トッペイのみんなちがってみんないい

透析しながら考えた事、感じた事。内部障害者として、色々な障害者,マイノリティの人とお互いに情報発信したい。

吉祥天女への愛 日本霊異記

2008-06-11 00:32:42 | 文学
 奈良末期に書かれた日本最古の仏教説話集の中に、一風変わった作品を見つけた。吉祥天女は、インド神話から仏教界に入ってきた女神で、福徳を与えてくれる神様だ。容姿は整い美しい女神とされる。薬師寺に現存する国宝の画像は有名である。

 「愛欲を生じて吉祥天女の像(かたち)に恋ひ、感応して奇(めづら)しき表(しるし)を示しし縁 第十三」

 和泉国泉郡(大阪市和泉市)の血渟(ちぬ)の山寺に土で造った吉祥天女の像があった。聖武天皇の御代に、信濃国の在俗の仏教修行者(優婆塞=うばそく)が、その山寺に来て住んでいた。修行者はここの天女の像を流し目で見て、愛欲を生じ、一途に恋い慕って、一日六度の勤行に、「天女のような顔のきれいな女を私に与えて下さい」と祈った。
 この修行者はある晩、天女の像と交接した夢を見た。翌日、天女の像をよく見ると、裳(も)の腰の辺りに、不浄のものが染みついて汚れていた。修行者はそれを見て、恥ずかしさのあまり、「私は天女に似た女が欲しいと言ったのに、どうして畏れ多くも天女御自身が私と交接されたのでございますか」とつぶやいた。恥ずかしくて誰にも言わなかったが、弟子がひそかにこの事を聞き知った。
 その後、その弟子が師の修行者に対して、失礼な行いに出たので、師はその弟子を叱って追い出した。弟子は追われて里に出て、師の悪口を言い、吉祥天女との情事をあばきたてた。里人はその話を聞いて、行って真偽のほどを確かめた。その像をよく見ると淫水で汚れていた。修行者は隠しきれずに、詳しい事情を語った。
 深く信仰すると、神仏に通じないことはないという事が、よくわかった。これは不思議なことである。「涅槃経」に、「多淫の人は絵に描いた女にも愛欲の情を起こす」と書かれているのは、この事をいうのである。

 この話は、修行者の不徳を責めるようにも思えるが、原文の「諒(まこと)に委(し)る、深く信ずれば感応せずといふこと无(な)きことを」の部分からは、信心の功徳、吉祥天女の慈悲に解釈できる。そうなれば、村人たちは修行者の信仰心を尊敬したことになる。かくも、神仏の慈悲は深いものなのか。

 奈良時代の「万葉集」、「古事記」とは違う日本霊異記の世界。この話も生々しい人間臭さが感じられた。本来は、素直に信仰の話として読むべきなのかもしれないが。
 ※「涅槃経=大般涅槃経」には、「多淫の人は描ける女にも欲を生ず」との文言は無い。


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