かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

立春の頃

2023-02-03 12:10:06 | 日記

新年、2月になっての広瀬川。

あいかわらず国交省、農水省等縦割り発注による工事が、あちらこちらで展開されていて、一部護岸立ち入りも規制されているが、わざわざ北国から渡って来てくれている水鳥たちの数も種類もあまり変わりのないように見える。

広瀬橋周辺のハクチョウの家族たちは、昨年は30数羽まで確認できたが、今年は家族が増えて40羽は越えていると見えた。

昨年は、オオハクチョウの家族ばかりであったが、コハクチョウ家族も来てくれているようだ。(いまいち自信のない言い方)

クチバシの黄色い部分が半分以上なのがオオハクチョウ、半分以下はコハクチョウと「小学生レベル」の知識に基づいた観察なので、ちょっと怪しい。

野鳥観察は、撮影ばかりでなく小さなノートも必要だろう、数えた数えてもすぐに忘れてしまう。しっかり観察しよう。

毎年、2月頃に立ち寄ってくれるユリカモメも観察できたが、数羽しかいないのが気になる。彼らは短い間しか眼にしないが、本来カモメ類はエサの多い海岸に群れするものなので、数羽でも立ち寄ってくれればありがたい。

明日は立春だというのに、まだしばらく冷たい日が続きそうだ。 

広瀬川らも青葉の森も、毎日でも野鳥観察と行きたいところだが、なえた心身がブレーキをかけている・・・・

 

 

   

      キンクロハジロ♂くん

 

 

    

      コガモ♂君

 

 

    

    コハクチョウさんだと思ったけどちがうかな。ユリカモメ君と争わず、いつも優しい顔をしている。

 

 

 


日本百名山 MY SONGS    99 開聞岳(かいもんだけ・924米)

 

【深田日本百名山登頂の思い出】

映画だったかもしれないが、何かの映像で薩摩半島の知覧空港から飛び立った特攻隊員が操縦席から開聞岳に手を振り、日本に、この世にお別れの挨拶をして、沖縄の海に飛び去った光景を思い出している。特攻隊員にとっては、開聞岳は冨士のような存在だったのだろう。とにかく海岸線からスックとのびる円錐形は、付近の海上や地平線からひときわ目立つ秀麗な姿でそびえている。

深田さんは、百名山で「終戦後、中国で俘虜生活を送った私が、上海から帰国した時、船が日本に近づいて、夜のあけぎわにまず眼にしたのがこの開聞岳であった。その整った美しい山容を見て、とうとう内地に戻ってきたという万感のこみあげてきたのを忘れない。」と綴っている。

オイラは、深田さんとは異なる感情だったかもしれないが、2019年3月の末、足掛け11年に及んだ沖縄での生活に別れをつげた北帰行の旅のはじめに、南西諸島を転々と北上するフェリー乗っていて、鹿児島に近づいたあけがた甲板にでたときの冷たい風と北の海上に姿を現した開聞岳の姿を見て、「ああ、また寒い内地に戻ってきてしまった。」というある種の寂寥感が込み上げたのを思い出している。

 

     

開聞岳には、1998年11月末、屋久島から鹿児島に戻った後にレンタカーを借りて、高千穂峰と併せて登っている。地図でわかるように北の登山口から時計回りに1周回る様に登っていく道で,また北方向に戻ったあたり山頂となる。ごつごつとした岩の山頂で、居合わせた人は地元か九州のヒトばかりだったようで、仙台から来たと言ったら驚かれた記憶がある。頂上のニコリとした写真を誰かに撮っていただいたようだが、あの写真どこに行ったのやら。(アルバムを持たない性格ゆえ)

2019年、北帰行の旅で、指宿の砂むし風呂で火照った体のまま、佐多岬をめざした大隅半島行きのフェリーに乗ったオイラは、甲板の心地よい風に吹かれていつまでも開聞岳を眺めていたな。

    

    

 

     

 

 帰還セル洋上ニ浮ク開聞ニ「内地」テフ言ノ葉湧キイヅル

 

 開聞ニ操縦席ヨリ手ヲ振リテ母国ヲサリシ男アリケリ

 

 

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