今年のゴールデンウィークは長年の夢だったエベレストを眺めにヒマラヤに行ってきました。4回にわたってその旅の様子をご報告します。
ネパールの首都カトマンズからセスナ機に乗ってルクラという峡谷にある空港へ到着。ここですでに2840m。石の階段を上るだけで息が切れます。そしてルクラからヘリコプターで標高3750mのシャンポチェ空港に到着。空港といっても、だだっぴろい平原に掘立小屋がぽつんと立っているだけ。こんな山々の高地によくぞこんな空港を作るものです。
ヘリコプターから降りて荷物をしょって数十歩歩いたら、心臓がバクバクしました。空気がかなり薄い感じがします。
この高地には中国のチベット自治区に接しているため、人も住まいもチベットの装いをしています。おうちは石を積み上げて作ってあります。大人の女性の多くはお尻まである長い髪を三つ編みにしています。紫外線が強いのか、誰もが肌は日に焼けていて、笑うと白い歯がきれいです。
私は高所順応のためナムチェ(3440m)で一泊した後、8848mのヒマラヤ、8516mのローチェ、6856mのアマダブラム、そして6608mのタムセルクが目の前に広がる「ホテル エベレスト・ビュー」に滞在し、ここからクムジュン村・クンデ村までトレッキングをして訪ねました。
クムジュン村にはエベレストに初登頂したイギリス人のヒラリー卿が建てた「ヒラリースクール」があります。小学校から高校まであり、200~250人の子どもたちが学んでいます。みんながこの村に住んでいるわけではなく、多くが1時間半以上かけて山を登ったり下りたりしながら通っています。
「Hirary Schoolの門」
「ヒラリー卿の像」
私は高所に慣れないため、ゆっくり歩いては止まり、時々水分補給をして深呼吸しなくてはいけなかったのですが、子どもたちは大声で歌ったりおしゃべりしながら通学していました。どの子もおしゃれな制服を着ていました。
また高学年には寄宿舎に寝泊まりして勉学に励んでいる子もいます。この寄宿舎は日本の長野県松本からの寄付金によって建てられたそうです。山を愛する土地同志の交流があるのです。
私が訪れた時は10時の授業開始前だったので、みんな元気に登校したり校庭で遊んでいました。
「こんにちは」という挨拶は、胸とのころで合掌して「ナマステ」といいます。私は逢う子ども一人一人に「ナマステ」とあいさつしましたが、どの子もにっこり笑って、必ず「ナマステ」と返してくれるので感激してしまいました。
日本では「こんにちは」とあいさつしても、目を合わさなかったり挨拶をしない子がよくいるのですが、ここの子どもたちにはそういう子がいませんでした。
午後からクンデ村まで足を伸ばしたのですが、道でたくさんの子どもたちにすれ違いました。みんな頭から背中にかけて、いろんなものを背負っています。ガイドさんに聞くと、子どもたちは学校から帰った後、生活に必要な水、物資などを運ぶのだそうです。
乾季はほとんど雨が降らないので、水は大変貴重です。お風呂に入る習慣はなく、川で水浴びをしたり、身体をさっと水拭きします。それでも生活に水はかかせません。蛇口をひねったらすぐきれいな水が出てくる日本とは違います。必要な水は人力で運ぶしかないのです。
ある時私の前を幼児が通り過ぎました。片手にはなんと、水のタンクを持っています。1リットルくらいのタンクでしょうか・・・・びっくりしました。
おうちのところに立っていた母親に身振り手振りでこの子の年を尋ねたら、「4歳」と手で示してくれたので、ものすごく驚きました。
こんな幼児でも水を運んでいるのです。
う~ん、ヒマラヤの子どもたちはたくましい!
ネパールの首都カトマンズからセスナ機に乗ってルクラという峡谷にある空港へ到着。ここですでに2840m。石の階段を上るだけで息が切れます。そしてルクラからヘリコプターで標高3750mのシャンポチェ空港に到着。空港といっても、だだっぴろい平原に掘立小屋がぽつんと立っているだけ。こんな山々の高地によくぞこんな空港を作るものです。
ヘリコプターから降りて荷物をしょって数十歩歩いたら、心臓がバクバクしました。空気がかなり薄い感じがします。
この高地には中国のチベット自治区に接しているため、人も住まいもチベットの装いをしています。おうちは石を積み上げて作ってあります。大人の女性の多くはお尻まである長い髪を三つ編みにしています。紫外線が強いのか、誰もが肌は日に焼けていて、笑うと白い歯がきれいです。
私は高所順応のためナムチェ(3440m)で一泊した後、8848mのヒマラヤ、8516mのローチェ、6856mのアマダブラム、そして6608mのタムセルクが目の前に広がる「ホテル エベレスト・ビュー」に滞在し、ここからクムジュン村・クンデ村までトレッキングをして訪ねました。
クムジュン村にはエベレストに初登頂したイギリス人のヒラリー卿が建てた「ヒラリースクール」があります。小学校から高校まであり、200~250人の子どもたちが学んでいます。みんながこの村に住んでいるわけではなく、多くが1時間半以上かけて山を登ったり下りたりしながら通っています。
「Hirary Schoolの門」
「ヒラリー卿の像」
私は高所に慣れないため、ゆっくり歩いては止まり、時々水分補給をして深呼吸しなくてはいけなかったのですが、子どもたちは大声で歌ったりおしゃべりしながら通学していました。どの子もおしゃれな制服を着ていました。
また高学年には寄宿舎に寝泊まりして勉学に励んでいる子もいます。この寄宿舎は日本の長野県松本からの寄付金によって建てられたそうです。山を愛する土地同志の交流があるのです。
私が訪れた時は10時の授業開始前だったので、みんな元気に登校したり校庭で遊んでいました。
「こんにちは」という挨拶は、胸とのころで合掌して「ナマステ」といいます。私は逢う子ども一人一人に「ナマステ」とあいさつしましたが、どの子もにっこり笑って、必ず「ナマステ」と返してくれるので感激してしまいました。
日本では「こんにちは」とあいさつしても、目を合わさなかったり挨拶をしない子がよくいるのですが、ここの子どもたちにはそういう子がいませんでした。
午後からクンデ村まで足を伸ばしたのですが、道でたくさんの子どもたちにすれ違いました。みんな頭から背中にかけて、いろんなものを背負っています。ガイドさんに聞くと、子どもたちは学校から帰った後、生活に必要な水、物資などを運ぶのだそうです。
乾季はほとんど雨が降らないので、水は大変貴重です。お風呂に入る習慣はなく、川で水浴びをしたり、身体をさっと水拭きします。それでも生活に水はかかせません。蛇口をひねったらすぐきれいな水が出てくる日本とは違います。必要な水は人力で運ぶしかないのです。
ある時私の前を幼児が通り過ぎました。片手にはなんと、水のタンクを持っています。1リットルくらいのタンクでしょうか・・・・びっくりしました。
おうちのところに立っていた母親に身振り手振りでこの子の年を尋ねたら、「4歳」と手で示してくれたので、ものすごく驚きました。
こんな幼児でも水を運んでいるのです。
う~ん、ヒマラヤの子どもたちはたくましい!