初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

ソ連軍は軍票を…

2020年01月29日 19時17分29秒 | Weblog


冬になると盛京大路房産住宅の

温水暖房は敗戦によって

機能しなくなりました…

親父はどこからか石炭ストーブを

買ってきました。部屋の中から

二重窓を通って外へ煙突を取り付けました

ストーブのセッティングは誰がやったのか

覚えていません…

… … …

新京特別市の冬は半端ではありません

石炭ストープを使わなければ

とても冬は乗り切れません…

石炭は町にふんだんに売っていました。

… … …

進駐してきたソ連兵が日本人住宅に

押しかけてきて腕時計を盗っていく被害には

幸いにして、わが家は会っていません。

新京へソ連兵が進駐してきて

軍票(ぐんぴょう) を使い出しました

軍票とは進駐した土地で軍が臨時紙幣を

流通させることです

軍票は満州紙幣に比べて少し大きくて

赤い紙幣でした…

… … …

それはそうと、敗戦によって

私は小学六年生の夏から授業が

無くなってしまいました。

それよりも、親父の通っていた

満州映画協会が無くなってしまいました。

今から思うと、親父は生活費はどこから

都合していたのでしょう?…





ソ連軍が進駐

2020年01月27日 19時42分28秒 | Weblog


私たちが奉天(ほうてん)から

新京のわが家へ戻った頃は

市内にソ連軍がすでに進駐して

いました…

… … …

ソ連兵は日本人住宅へ

入ってきてなんと、

腕時計を盗っていきます

当時のソ連邦には腕時計が

無かったのでしょうか…

… … …

ソ連兵がピストル片手に

腕時計を盗りにやってくるので

摩擦を避けるためか

日本人も少しはロシア語を学ぼうと

ズドラストヴィーチェ、こんにちわ

ダースビダーニャ

オーチンハラショ

スパシーポ

とか覚えさせられました

… … …

小学生の六年生だった私は

敗戦によって、学校は残って

いましたが、先生は居なくなって

授業はなくなっていました。…







再び新京特別市へ

2020年01月25日 21時02分38秒 | Weblog


奉天を引き払って、満映社員と

その家族は、また列車に乗って

新京特別市へ残してきたわが家へ

帰ってきました…


戦争が敗戦によって終わっても

汽車は走っていたのですねね…

小学生だった私には、よくわかりませんが、

汽車賃、ホテル代などどうしたのでしょう。

新京特別市盛京大路房産住宅78號

(せいきょうたいろ、ぼうさんじゅうたく)の

わが家は、残って居ました。

… … …

新京特別市には、すでにソ連軍は駐屯

しています。ソ連兵を見るのは初めて

というより、外国人が初めてでした。

… … …

家の近くには、延々と続くアスファルトの

道路が地平線まで続いていました

その道に、小型でグリーン塗装の

軍用車が並んでいました。

近付いてみるとJeePと書かれています

アメリカ軍の軍用車ジープでした。

第2次大戦に参戦したソ連軍に米国は

ジープを貸したのでしょう。







奉天へ…

2020年01月23日 20時31分52秒 | Weblog


会社が用意してくれたのか

新京駅から列車で奉天(ほうてん) へ

向かいました。どんな列車で

夜出発したのか?昼間だったのか

覚えていません…

… … …

奉天は大きな街でした

繁華街のまん中、奉ビル・ホテル?

