風に誘われて

あの山から、あの海から、私を呼ぶ声が聞こえます。
風が「行こう!」と誘います。
風に誘われて、さあ立ち上がろう!!

天領の町 日田

2016-12-15 | 小さな旅
大分の日田は、江戸幕府の直轄地「天領」だった。
しかも統括する郡代も置かれていたのは天領の中でも全国で4か所(関東・美濃・飛騨・日田)のみだったということでも、
当時いかに日田が重要視されていたかがわかる。

ただ大分県と言いながらも地理的には福岡県に近く、交通の便も福岡とのほうが便利がいいので、
今回は福岡・柳川から足を延ばすことにした。

                                

日田の宿は鵜飼いで有名な三隈川に面しているものの、
今(11月)は鵜飼いの時季ではないので鮎は食べるのみ。


その鮎、宿で出されたのはお腹が上を向いた何とも不思議な姿 
怪訝な顔をしている私に、仲居さんが
「通常のようにお腹を手前に焼くのでは折角の美味しい脂が外に出てしまうので、
こちらではこの焼き方と盛り付けをしています」との説明。
なるほど、所変わればいろいろだな~と納得。

                            

泊った次の朝、暖かいお天気に誘われ川べりに出ていたら、
女将が「亀山公園の紅葉が綺麗なので散歩は如何?」と勧めてくれた。

 
亀山(きざん)公園になっている小さな島には橋が架けられて散歩には格好の場所。
公園の名称の由来は亀のような形をした山なので「亀山(きざん)」

歩くのが好きでない私だが、お天気が良いし、
いい頃合いの紅葉に誘われて頂上にある神社まで一気に上った。


神社は日隈(ひのくま)神社と言い、
拝殿には大久保利通が書いた「龜翁山」、西郷隆盛の書いた「日隈神社」の扁額があるそうだ。


                          

朝食を済ませた後は、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている「豆田町」へ


天領時代の屋敷・庭園・古美術を公開している「草野本家」は国指定重要文化財として公開されているが、
あいにく今日はお休みだったので入り口だけ

 
廣瀬淡窓の旧宅は豆田町の中にある。
淡窓が創設した私塾「咸宜園」が近くにあったので、
豆田町あっての咸宜園、咸宜園あっての豆田町として発展したのだろう。


 
近代日本最大規模の私塾「咸宜園(かんぎえん)」
「咸宜園」の名前の由来は、咸く宜し(ことごとく、よろし)という意味で、
門下生一人ひとりの意志や個性を尊重する教育理念を塾名に込めたらしい。

入門時には学歴・年齢・身分を問わない「三奪法(さんだつほう)」により全ての門下生を平等に扱ったり、
「月旦評」という成績表を作成したり、
門下生を塾の運営に参加させたり、
独特な教育法で評判となり、全国から向学心に燃える多くの若者が集まったそうだ。
(ここで学んだ門下生は、閉塾まで5000人を越したそうだ)


「咸宜園」はゆっくり見学したいと最後に残していた場所なのに、急遽お願いした説明ガイドさんの話が長くて、
建物をゆっくり見学できないまま、説明も途中で終わった
(終わったと言うよりも帰りのバス時間が迫って、説明途中で失礼した)
それからバス停まで2人で走った、走った
つい質問することが多くて、話が弾んでしまったことも時間オーバーになった原因。
柳川も時間に追われ、日田も同じく時間切れ。
これからは時間に余裕持たせるか、質問は最後にしなければ・・・

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