日々雑感

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マラリア

2014年07月14日 | Weblog
       マラリア

バンコクではゲストハウスで彼と出会った。目指すはカンボジア・シエムリアプ、アンコールワット 。陸路でいくか、空路でいくか迷ったが、やはり空路を選んだ。
代理店の話では、陸路ではカンボジアのビザこみで1650から1750バーツだという。飛行機だと、カンボジアエアーが往復で5500バーツ。約1時間の飛行である。
ぎりぎりまで迷ったが空路にした。理由は体が楽だということだ。
陸路だったら、アランヤプラテートまでは列車で行き、国境を超えポイペトに入ってからは、トラックの、荷台に乗ることになる。おまけに、道路状況はいつも変わる。橋が壊れて通れなくなっていたり、道路が冠水して通じなかったり所定時間はあくまで未定で、ベストコンディションのときのことで6時間、運が悪いと10時間以上かかって真夜中になることもあるらしい。
そんな話を耳にしていたので、ワイルドで面白いじゃないかと胸が騒がないでもないが、今回はこれを見送って、彼は陸路、僕は空路ということに決めた。空路でプノンペン、に入り、そこからボートでシエムリアプに行き、アンコール・ワットで落ち合うことにした。どうせ狭い町のこと、1週間も滞在すれば、どこかで会うだろう、と言って別れた。

シエムリアプ
滞在中、彼を見かけなかった。ひょっとしたら、予定変更でシエムリアプに来ていないかもしれないし、遺跡の大回りコースを楽しんでいるのかもしれないと思い
僕は僕なりの計画に従って行動した。来る日も来る日もせまい町でありながら彼には会わなかった。

シエムリアプからプノンペンに向けて出港する高速艇は満員だった。
この日は夜来の、雨が上がらず 降り続いている。今朝もまだ降っていた。
そこでボートの屋根に登って旅を楽しむはずの人が、皆、座席の方にいるので、座っていても、足を延ばすことすらできなかった。
僕の座席は、最後尾の2人掛け116だった。 となりの、席の人が来ないので、これはしめたと思ったら、僕の名前を読んだ奴がいた。
「おう。君か。会わなかったねえ。どこにいたの? 君の席は何番だ?ええっ。なに?117。それじゃ僕の隣の席だ。荷物はどうした。?貨物室?」
「よかった。僕マラリアを心配しているんです。」
「えっ?それはいったいどういうことだ。?」
「体が、熱っぽくてだるい。それに体がフラフラして、頭がぼーっとしていて、いつもの感覚と違うのです。ガイドブックには、タイ国境地帯は要注意と書いてあります。」
「それでチョット聞くがね。下痢はしないか。そうか。睡眠は何時間ぐらいとっているの、悪寒はあるの。?」
「今はないです」
「ということは、ここ、2、3日中には あったということだね。ふるえが来たのは。いつだったの?」
「夕べです。夜中にかなりきついのがあって、どうなることかと心配しました。
チョット、熱を見てくれませんか。」
「確かに熱い。それに、白目がピンク色になっている。確かに体のどこかが変調をきたしているのだ。」
ぼくはあわててガイドブックで、マラリアのことを書いたページを開き、指さして、彼に読むように促した。
ガイドブックにはかなりきついことが書いてある。耐性パワーの付いた蚊には
強烈なのがいて、脳にきて死に至るケースだってあるという。
「君の症状は、君しかわからない。プノンペンに着いたら病院にいった方がよい。
宿ではクーラーは厳禁で、フアンもオールナイトはダメ。休養して体力を、回復させることだ。体力がないと病気に負けてしまうから発病するよ。素人の僕の見立てではマラリアではないと思う。連日3時間しか、ねないで、睡眠不足を重ねると、それだけでも体力は消耗する。熱はこの程度だったら微熱。37度台だ。食欲があり、ムチャな事をせず、静養するぐらいでどうだろう。それでもこれは素人考えなので、病院で、チェックだけは、しておいた方がいいよ。悪性になったり、進行して、もう後へは下がれないというだけの事態だけは避けなければ」
「ありがとうございます。そう言われてだいぶ、元気になりました。雨も上がったことだし、屋根に登って景色を楽しみます。僕の席に、水のボトルを置いていきますから」
「気を付けて。すこしでも不調を感じたらすぐ戻ってくるように。わかったね。」

意見を求められるならば、彼はやばい。あれば若者特有のいけいけどんどん
向こうみずも甚だしい。この感覚では、決して健全なバックパッカーにはなれない。
人が金で済ませるところを、金を使わないで、自分の気力体力知識、経験などをフル稼働させて、旅する者の名称それが、バックッパッカーである。
ついでに言うなら、自分との戦いである旅のだいご味はバックパッカーにしかない。彼はコントロールする前に体を全て若さに委ねている。それに耐えられるときはいいが、行き着くところまで行くと簡単に回復できない状態になる。
それでも誰に助けをもとめる訳にも行かず自分一人で呻吟することになる。
そんな心細い事はない 。

彼と僕は宿は同じだった。バックパッカーの間では有名なキャピトルだ。部屋は隣りだったので、その後の体調を聞いてみた。体のふるえ、熱 目の充血 どれも心配の種だった。そこで僕は船がプノンペンについたら病院に行くようにアドバイスした。

船着き場からホテルいくまでのバスで通ってモニポン通りの右手に見える大きい病院に駆け込んで検査をしたほうがよいとアドバイスをしたが、彼は病院には行かずじまいだったらしい。僕は少々腹が立ったが、他人のことだからそれ以上繰り返してしつこく言わなかったが、この程度の病状ならほっておいても、どうということはないと言う彼の判断には、感心した と言うより腹が立った。青年の体力パワーには圧倒されっぱなしだが、僕は心の中では僕の方が上手に旅をしていると勝ち誇ったような気分になった。
ところで、1週間もいて、アンコールワットくらいしか見るところのない、あの狭いシエムリアプでどうして出会わなかったんだろう。二人はどうして旅の最後の船の席が隣同士で 出会うことになったのであろうか。彼も不思議だと言ってたし、僕もそう思う。旅に出るとこのように、まるで運命的な 約束事ででもあるかのような出来事に出くわすことがある。不思議だな。 不思議だな。やっぱり 不思議だ。