初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

タイムトラベル?

2020年07月30日 21時31分34秒 | Weblog


私は下鴨神社の西側の

左京区下鴨下河原町××へ

行ってみました…

つまり、私の生まれた町です

… … …

私の生まれた家(借家でした)は

ちゃんと残っていました…

その家の隣は理髪店、

そして、小さな郵便局、

E上呉服店、小児科医院など

私の思い出の町は昔?のままです

… … …

私は満州に渡って、戦争に敗れて

日本引き揚げてきて、日本のあちこちの

都市は戦災で焼け野原から復興しつつある

凄まじい風景を見てきたのに…

… … …

私の目の前に広がる、京都市左京区

下川原町の町並みは

満州へ行く前のままなのです

ここでは時間が止まった

ままでした。



私の小さい頃からの遊び場

下鴨神社境内も昔のままです。

糺の森(ただすのもり)も

大木群に囲まれて長い参道も

静かに続いていました…




京都へ帰ってきました

2020年07月29日 21時05分10秒 | Weblog


久しぶりに京都へ帰ってきました。

まず、京都駅に着きました。

私たちが満州へ行くときに通った

京都駅がそのまま残っていました。

… … …

京都駅も駅前の丸物百貨店のビルも

そのまま残っていました?…

つまり、駅前の景色は何も変わって

いなかったのでした。

親父と私たちは、路面電車(市電) で

新しい京都の住所に向かいました。

… … …

新しい住まいは下鴨神社のそばです

満州へ行くまで住んでいたところは

下鴨神社の西側の下川原町××でしたが

こんどは、下鴨神社の東側の泉川町×に

なっていました。

… … …

満州へ行く前に住んでいた下川原町は

私が生まれたところであり、

マクリン幼稚園に始まって、下鴨小学校へ

3年生までお世話になった、思い出の

ところでした。…

浜松から京都へ帰ってきて、これから

住むところか、下川原町の近くの

泉川町に住むようになるとは、

下鴨神社に縁があるのでしょうか。

… … …

添付写真は二代目京都駅です。





「京都へ帰ろうか?」と親父が

2020年07月26日 23時09分25秒 | Weblog


親父が京都で仕事を終えて

久しぶりに、浜松へ帰ってきました。

親父の京都での仕事が順調に進んで

将来のめどがたったようでした…

… … …

ある日、夕食の時間に、親父は

「京都へ帰ろうか!」と

言い出しました…

… … …

私は小学校、3年生の夏から

京都を離れて、満州で敗戦を

迎えて、親父の故郷、満州へ

引き揚げてきて、4年余に

なりました。

… … …

戦後の京都はどうなっているか?

よく遊んだ、下鴨神社の境内など

思い浮かべていました…






お土産のカメラ、中古ベス単

2020年07月23日 18時20分24秒 | Weblog


親父からお土産の

中古のコダックベス単カメラは

改造されていました。

コダックのベス単は戦前のカメラでは

世界的にヒットした

カメラでした。

使用フィルムはベスト判、8枚撮りで

ブロニーフィルムより少し小さいサイズの

フィルムです。

当時日本ではこのフィルムを

使ったカメラが主流でした。

… … …

私の貰ったベス単はこのベスト判

フィルム使用を35㍉フィルム用に

器用な知人にでもたのんだのでしょうか?

改造されていました。

親父が仕事場から貰ってきた

映画用35㍉のネガフィルムを

夜、布団の中で適当に、切断して、

小さなパトローネに詰めて

カメラに装填して使うようになりました。

… … …

撮影したフィルムの現像を

どうしていたか、サッパリ覚えて

いません。

フィルム現像薬は、浜松市内の模型店で、

小さなガラスチューブに入った赤い色の

ラベルのMQ現像と青い色ラベルの

ガラスチューブに入った定着薬を

購入した覚えはあるのですが?

… … …

フィルム現像の手順は親父に教えて

もらったはずです…

どんな器具を使って、現像の終わった

ネガ・フィルムを、そのあと

どうやってプリントしたのか?

すっかり忘れています…

遠い、中学生時代の私のことでした。




親父は単身赴任で?

2020年07月20日 22時43分58秒 | Weblog


親父の仕事は順調に進んで

いました。

東京の東横撮影所をはじめ

京都の松竹下加茂撮影所の

仕事も順調でした…

… … …

時代劇スターの長谷川一夫

主宰する新演技座の仕事も

ありました…

… … …

映画制作の仕事は一本映画が

出来上がるまで約一月かかります。

親父は仕事の度に1人で京都へ

掛けていました…

… … …

親父1人で京都へ出掛けるのは

今で云えば、単身赴任ということに

なりますか?

