以前紹介したこともある,大阪大学数学教室の『全国紙上数学談話会』のサイトがすごく便利だということに気がついた。
著者別の目次や年代別の目次があったのである。
これにもっと早く気づいていれば,南雲道夫先生の論文もあっという間に見つかったに違いない。
なお,南雲先生には「函数方程式 f(f(x))=F(x) ニ就テ」と題する一連の論文があり,その型の関数方程式は以前僕も取り上げたことがあるので,この方程式を南雲先生がどう料理しているのかは非常に興味がある。
ちらっとページったところ,福原満洲雄先生が南雲先生の論文に興味をもたれて,時々コメントを寄せておられたらしい。
そういうやり取りが見受けられると,紙上談話会が活発な論議の舞台としてその役割を十二分に果たしていたことが伺われる。同誌の発行期間はちょうど第二次世界大戦と重なるので,「古きよき時代」などと形容するとお叱りを受けるだろうが,それでも,そのころ現役で活躍しておられた方々から見れば孫かひ孫の世代に属する僕などがそうしたノスタルジーを感じざるを得ないのは,一体なぜだろうか。
筆者別目次に名を連ねている先生方のほとんどが世界的に見ても超一流の業績を上げられた方々であるのを見るにつけ,その時代にあって今の時代に欠けているものは何なのか,気になって仕方がない。
著者別の目次や年代別の目次があったのである。
これにもっと早く気づいていれば,南雲道夫先生の論文もあっという間に見つかったに違いない。
なお,南雲先生には「函数方程式 f(f(x))=F(x) ニ就テ」と題する一連の論文があり,その型の関数方程式は以前僕も取り上げたことがあるので,この方程式を南雲先生がどう料理しているのかは非常に興味がある。
ちらっとページったところ,福原満洲雄先生が南雲先生の論文に興味をもたれて,時々コメントを寄せておられたらしい。
そういうやり取りが見受けられると,紙上談話会が活発な論議の舞台としてその役割を十二分に果たしていたことが伺われる。同誌の発行期間はちょうど第二次世界大戦と重なるので,「古きよき時代」などと形容するとお叱りを受けるだろうが,それでも,そのころ現役で活躍しておられた方々から見れば孫かひ孫の世代に属する僕などがそうしたノスタルジーを感じざるを得ないのは,一体なぜだろうか。
筆者別目次に名を連ねている先生方のほとんどが世界的に見ても超一流の業績を上げられた方々であるのを見るにつけ,その時代にあって今の時代に欠けているものは何なのか,気になって仕方がない。
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