初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

ニューフェイス

2011年05月31日 20時18分03秒 | Weblog


映画撮影所には専属契約の大スターさんはじめ

スターの卵のニューフェイスや

準主役級の俳優さんがいる俳優部があります



ニューフェイスを観客動員できる

大スターに育て上げるために

映画を制作しています



将来のスターの卵の

イメージを壊さないように

注意深く台本を選んでいきます



映画のラストシーンでは

次の出演の映画を考えて

売り出しのニューフェイスの

カットで終わるようにします



テレビ局はスタッフはいるのですが

俳優部はありません

出演者は外部の劇団に依頼します



したがって、映画のラストカットのように

テレビドラマでは主演俳優さんで

終わらなくてもよいのです



主演俳優さんで終わらないテレビドラマを

見たことがありました

に新鮮に感じたことがありました





テレビドラマのスターさん

2011年05月30日 19時38分55秒 | Weblog


民放テレビが始まると

動画で天下を取っていた

映画で観客が減ってき始めました

テレビでも生テレビドラマが始まります

映画制作は煉瓦を積み上げるように

ワンカットずつ作っていきます。

映画俳優さんは細切れの演技です



映画とテレビでは少し違います

映画俳優さんは知名度で貴重な存在ですが

同じ映像の俳優さんでも

映画界はテレビに対抗して「五社協定」で

画俳優を出演させませんでした



連続して舞台で演技をする

劇団の俳優さんが

生ドラマではうってつけでした



毛利菊枝(もうりきくえ)主宰の「劇団くるみ座」

「劇団新春座」

初音礼子(はつねれいこ)座長の「宝塚新芸座」

など劇団の俳優さんが出演していました

テレビではスターさんはまだ生まれていません

しかし、連続ドラマで毎週、出演している

俳優さんは人気が出てきます

テレビでもスターさんが育ってきました



東映のテレビ映画、

新選組血風録(しんせんぐみけっぷうろく)では

くるみ座の栗塚旭(くりづかあさひ)が

土方歳三役で大ヒットします





映画のクローズアップ

2011年05月29日 23時24分28秒 | Weblog


映画会社にはお客さんを呼べる

客動員のできる看板スターさんがいます

映画を制作するにはその看板スターさんを前面に

押し出してストーリーを展開します

映画には必ずラストシーンがあります

ストーリーの結末は必ず看板スターさんで

終わります

その看板スターさんの

ワンショットで終わるのが普通です




ある映画に主演級の俳優Aさん、Bさんが

2人出ていました

画が完成して制作に携わったスタッフ、

キャスト(俳優陣)で所内試写(完成試写)が

われました



俳優Aさんのマネージャーが

写会で、俳優Aさんと俳優Bさんの

アップサイズの画面をカウントしました



マネージャーは、俳優Aさんに

「俳優Bさんのアップサイズのカットが

Aさんより××カット多いですよ…」

と告げました



俳優Aさんと俳優Bさんは、

それぞれ映画会社を背負って立つ

ライバル同士の俳優さんでした



早速、撮影所にクレームを付けて

結末はどうだったのでしょう

撮り直しか撮り足しか

編集をし直したのでしょうか

映画の出来上がりから見れば

俳優AさんとBさんのアップのカット数は

係ないと思うのですが…







民放テレビ局

2011年05月28日 18時47分22秒 | Weblog


映画は無声映画(サイレント)で活動写真と

呼ばれていたころからの長い歴史があります

新人の監督、キャメラマン、を

目指している若者は

まず、現役の監督、キャメラマン

照明などの技師に弟子としてつきます



やがてそれぞれの師匠に認められて

監督、キャメラマン、照明技師の新人として

デビューしていきます



写真のプロカメラマンの履歴を見ますと

誰々を師匠に仰いでなどとあります

写真には映画の師弟関係ほど厳しいものではなく

写真学校を卒業してプロとしてデビューする人も

いるようです



民間放送ラジオ(民放ラジオ)が好調なことから

民放テレビが始まります



テレビジョンは映画と似た映像(動画)を扱います

歴史の全くない初めてのシステムです

経験者などおりません



テレビ局に集まったスタッフを眺めると

教職資格のある卒業生、演劇関係の裏方、

劇場の美術デザイナー

大道具係、小道具係、

新聞社からの出向者、

民放ラジオからの人事異動者

などさまざまでした。



テレビジョンは全く未知の世界です

素人の集まりですが

情熱と夢は豊かにありました




「大阪テレビ」開局

2011年05月27日 22時14分40秒 | Weblog


戦後、日本で民間放送(ラジオ)の

発足が考えられました



聴取料で経営している、NHK以外で

番組提供スポンサーで経営する

民間放送は成り立つのかとか色々な

意見が出されたようでした



民間放送ラジオが開局します

経営陣の心配をよそに

好調なスタートを切ります



民放ラジオが好調なので

次は、映像を伴った

民放テレビはどうだと

いうことになりました




大阪では、まず共同出資で

「大阪テレビ(OTV)」が開局します



大阪テレビも好調なスタートでした



名物番組「やりくりアパート」が

始まります。大村崑、佐々十郎の

ミゼット(ダイハツ)の生コマーシャルが

評判になりました



当時のテレビは、VTRはまだありません

放送時間の全部が生放送(放映)です

のゴールデンタイムは

ラジオ東京からネット番組(生)がありました

「日真名氏飛び出す(ひまなしとびだす)」

出演・久松保夫(ひさまつやすお)

   高原駿雄(たかはらとしお)

