初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

京阪電車「出町柳駅」

2015年07月31日 20時42分25秒 | Weblog


父親が出勤したあとの我が家は

母親と二人っきりになります



母親に手を引かれて北の方の

市場へ出掛けます

途中、一本松バス停には大きな松の木が

あります。

さらに歩いて、二本の松がある二本松バス停を通り過ぎます



母親は気まぐれに、

今川焼きや、和菓子の日榮軒(にちえいけん)で

甘い饅頭を買ってくれます



一週間に一度ぐらい

加茂川の橋を渡って

出町柳(でまちやなぎ)の商店街へ

二人で出掛けていました



出町柳には改進亭(かいしんてい)という

大きな食肉店がありました



後年、私は大阪に住むようになりました

京阪電車の京都側の終点が三条駅だったのが

地下鉄で延長して出町柳駅が新設されました

久しぶりに出町柳の駅名を見ると

なんとも懐かしく感じました







我が家の不思議な習慣

2015年07月30日 21時28分54秒 | Weblog


撮影所では

銀塩フィルムに俳優さんの演技を

撮影して映画を仕上げていきます

当たり前のことですが



当時の撮影フィルムは勿論、モノクロ(白黒)で

しかも、低感度でした。ASA25~32ぐらいでしょうか

しかし、映画は動画ですから、一駒の露出は

最低、レンズ開放でシャッター(回転)1/50秒が、必要です

… … …

スタジオ内の撮影では強烈な照明でセットを照らさなければ

フィルムに写りません



映画制作も追い込みに入ると

父親は夜遅く帰ってきます

家で待っている母親は父親の帰宅時間が近づくと

居間、客間に電灯を点して煌々と明るくします

やがて,父親が帰宅して、いつもの着物に着替えて

食卓に座るころ、母親は使わない部屋の電灯を

順番に消していきます



私に物心がついて…、

「どうして、そんなことするの?」と聞くと

母親は

「明るいスタジオから帰ってきて

家の中が暗いといやでしょ…」といいました。



この我が家の不思議な習慣はやがて

戦時体制に入るまで続きました。








サイレント映画「狂った一頁」

2015年07月29日 20時31分53秒 | Weblog


家の前はアスファルトのバス道でした

バス道といっても時々,バスが通るだけで

いつもは農業用の馬車や牛車が通る長閑な

町角でした



遅い朝、背広姿の父親は

松竹下加茂撮影所へ歩いて出勤していました

その松竹下加茂撮影所について記してみます



撮影所の西側を賀茂川(加茂川=かもがわ)が

流れています。まもなく、高野川(たかのがわ)と

合流して、加茂川は鴨川(かもがわ)と名前を変えて

三条大橋、四条大橋を通って、桂川(かつらがわ)と

合流して淀川(よどがわ)と名前を変えて大阪へ 向かいます



松竹下加茂撮影所は川端康成原作、

衣笠貞之助(きぬがさ・ていのすけ)監督の

「狂った一頁」(くるったいちページ)主演・井上正夫の

日本初のアヴァンギャルド映画でした

次に、同じ傾向の

「十字路」(じゅうじろ)も制作されました



この二本の映画はもちろんサイレント映画です

数十年前、奇跡的にフィルムが発見されて

衣笠貞之助監督の監修でBGMが付け加えられて

大阪ABCホールで上映会が開かれました

… … …

先に東京で上映会が開かれましたが、そのとき

母親が,舞台に呼ばれたと,生前聞きました

なにをしゃべったのでしょう?



