2023年初頭に、写真家田淵行男さんに出会ったことは、何かの縁(えにし)だと思う。と言っても、田淵さんの作品にはすでに「山の手帖 田淵行男写真文集」などで出会っていたのであって、なぜ今になって、図書館から何冊も著作を借りてきたり、春の安曇野旅行まで計画するだけの意欲が湧いて来たのか。
それは、たぶん田淵さんの本質=博物学者としての山や生き物に対する愛情、に打たれたからに違いない。とくに田淵さんと言ったら「チョウ」だ。
2、3年前から、オイラは旅する蝶アサギマダラやスプリングエフェメラルと言ってもいい早春の蝶ヒメギフチョウに出会ってから、チョウたちの生き方やたたずまいに関心を抱いてきたが、このことが「田淵行男さんとの再会」の背景にあったのかもしれない。
1983年、田淵さんが78歳ころに上梓された「山の絵本 安曇野の蝶」という本を借りてきて読んでいる。この本には、安曇野や常念岳を中心とするエリアで田淵さんが出会った50ばかりの蝶との出会いや細密なチョウたちの写生図が克明に記されていて、とくに主にチョウが翅を閉じた際の翅裏の写生図は大きく美しく、まるで大型カメラで撮影したカラー写真かと見紛うばかりである。
が、それらの絵は、田淵さんが冒頭で述べている通り、写真ではなく「絵の本質をふまえた肉眼的な視点で特徴を捉え、それを自主的に強調することで、写真とはっきり一線を画した」田淵さんの個性あふれる絵画である、何十年も書き溜めた美しい芸術作品なのだ。
美しい写生図と文章を読んで。あらためて、田淵さんの蝶に対する偏執的なまでの愛情にめまいがする思いである。オイラも、それら50種にも及ぶ美しいチョウたちに出会ってみたいが、本作品上梓の頃には、すでに安曇野の開発(日本列島の開発)によって姿が見えなくなったチョウたちも多く、田淵さんはこの本を「これらの蝶の絵姿は、私にとっては、昔の安曇野を偲ぶ形見のように思われる。」と締めくくっており、いまさらオイラが安曇野を歩いても、もうこれらのチョウたちを追体験することはかなわないことなのだろう。
そして、オイラにしてみれば、チョウたちとの出会いがあまりにも遅かった。いまさらチョウたちを追いかけてあちこちに旅する年齢ではなくなっている。
だとすれば・・・この先どのようにチョウたちと係わっていけばいいのか。
そうだ、オイラが今の時代も出会うことができて、大きな関心を寄せている前述の二種のチョウがいるじゃないか。
いわば「時の旅蝶」ヒメギフチョウと「空(間)の旅蝶」アサギマダラが。
ヒメギフチョウは、昨年の春ようやく蔵王山ろくの1000Mも満たない山の山頂で出会うことができたし、アサギマダラにだって、もちろん街中の野草園でも出会っているが、蔵王登山中のヨツバヒヨドリの仲間が生えているような草地で何度か出会っているし、この先も出会うチャンスは多いのだろう。
だとすれば、オイラはこの先、ヒメギフチョウとアサギマダラに集中して、彼等の生態を観察しながら、カメラに収める「努力」をしていこう。
あんなに会うことは厳しいかなと思っていたヒメギフチョウだが、
① どうやらヒメギフチョウの♂♀は、山の頂上をデートスポットにしているようだ
② 日本野鳥の会最新の機関誌「野鳥」で昆虫写真家の海野和男から教えてもらったのだが、ヒメギフチョウの♀は、子供たちの食草であるウスバサイシンに卵を産みつけるとき、ウスバサイシンがまだ葉を開ききらない二つ折りのときに、葉の裏側となる場所を狙って葉に近ずくそうだ。
これらのことが分かってきた。だとすれば、蔵王山域でもそのような場所と時期を選べば、ヒメギフチョウに出会えるチャンスは増えそうな予感がする。
そして、アサギマダラだが、年二回夏までに南の国から渡ってくる個体、秋に生まれて南に旅立っていくその子孫たち、この地でも年二回は彼らに出会うチャンスがある。
この先、春先のピンポイントの地域のわずかな命だが、永遠の命のリレーを夢見て旅立つ「時の蝶」ヒメギフチョウと日本列島の空を旅しながら世界の広さと旅する勇気をを教えてくれる「空の蝶」アサギマダラ。
この「時空を旅する」二種に特化して、出会いを求める歩きをしていこう。
彼らに何度か出会えて、ある程度、彼等の生態が分かってきたら、田淵さんに手を合わせよう。「ありがとう」と。
昨年4月末、蔵王エリア、A山山頂で出会ったヒメギフチョウさん
野草園のフジバカマの花に来ていたアサギマダラさん