… … …

一月ぶりにわが家に帰ってきた

親父は私に中古カメラ…

ベストコダックをお土産にくれました。

このお土産のカメラ「ベス単(べすたん)」は

改造されていました…。




連立方程式と因数分解

2020年07月17日 23時30分34秒 | Weblog


私は満州で敗戦を迎えた8月に

通っていた春光国民学校が無くなりました

校舎は無くなったわけではなく、

学校の先生が居なくなってしまいました。

それから、約1年がたちました。

… … …

小学校6年生の夏から中学1年生の

夏までの1年間、ブランクのある

私を受け入れてくれた浜松の

中学校の担任の先生はさぞ、

大変だったと思います…

… … …

約1年間のブランクのある私は授業が

判らないということもなく

のんびりと通学していました。

… … …

私と同じように外地から

引き揚げてきた小学生、

中学生は全国に大勢

居たはずです…

… … …

私が一寸躓いた課目が

ありました。

数学の因数分解と

連立方程式でした。




松竹下加茂撮影所

2020年07月13日 23時12分58秒 | Weblog


映画制作が始まると

親父は京都へ出掛けるように

なりました…

… … …

親父は戦前、

松竹下加茂撮影所が

職場でした…

親父は我々家族を連れて

満州へ行く前、仕事を

したのが…

「元禄忠臣蔵・前後編」

溝口健二監督、

松竹下加茂撮影所・制作でした。

… … …

満州から引き揚げてきた

親父は、京都下鴨の

松竹下加茂撮影所で

「夜の女たち」田中絹代主演

溝口健二監督と次に

同じ田中絹代主演、溝口健二監督

の「わが恋は燃えぬ」の二作品と

松竹下加茂撮影所の仕事が

増えてきました。





親父は現代劇でスタート

2020年07月12日 07時15分54秒 | Weblog


「映画人」の親父は、戦時中の

4年ほどの空白を取り戻すため

東京へ京都へ、仕事を探しに

出掛けていました…

… … …

中学生の私には当然

映画界のことはよく

知りません。ノンビリと

していました。

… … …

東横映画第1回作品

「こころ月のごとく」稲垣浩監督

配役、轟夕起子(とどろきゆきこ)

上原謙(うえはらけん)。

「縁は異なもの」石田民三監督

横山エンタツ、花菱アチャコ。

「夜の女たち」溝口健二監督

女優、田中絹代(たなかきぬよ)の

汚れ役で戦後の大阪を描いた

社会派作品。

「明日は日本晴れ」清水宏監督

配役、水島道太郎(みずしまどうたろう)

など…

… … …

時代劇が主だった親父は

当時、時代劇が作れなかった

ので、まず、現代劇から

スタートしました。


ラジオドラマ「新諸国物語」

2020年07月08日 21時06分19秒 | Weblog


夕方のラジオ番組の

「尋ね人の時間」は

当時の世間を反映していました。

中学生の私は、世の中には

色んな人生を歩んだ人が

いるものだとつくづく感じていました。

… … …

当時の子供に人気のあった番組に

「鐘の鳴る丘」がありましたが

次に人気のあった連続ラジオドラマは

新諸国物語(しんしょこくものがたり)

だったでしょう…

… … …

「笛吹童子」(ふえふきどうじ)

福田蘭童(ふくだらんどう)の主題歌

で始まるこのドラマをよく

聞きました。

… … …

新諸国物語のシリーズとして

次に「紅孔雀」(べにくじゃく)が

放送されました。

当時はまだ、テレビが始まって

いないので、ラジオドラマ

全盛の時代でした…

… … …

ラジオドラマ、新諸国物語シリーズは

連続時代劇映画として

東映(京都撮影所)で制作されました

… … …

この映画は若い人に人気を

博したようです…

主演の中村錦之助をはじめ

東 千代之介(あずまちよのすけ)

千原しのぶ(ちはらしのぶ)

など、スターが誕生しています。






ラジオの名物番組

2020年07月05日 18時23分23秒 | Weblog


当時、家庭の娯楽は

音声のみのラジオだけでした。

音声だけでさまざまな場面が

彷彿と脳裏に浮かび上がる

ラジオドラマが花形でした。

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その他、大勢の聴取者をホールに

集めて催される公開番組も

人気がありました…

… … …

「話の泉」司会・高橋圭三アナ

(たかはしけいぞう)

「二十の扉」司会は藤倉修一アナ

(ふじくらしゅういち)

藤倉修一アナは当時、珍しかった

テープレコーダーを駆使した番組

「街頭録音」で人気を集めました。

… … …

「のど自慢素人演芸会」の司会宮田輝アナ

(みやたてる)の人気もすごいものでした。

… … …

また、第二次世界大戦の混乱で連絡不能の

人を探し出す切っ掛けとして

「尋ね人の時間」がありました。

復員だより、引き揚げ者の時間などを

まとめた番組でした。

私は夕方、聞いた覚えがあります。