明日はプノンペン サイゴン ラオスを回りバンコクへ戻る。
神様はよくもまあこれだけバラエティに富まして人間をお作りになったもんだ。皆それぞれの国の言葉を話し顔は皆違う。
僕が働くようになったのは昭和30年代以降のことである。日本経済が高度成長期に差しかかった時に符合して、僕らは働く事だけが唯一の楽しみであり、所得が向上したのでほしい物は金さへ出せば手に入れることが出来た。まずほしかったのは家電製品である。ステレオ、カラーテレビ、テープレコーダーなど憧れの的だった。
50年代に入るとマイカー持つことが出来るようになった。そんなわけで働くことこそが善であり、これが給料と言う形で跳ね返って来た。そこでますます働くことが人生のすべてになった。しかもその右肩上がりの成長が当然のこととして、いつも頭の中は高度成長路線で一杯であった。
ところがである。あるときから路線は大きく変わり始めたのである。すなわち右方上がりから水平、いや、下降ぎみになって来たのである。
勤勉に働く事だけしか知らない企業戦士、働き蜂にリストラの嵐が吹きあれだしのであり、完全に高度経済成長の流れは変わってしまったのである。平成とはそんな時代だ。
平成になって10年が過ぎた。バブルがはじけて経済活動は規模縮小を余儀なくされた。生産過剰が問題になり出した。当然企業は自己防衛のためにリストラを行うだけでなく、従業員の賃金カットをやりだした。その結果どういうことが起きて来たか。先行きに不安を感じた人々は生活防衛に走りだした。つまり不要不急のものは買わなくなったのである。当然消費は冷え込むことになる。
消費者の動態を知る1つの指標とされている百貨店の売上動向を見ても此の線ははっきり出ている。これから1980年代の消費に戻ることはもうないだろう。 そう考えると、平成という時代は我慢の時代ということになるのではないか。
日本の経済を支えて来た自動車、家電産業などはもう、大して期待出来ない。時代の要請に応じて、何か日本でしか出来ないような特殊な製品が成長して日本経済の根幹を支える迄になるには時間もかかろうから、みんなが浮かれるような気分になれる時代ではない。
個人的には、早く引退が出来てよかった。これからおとなしく暮らすだけだ。
バンコクで見た夢はそのまま現実となった。まさに正夢だったのである。
神様はよくもまあこれだけバラエティに富まして人間をお作りになったもんだ。皆それぞれの国の言葉を話し顔は皆違う。
僕が働くようになったのは昭和30年代以降のことである。日本経済が高度成長期に差しかかった時に符合して、僕らは働く事だけが唯一の楽しみであり、所得が向上したのでほしい物は金さへ出せば手に入れることが出来た。まずほしかったのは家電製品である。ステレオ、カラーテレビ、テープレコーダーなど憧れの的だった。
50年代に入るとマイカー持つことが出来るようになった。そんなわけで働くことこそが善であり、これが給料と言う形で跳ね返って来た。そこでますます働くことが人生のすべてになった。しかもその右肩上がりの成長が当然のこととして、いつも頭の中は高度成長路線で一杯であった。
ところがである。あるときから路線は大きく変わり始めたのである。すなわち右方上がりから水平、いや、下降ぎみになって来たのである。
勤勉に働く事だけしか知らない企業戦士、働き蜂にリストラの嵐が吹きあれだしのであり、完全に高度経済成長の流れは変わってしまったのである。平成とはそんな時代だ。
平成になって10年が過ぎた。バブルがはじけて経済活動は規模縮小を余儀なくされた。生産過剰が問題になり出した。当然企業は自己防衛のためにリストラを行うだけでなく、従業員の賃金カットをやりだした。その結果どういうことが起きて来たか。先行きに不安を感じた人々は生活防衛に走りだした。つまり不要不急のものは買わなくなったのである。当然消費は冷え込むことになる。
消費者の動態を知る1つの指標とされている百貨店の売上動向を見ても此の線ははっきり出ている。これから1980年代の消費に戻ることはもうないだろう。 そう考えると、平成という時代は我慢の時代ということになるのではないか。
日本の経済を支えて来た自動車、家電産業などはもう、大して期待出来ない。時代の要請に応じて、何か日本でしか出来ないような特殊な製品が成長して日本経済の根幹を支える迄になるには時間もかかろうから、みんなが浮かれるような気分になれる時代ではない。
個人的には、早く引退が出来てよかった。これからおとなしく暮らすだけだ。
バンコクで見た夢はそのまま現実となった。まさに正夢だったのである。