日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

えべっさん

2007年12月11日 | Weblog
1月10日はえべっさんの縁日である。通天閣に近い、今宮えびすにあるえべっさんは、商売の神さんとして、関西人の尊崇を集めて、毎年1月10日は大変にぎわう。
今年などは9日の宵えびすに残り福の11日を加えて、都合3日で
100万人を突破したという。

 物心ついて初めて、今年は本えびすの10日に参拝した。大きな傘の下に作られた、特大の賽銭箱は世の景気・不景気を反映するのだろうか。硬貨にまじって、漱石さんが泳いでいる。数こそ少ないが、福沢さんもチラッチラッと顔を見せている。

 締めて幾らか。下司の勘定が頭を横切る。
他人の銭勘定をしても、どうにもならんと思いなおして、今日お参りにきた要件を思い浮べた。

「商売繁盛じゃ、笹持って来い」
庶民の素朴な願いをなんとウマク言い表したセリフだろう。
大阪人は銭金に対してギラギラした感覚を持っているから、商売繁盛というセリフには説得力がある。
ましてや、えびすさんはえびで鯛を釣っている。
鯛を釣りたい人がえびを賽銭箱の中に投げこむのは、そろばん勘定があっていて、それは当然である。えびもつけないで、鯛を釣るような真似は大阪人はしない。何とも筋の通った話である。
大阪人のバランス感覚は健全である。

私も人々がやっているように、鈍い色を放つ小さいえびを投げ込んだ。そして両手を合わせて、それに見合う鯛を頼んだが、拝んでいる最中に、はっと気がついた。
もう少し大きいエビ投げ込んだら、それに見合う大きい鯛を頼んでも良いのではないか。

そこで、前回のはチャラにして、今度は白い色の海老を賽銭の池に放り込んで、一礼二拍手し、心の中で
「ほんまにたのんまっせ」と祈った、というよりは、えべっさんに下駄を預けた。
それでも、心残りがあったが、とりあえず、出口のほうへ向かって流れる人波に乗った。

 本殿裏に来ると、黒山の人だかりがある。何だろうとのぞいてみると、えべっさんの背中に当たる部分に、もう一つの神さんが鎮まっておられる。
五弊のついたしめ縄の張ってある神殿の前には、そこそこの賽銭箱があり、正面ほどではないが、投げこまれるお賽銭の音は鳴り止むことがない。
珍しいこともあるものだ。本殿の同じ屋根の下に、背後ではあるが、もう一つの神さんがまつって、あるなんて。

 私は小首を傾げながら、人並みに賽銭を投げ込んでから、心のなかで願い事を唱えた。
「どなたが御鎮まりますのか、存じませんが、御神様00市に住みますxxと申す男、50歳でございます。只今よりご挨拶の般若心経を1巻唱え奉ります。

続いて唱え奉る般若心経の功徳をもって心願成就をなさしめたまえ。般若波羅密多心経、むにゃむにゃむな、、、」

ひょいとお隣りを見て、熱心な祈りを捧げ終わった、年配のご婦人に、ここにまつられている神様について尋ねた。
「それはアンさん、なんでございますよ。正面から拝んだ後で、後ろに回り込んでもう一度、背中の方から拝んで駄目押ししますねん。せやさかいに、えべっさんも願い事をよう聞いてくれはりますねんやわ。それに、ほら、そこに大きな鏡みたいな鉄板が二つぶら下がってますやろ。それをな、叩いてだめ押しをしますねんや。
がーんがーん。こないしといたら、えべっさんも忘れはらしませんやろ。アンさんもしときなはったら。」
「おおきに。ほんなら私もしときまっさ。」
私は手のひらで、パターンパターンと鉄製の鏡のお化けみたいなのを叩いてだめ押しをしておいた。

今年、金回りがよくなったら、私は正にえびで鯛を釣ったことになる。えべっさんがどんな大きな鯛をくれはるか。今年は楽しみである。
 天気の良い冬の日差しの中には、もう春の息吹が感じられる。福娘のにこやかな顔の中にも、春が踊っている。








最新の画像もっと見る