡された現像済みネガフィルムは

まだ自動露光でない時代のカメラでしたから

露出の過不足でネガの濃度がでこぼこでした



キャリヤーにネガを挟んで引伸機に装填して

目で引伸レンズのピントを合わせて

印画紙を固定マスクに入れて

露光します。

… … …

投影されたネガ像を見ながら

「1…2…」と頭の中でカウントして

露光した印画紙を現像バットへ入れます

… … …

兎に角、NGを最小限に、そしてスピードが

要求されました





プリントを手伝ってくれと

2015年12月27日 19時50分57秒 | Weblog


私の押し入れ暗室では四つ切りプリントまで

処理できるようになりました

しかし、現像液の処方箋で薬品の分量を計る

上皿天秤がまだありませんでした

写真材料店に簡単な計量スプーンが売られていたので

それを使って現像液を作っていました



押し入れ暗室で使う印画紙用現像液、定着液は

使っていると茶色になってくるので一回、

一回廃棄していました

私の写真に対して、カメラで撮った写真は

自分で仕上げるという理想が

とりあえず実現しました



高校の夏休みに部活の写真部の友人が私に

10日ほど手伝ってくれないかといわれました

… … …

彼の家は寺町で写真機店をやっていて今、

写真仕上げに猫の手も借りたい状態だと

云うのです…



私の高校時代に朝鮮戦争が勃発しました

戦線で交代した兵士が京都で休暇をとって

アメリカへ帰国します。

その兵士らが撮った写真(記念)の

仕上げを手伝ってくれというのでした。



その兵士らの帰国スケジュールは

京都に3日ほどいて、夕方5時の空便で

帰るので、それまでに写真を仕上げて渡すと

いうのでした








押し入れ暗室に引伸機…

2015年12月26日 20時53分43秒 | Weblog


写真の引伸プリントは部活の

暗室で焼き付けていました

私の押し入れ暗室に

いよいよ引伸し機が入りました



我が家で,好きなときに

引伸プリントが出来るようになりました

引伸機は藤本のラッキージュニアで

光源は引伸機用ランプを使った集散光式

レンズはラッキー50ミリ、F3,5で

ライカ・マウントでした



同時にグロッシー印画紙の艶出し乾燥に

フェロ板数枚と、フェロタイプ両面乾燥機が

揃いました。

ただ,押し入れ暗室なので,パトローネの

フィルム出し入れとフィルム現像は

今まで通りダークバックと現像タンクで

処理しなくてはなりませんが

これで一応,暗室道具は揃いました



押し入れ暗室では密着プリントに

富士フイルムの密着用印画紙(ガスライト)の

利根(とね)を使っていました

新しく引伸機が入りましたので

引伸用印画紙は富士フイルムの

ベロナを使い始めました

引伸印画紙に富士ブロがありましたが

私には一寸スピードが速いので

クロロブロマイドのベロナを愛用しました



当時、学生写真連盟の応募作品では

三菱製紙の月光V2の黒焼きが流行でしたが

私にはフェロタイプでの艶出しが

うまく出来なかったので

富士フイルムのベロナを使っていました











押し入れ暗室ではじめる

2015年12月25日 23時14分09秒 | Weblog


オリンパス35Ⅳ型を買ってもらい

本格的な写真の趣味が始まりました

… … …

撮影後のフィルム(パトローネ入り)は

ダークバック内で手探りで

現像タンクのフィルム枠に

巻き込みます。



現像タンクはノーベルト式で

フィルムを巻き込むのに

ちょっとコツがいりました

現像処理が終わって、

フィルムを乾燥させて

そこから次の引伸しや

印画紙の現像ができませんでした



母親の機嫌がいい時を見計らって

二階の押し入れを暗室にしたいと

頼みました。

しぶしぶ母親から押し入れを手に入れました



押し入れ暗室に密着プリンターと

暗室セーフティランプ、現像,中間浴、定着用の

バットを3枚並べて, その前に座布団を敷いて

とりあえず,密着プリントが仕上げられる押し入れ暗室が

できました

… … …

私はカメラで撮影したフィルムは自分で現像して

自分で暗室でプリントして仕上げるのが写真だと考えていました

その私の信念に一歩近づいたことになりました。







ムツミ堂とヨドバシカメラ