原案・双葉十三郎(ふたばじゅうざぶろう)は

懐かしい番組でした




続・映画VSテレビ

2011年05月26日 22時10分15秒 | Weblog


1台のカメラで撮影していく

映画では、俳優Aさん、Bさんを

角度もレンズも丁寧に

揃えて撮っていきます



生ドラマのテレビでは

3台のカメラ(マルチカメラ方式)で

撮っていきます



生ドラマはそのドラマに必要な

セットが複数建てられています



俳優さんが演じているセットに

①、②、③とカメラが並んでいます



1つのセットでエピソードが終わるとき

3台のカメラは1台のカメラを残して

2台のカメラは次のセットへ移動していきます



残されたカメラが俳優Bさんのバストショットが

横顔になっても、位置が悪くても

そのセットのエピソードが終わるまで

なんとか頑張らなくてはなりません




生ドラマの制作現場を知らない間は

どうして、俳優Bさんのバストショットが

横顔になるのか分かりませんでした



生ドラマ番組では、中途半端な

ショットが何%か必ずありました



映画を見なれていた私には

この中途半端なカットが不思議でした



生ドラマを一緒に見ていた

カツドウヤさんは何と乱暴な

カット割りだと憤慨していました





映画VSテレビ

2011年05月25日 22時15分45秒 | Weblog


映画の撮影はワンカットずつ撮っていきます

あるセットで俳優AさんとBさんの会話シーンを

撮るとします



セットを広いサイズで撮るフルショットは

24㍉で撮ります



俳優Aさんのバストショットを50㍉レンズで

撮ります。



次に俳優Bさんのバストショットも

50㍉レンズで撮ります





映画の場合は編集してワンシーンになります

がったシーンを見ると、俳優Aさん、Bさんの

後に写るセットの写り具合はそれぞれ

同じ焦点距離のレンズで撮られているので

雰囲気(遠近感=パースペクティブ)は

同じです




テレビ、生ドラマの制作は

3台(①、②、③)のテレビカメラを使った

マルチカメラ方式です



セットを広いサイズで撮るフルショットは

②カメラが50㍉レンズで捉えます



俳優Aさんのバストショットを③カメラが

85㍉で撮ります。




次に俳優Bさんの

バストショットは①カメラで撮るのですが

135㍉で撮ることがあります



俳優Aさん、俳優Bさんは

同じバストショットですから

サイズ的には、同じです

しかし、③カメラの85㍉と

①カメラの135㍉のレンズの描写が

微妙に違います



それぞれのカットの

雰囲気(遠近感=パースペクティブ)が

違うのです




カメラハイク・須磨離宮公園

2011年05月24日 23時45分54秒 | Weblog




写真研究会OB会の平成23年度

春のカメラハイクが

須磨離宮公園でありました





平成23年5月24日(火)雨天決行という

スケジュールです





朝、家を出るときは雨でしたが、

電車で行くうちに雨が上がり

やがて陽がさしてきました





須磨離宮公園の薔薇は満開でした








カメラハイク参加会員は

29名で和やかな1日でした



























テレビ放送始まる

2011年05月23日 22時21分39秒 | Weblog


映画は映画館でしか見られません

映画が世に現れたとき、スクリーンに

映し出された写真が

くということで

活動写真といわれていました




また、映画制作に携わるスタッフを

活動屋(カツドウヤ)と

呼ばれていました




いまのコンピューターで云えば

動画ということでしょうか



テレビの出現で映画館でしか

られなかった動画が

家庭の居間のテレビで

見られるようになりました



動画に飢えていた私も

14吋の白黒のテレビで

動画が見られるようになりました。



初めスポーツの生中継では

何台ものカメラの切り替えで

時々、選手の位置が分かりにくいカットが

ありましたが、スポーツはテレビ生中継に関係なく

勝敗が決まります



ドラマの生放送では

スタジオのセットで芝居が演じられます

その芝居を3台のテレビカメラで

スポーツのようにカメラを切り替えながら

中継していることになります



兎に角、テレビカメラの

り替えに関係なく

リハーサルで芝居は固まっていますから

ストーリーとして完成しています



3台のカメラの切り替えがぎこちなく

て芝居の出来が分かりにくいだけなのです



動画に飢えていた私は

かりにくいカメラのカット割り

や画面サイズから感じる違和感も

あまり気になりませんでした





映画「座頭市…」

2011年05月22日 22時07分38秒 | Weblog


大映京都が第1回総天然色映画「地獄門」を

制作するのに、イーストマンコダックの

イーストマンカラーを使用するのに

打ち合わせや、ハリウッドで研修に主要スタッフは

アメリカにひと月以上出張しました



そのときの土産話として、

アメリカの映画界(ハリウッド)は

ひどいことになっていると聞きました





アメリカでテレビが本格化して

映画人口が減少してしまったというのです

テレビに対して映画の巻き返しに

ワイド画面のシネマスコープ第1回作品

「聖衣(せいい)」(20世紀フォックス)が

制作されます



当時の日本でも街頭テレビで

プロレス「力道山」などで

テレビの影響が出始めていました



日本でも、作れば売れると云われていた

画は、皮算用の収入に対して

いくらの赤字などのんきに云っていました



その後、実際の赤字に近付いていきます



各映画会社が制作本数を減らしているとき

日活撮影所で石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」

(1957年・54年前)から

無国籍映画などと悪口を言われながら

日活はヒットを飛ばす作品を制作していきます



大映京都でしばらく沈黙していた

勝新太郎、主演で極悪人を

主題にした映画「不知火検校(しらぬいけんぎょう)」

(1960年・51年前)が作られます。



それにヒントを得て勝新太郎で

大ヒット作品「座頭市シリーズ」

(1962年・49年前)が作られます。




テレビの影響で、どんな映画でも

作れば当たるという時代ではなくなってきました。