が宿で、6Fだったと思います

しばらく、日数が経過したある日

奉天市内の映画館へ家族共々集合

との知らせがありました…

… … …

満映は映画会社ですから

市内の映画館が借りられたのかも

知れません。

久しぶりに皆と再会です

会合が始まると最初に

「日本は負けた!…」と

知らされました。

… … …

まもなく、ソ連の精鋭軍が

奉天へ入場してきました。

ドイツが陥落したので、その

精鋭部隊が満州へふり向けられた

とも、聞きました。





新京から避難

2020年01月22日 18時45分32秒 | Weblog


満映の全社員、集合だらけなら

まあ、普通なことでしたから、

何も問題が無かったのですが

全社員とその家族まで集合という

命令だったので…

一体何事だと、恐る恐る

会社に家族共々、スタジオに集まりました

… … …

小学生だった私には

サイパンの玉砕がチラッと

頭を過ぎりました。

満映の映画スタジオには大勢の

社員とその家族が集まっていました。

スタジオはライトに照らされて

煌々としていました…

… … …

そのスタジオで理事長、甘粕正彦さん

が挨拶されたのかどうか、覚えていません。

結論として、「北満からソ連軍が攻撃してきた

ので、皆は奉天(ほうてん=現・瀋陽)まで

避難してほしい」というのでした…





満映社員と家族は集まれ

2020年01月20日 21時04分02秒 | Weblog


新京に住んでいる日本人は

世の中がどうなっているのか

さっぱり判らない状態でした。

会社から社員は家族共々、会社へ

集合しろと、連絡がありました。

… … …

親父は満州映画協会の社員ですから

映画スタジオへ家族で集まれという

命令?でした…。

号令をかけたのは理事長の

甘粕正彦(あまかすまさひこ) です。

… … …

満映の理事長の甘粕正彦は

ばりばりの軍人で憲兵隊時代の

甘粕事件は有名で、満洲國建設に

一役かった人でした…

その理事長が家族全員で会社に

集まれと命令するのですから

ひょっとして集団自決するのでは

ないかと、満映社員と家族は

恐る恐る、満映スタジオに

集まりました



ラジオが聞こえなくなりました

2020年01月19日 20時42分04秒 | Weblog



私たちはラジオが停波して

以来、世の中がどうなっているのか

さっぱり、判らなくなってしまいました。

昼間近く、広い道を大勢の地元民が

大八車?に荷物をいっぱいに積み上げて

長い列を作ってどこかへ、歩いて行きます

… … …

夜になると、ラジオが聞こえるようになりました

しかし、聞こえてくるのは音楽だけで

ニュースなどのアナウンスはありません。

しかも、聞こえてくる音楽は

ソ連のコーラスだけです。


戦後、一時流行った歌声喫茶で

聞かれたコーカサスの合唱曲です。

平和なときの音楽は別にどうということも

ないのですが、戦時中、初めて聞く

ソ連のコーラスはなんとも不気味なものでした。




… … …

その後、次第に噂が伝わってきました。

「ソ連の戦車部隊が北満を越境してきた」と

云うのです。

満洲國は大陸の一部ですから、歩兵でも

機械化部隊でも陸続きで攻めてこられます

… … …

新京の放送局の人はとっくに

逃げていたのかもしれません。


ソ連軍が満州に強力な放送設備を

持ち込んでソ連の合唱曲を流していた

のでしょう…








真夜中の爆音

2020年01月17日 20時24分43秒 | Weblog



小学生だった私は、夜中に

眼が覚めました…。

聞き慣れない飛行機の爆音が聞こえました

夜中の出来事でしたから機影は見えません

それもかなり低空で飛んでいました

ブーン…ブーンと聞こえます。

… … …

翌朝、ラジオをつけてみると

放送が聞こえません…

どうやら放送は停波していたようです。

ラジオは新京の市内に放送局が

あったはずですから、何故、停波したのか

わかりません…

… … …

何か世の中に異常な出来事が

起こったようです…

両親に何か云われたのか

私は登校しかったようでした…





両親に何か云われたのか

私は登校しかったようでした…

虫の知らせ

2020年01月15日 21時29分39秒 | Weblog


ある朝、起きてきた母親は

首を傾げていました…

聞いてみると、夢の中で

お爺ちゃんとおばあちゃんが

私の枕元に並んで

心配そうに、私を見つめていた

というのでした。

… … …

私の母親は特別な霊感が

あるわけでなく、普通の

母親でしたから…

何故だろうということになりました。

… … …

この夢の話は、世間では

夢枕に立つと云う現象です。

虫の知らせともいいます。

何となく気になっていましたが

数日か数週間経ちました…

… … …

夢の中に現れた母親の、お爺ちゃんと

おばあちゃんは、私の親父と

母親の結婚に反対でしたから

どうして母親の夢の中に

2人揃って現れたのか?と

首を傾げていました…




新型爆弾

2020年01月11日 20時40分44秒 | Weblog


私の満州での小学生時代に戻ります

夏の暑いさかりの午後

大きな丸太が並んで積み上がっている

貯木場の丸太の上に友だちと

座って話込んでいました

… … …

その時に友だちは突然、

「広島に新型爆弾が落ちたらしい…!」

と私に云いました…

その友人は、私と同じクラスでした

名前は二瓶(にへい)君といいました。

どんな顔付きだったか覚えていません。

しかし、その時の話題が新型爆弾と聞いて

私がショックを受けたのか?、

友人の名前が珍しかったのか?

75年前の出来事をいまだに

覚えています…

… … …

新型爆弾の名前は、あとで、原子爆弾と

判ったのですが、当時の新聞やラジオでは

新型爆弾と、云っていました。