平成最後の年の春、九州の旅を終えようとしている。
北帰行の立ち寄り重要ポイントに聖地巡礼を置いたが、神話の里の高千穂の各神社をお詣りし、昨日は、臼杵の石仏様達にお会いし、手を合わせた。
平安時代末期に、誰が、どのような願いを込めて凝灰岩の断崖に鑿を入れたか、学問が進んだ今でも不明だという。
千年の風雨に晒され、あるいは崩れ、あるいは摩滅した仏様たちを、それでも室町時代以降、在所の人々や信仰に厚い人々は、よくも守って、復元してくれている。今では、堅固な御堂や細心な保存技術によって守られているとはいえ、仏様たちのお顔が今でもいささかの朱をとどめていることに、驚き頭を垂れた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/ef/4da9115491397b20355dbfe194496408.jpg)
九州最後の道として大分市街から別府まで、あの別大マラソンコース沿ったサイクリングロードを、アカンマとゆっくり駆けた。
別府の街の背後に鶴見岳、そのさらに背後に由布岳の双耳峰が顔をのぞかせていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/dc/78d47e44d652e02986570da6b2c96b92.jpg)
登り残した山、九州編では、当然のごとくリストアップされる魅力的な温泉地に抱かれた両峰。
さて、この地を再訪する日は、令和の何年頃だろう?
北帰行の立ち寄り重要ポイントに聖地巡礼を置いたが、神話の里の高千穂の各神社をお詣りし、昨日は、臼杵の石仏様達にお会いし、手を合わせた。
平安時代末期に、誰が、どのような願いを込めて凝灰岩の断崖に鑿を入れたか、学問が進んだ今でも不明だという。
千年の風雨に晒され、あるいは崩れ、あるいは摩滅した仏様たちを、それでも室町時代以降、在所の人々や信仰に厚い人々は、よくも守って、復元してくれている。今では、堅固な御堂や細心な保存技術によって守られているとはいえ、仏様たちのお顔が今でもいささかの朱をとどめていることに、驚き頭を垂れた。
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九州最後の道として大分市街から別府まで、あの別大マラソンコース沿ったサイクリングロードを、アカンマとゆっくり駆けた。
別府の街の背後に鶴見岳、そのさらに背後に由布岳の双耳峰が顔をのぞかせていた。
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登り残した山、九州編では、当然のごとくリストアップされる魅力的な温泉地に抱かれた両峰。
さて、この地を再訪する日は、令和の何年頃だろう?