2015年12月24日 21時58分24秒 | Weblog


京都、三条河原町にムツミ堂本店と

四条河原町、京都タワー2Fなどに支店が

サクラヤ、コロナ、ツバメヤなど

あちこちにカメラ店がありました

… … …

大阪では心斎橋にナニワがあります

新型カメラ、写真材料、

中古カメラまで扱った大きなビルの

店舗です。



銀塩フィルムからデジタル時代になって

これらのカメラ店は縮小したり

閉店しました

いまは,大阪駅前と京都駅前の

ヨドバシカメラと

大阪千日前と京都駅のビッグカメラが

主力になりました



ヨドバシカメラ、ビッグカメラともに

カメラやレンズ、写真材料などに加えて

家電用品、パソコンまで並んでいて

銀塩フィルム時代のカメラは光学と

化学(ケミカル)だったのが

デジタルになって、レンズの光学のほかは

すべて電気的な処理で済ませる時代になったのですね



私は銀塩フィルム全盛時代のモノクロ写真、

リバーサルフィルム、カラーネガのカラー写真

と経験できて幸せでした。



デジタル時代になって,モノクロ、カラーネガの

明暗が反転、および色彩が補色に反転した陰画が

なくなりました。

… … …

それに銀塩フィルムで必要だった

暗室(あんしつ)がデジタルでは不要で

明るいところでパソコンであらゆる処理ができます

アプリはライトルーム(明るい部屋)という名前です








新しいカメラをゲット

2015年12月23日 17時50分09秒 | Weblog


友だちと学校のクラブ活動で

写真部が始まりました

私のカメラがいつまでも

35ミリフィルム用に

改造されたコダック・ベス単では

具合が悪いのでした。



父親に、友だちのA君は△△カメラで

別の友だちB君は××カメラだと

「私もなんとか…」と頼みました



ある日、お客様が訪ねてきました

その人は、父親に

「先生…」と挨拶をされていました



なんと河原町三条のカメラ店、

ムツミ堂の社長でした

この社長は撮影所に出入りしていたのでしょうか

写真を始めた高校一年生の私に見繕ってくれと

カメラを頼んだのでした



私の前に置かれたカメラは

オリンパス35Ⅳ型、レンズはズイコー40ミリ、F3,5

シャッターはコパルでした

操作はフィルムを巻き上げて,シャッターをセットする方式で

フィルムを巻き上げるだけでシャッターが切れる

セルフ・コッキング式ではありませんでした



使用する35ミリフィルムは、父親が撮影所から

貰ってくる,映画用のネガフィルム(モノクロ)の

端切れでした

このネガフィルムは写真用の35ミリに比べて

少し厚手で、赤の強い感色性の,富士フイルム

スーパーパンクロでした

パトローネに詰めて使いました








写真クラブ開始

2015年12月22日 20時38分38秒 | Weblog


学校の暗室で現像液処方箋で、

初めて現像液の調合を始めました

写真を始めた頃はガラスチューブに

入った,調合済み、MQ現像薬、

定着薬を購入して使っていました



学校の暗室で化学実験に使う秤、

上皿天秤(うわざらてんびん)で

現像主薬、メトール、ハイドロキノン、

現像保恒剤,亜硫酸ソーダ。促進剤、炭酸ソーダ

抑制剤、ブロムカリなどを計りながら

処方箋の記載に従って,ビーカーの

温湯に順番に溶いて本格的に作りました



この現像液で撮影したフィルムや

暗室で焼き付けた印画紙を処理するのですが

処方箋によると現像液の液温を

20℃で使用と記載されています。

当時、私は、この使用温度がわかりませんでした



どうやらアメリカの室温だとわかりました

それに比べて私の冬の勉強部屋は

火鉢一つで寒くて、

とても室温20℃にはなりません

… … …

この寒い部屋で現像するとすれば

現像液の温度をなんとか上げなくては

使えないのでした

… … …

とくに寒い日の勉強部屋では,

私は火鉢に跨がって教科書、

参考書、雑誌など読んでいました



突然、部屋に入ってくる母親に見つかって

「やめなさい…」とよく怒られたものでした

このさまは「股火鉢(またひばち)」と呼ばれていました

… … …

勉強部屋に限らず,居間の暖房も

火鉢ひとつで暖をとっていました

… … …

当時、一般に家屋の構造はすきま風だらけで,

火鉢の炭や練炭で一酸化炭素中毒の

心配はありませんでした