のちの長谷川一夫のデビュー作「稚児の剣法」(ちごのけんぽう)が

主演、林長二郎としてこの松竹下加茂撮影所で制作されています。

この映画の撮影は円谷英二(つぶらや・えいじ)さんでした



円谷英二さんは東宝で特撮、「ハワイ・マレー沖海戦」「加藤隼戦闘隊」や

「ゴジラ」「ウルトラマン・シリーズ」で一躍名声を高めました







松竹下加茂撮影所

2015年07月28日 21時57分47秒 | Weblog


父親の勤務先は我が家から近くの

松竹下加茂撮影所でした

… … …

戦後は傾向として、住居と職場が

遠く離れてしまいましたが

戦前は、職住接近でした



我が家から隣町の宮崎町に

下加茂撮影所はあります

撮影所の外を歩くと

電信柱に取り付けられた大きなトランスから

ウィーンと軽い音が聞こえていました



家の近くに撮影所があるのですから

作業着で出掛ければ良いのに

背広姿での出勤でした

… … …

父親になにか考えがあったのかも知れません



撮影所の大勢のスタッフは

家族とともに撮影所のまわりに住んでいました

母親と近所を歩いていると

よく、スタッフの奥さんたちに会いました

… … …

母親はあの人は大曽根辰夫(おおそね・たつお)監督の奥さん、

照明のY根さんの奥さん

小道具の△△さん、大道具の××さんなど

教えてくれていました



父親の出勤時は母親と

「いってらっしゃい」と見送るのですが

仕事が終わって帰宅するのが、いつも

夜中で、幼かった私は

「おかえりなさい」と

出迎えたことはありませんでした







チャルメラの響き

2015年07月27日 22時59分58秒 | Weblog


私は京都市左京区下鴨下川原町に

生まれ育ちました。

幼稚園にゆくまでは

夜、遅くまで家で遊んでいました



父親は夜、遅く帰ってくる職業で

そのかわり翌日は遅い出勤でした

… … …

その父親のペースに合わすためか

私が朝早く起き出さないように

母親は夜遅くまで遊ばしていました



初秋の少し涼しくなるころになると

夜、外をそば屋の屋台が通り過ぎていきます

あたりに反響するようなチャルメラが聞こえてきます



チャルメラを聞きつけた母親は

そばを買ってくれた思い出があります

最近は、このチャルメラの音はすっかり聞きませんね



チャルメラは構造的にオーケストラの花形楽器の

オーボエに似ています。ドボルザークの新世界、

第2楽章「家路」ではオーボエの仲間、

インクリッシュ・ホーンのソロが聞けます

なんとなく,チャルメラの響きに似ています。



私が幼稚園に入園する年頃になって

宵っ張りの母親が一番、心配したのは

自分が、朝早く起きれるだろうか?でした










再び幼児時代へ

2015年07月26日 21時19分07秒 | Weblog


先日、誕生日を迎えました

それを,機会に私の今までをブログで

振り返ってみようと考えていました



私のマクリン幼稚園へ通園しだしたころを

必死に思い出して書き始めました

… … …

突発で、救急車に乗せられて、いつもお世話になっている

近畿大学附属病院へ緊急入院してしまいました



一応、症状も安定して無事、退院できましたが

7月末の消化器内科での採血検査と診察まで

落ち着きません



緊急入院で、短い間でしたが

ブログをご無沙汰した

にも関わらず

いつも通りスムーズにキーボードを

扱えました



後期高齢者になって、毎日、Facebookや

ブログに投稿しないと、手順をいろいろ忘れそうで

不安な毎日です。これからしばらく

自分を振り返って見るつもりです






入院とパソコン

2015年07月25日 18時39分34秒 | Weblog


18年前、近畿大学附属病院の

内科で検査入院をしました

私は、食前にインシュリン注射を

しています



検査入院はインシュリン抗体を調べて

インシュリンの適量を再度、決めるためです

病気でもない?のに入院です



入院すると暇な時間が多いので

例によって、いろいろ遊び道具を持ち込みました

このとき、なぜかワープロを持ち込みませんでした



数週間後、退院して

久しぶりに我が家で

ワープロのキーボードに向かいました



なんと、数週間のご無沙汰で

ショート・カット・キーをすっかり

忘れていました

… … …

今回の緊急入院でパソコンを持ち込んでいません

退院して不安な気持ちでキーボードに向かいましたが

いつも使っているソフトがすらすら動かせて安心しました



パソコンもウィンドウズになって

Photoshop、ビデオスタジオ、ライトルームなど

映像ソフトが中心になりました

ワープロの「一太郎」や「エクセル」をあまり

使わなくなって、計算の条件式など

使い方をすっかり忘れてしまいました。





入院事情

2015年07月24日 23時17分19秒 | Weblog


今回、近畿大学附属病院の病室は

電動ベッドになっていて、リモコンで

頭と足の位置が上下できるようになっていました



ベッドサイドには23インチの液晶テレビと

小さな冷蔵庫のついたワゴンがあります

… … …

テレビは休憩ルームの自動販売機でカードを

購入してワゴンの挿入口にカードを入れると

テレビが映ります



30年前、近畿大学附属病院に初めて入院

したとき、テレビ受像機は出入りの家電業者から

ブラウン管テレビを借りて、大変でした



最初に入院したとき、病院のきまりで

消灯時間が9時なのが困りました

当時、若かった私はなかなか寝付けませんでした



以前の入院ではソニー・ウォークマンと

テープカセットの一式、

推理小説などの文庫本、ワープロなど

遊び道具をわんさと持ち込んだものでしたが

… … …

今回は、突然,救急車による入院だったので

遊び道具なしの全くの手ぶらでした。



このブログにいつもコメントを

頂いている在外大阪人さまから、

手書きのお見舞いの手紙を航空便で

頂きました。

… … …

ありがとうございます

… … …

文中、脳貧血を心配してくださっていますが

すでに医師の診断で貧血の薬は服用しています

… … …

7月末、消化器内科の採血検査と診察で私の状態が

一層、はっきりすると思っています。







送られてきた入院医療費請求書

2015年07月23日 21時29分30秒 | Weblog


私は7月初めに誕生日を迎えた

後期高齢者です

どうぞ、これからの1年も、無事にと思っていた

矢先に、救急車のお世話になってしまいました



本日、近畿大学附属病院から

入院医療費請求書が郵送されてきました

以前は、退院時に精算するのでしたが

今回は、郵便で送られてきてしかも、一ヶ月以内に

外来診察がある場合はその時に精算してください

とあります



診療明細書には

大腸内視鏡検査、内視鏡下生検、動脈血採取

患者サポート体制充実、小腸結腸内視鏡的止血術と

はじまって、何枚も続いています




私は、救急車で緊急入院し

大勢の看護師さん、先生方の迅速な処置と

病室もスムースに確保できました。



救急で,お世話になったのに

送られてきた入院医療費請求金額は

私が思っていたより安かったのです

… … …

同封されていた退院証明書には

傷病名 大腸憩室出血

転帰 治癒に近い状態

とあります。



今月末に消化器内科で

採血と診断があります










2度目の大腸内視鏡検査

2015年07月22日 18時16分08秒 | Weblog


2度目の大腸内視鏡検査を受けました

1度目の検査では看護師さんの車いすでしたが

今回は、点滴瓶をつれて一人で

検査室へ向かいました



検査室はウーンという機械音に

バカでかい液晶モニターが光っています

… … …

病院内のモニターはブラウン管から

液晶モニターに切り替えられてみんな大きくなりました



担当のA立医師は直腸の

止血した憩室を写し出します

ステンレス製でしょうか小さなクリップが

数個、見えます。

先生に

「傷が治るとクリップは排出されます…」と云われました

一応、治療は無事終わりました



初めて,食事(夕食)が出ました

シャビシャビのお粥にスクランブルエッグ

豆腐と鶏肉そぼろのあんかけなどで

退院まで,お粥が続きました



院内の「ファミリー・マート」への出入りも

OKになりました。



添付写真は近畿大学附属病院へ

二か月に1度、内分泌科の検診に通っています

… … …

診察待ち、支払い待ち、薬受け取り待ちの時間に

院内を撮っていたのを集めました

… … …

まさか、今回のブログに役に立つとは

思っていませんでした