上巻
この巻では現代にタイムスリップしたヒトラーが、戦後70年経った現代とのギャップを実感することに終始。トルコ人が増えていることや、(小さいところでは)飼い犬の糞の始末の仕方のルールや、そして携帯電話、インターネット(小説内ではインターネッツという辺りが可笑しいが)、動画共有サイト(YouTube)への驚きなど。しかし正直ダレてきた。それは山場がないからだ。この設定を生かした展開は色々考えられるが、ちょっとわざとらしさもあり、すごく巧みなどんでん返し的な感心するようなネタはない。下巻でどう展開して行くのか?
下巻。
下巻も1/3まで読んだが、全般的な印象。ヒトラーのイメージとして、偏った政治思想、他の思想との明確な差違。芸術家としての側面、建築に造形が深い。など。しかし、この作者は、芸術的な感性はあまり詳しくない。政治思想にも中立的に見える。何より、思うのは、ミステリー要素が無いことだ。いや、難しいと思う。ヒトラーという人物を題材にしつつ、ミステリー特有のどんでん返しを期待することは。しかし、読者はそれを期待する。本当にどんでん返しをして、ヒトラー礼賛みたいな社会的な雰囲気になってしまったら困るし。
ヒムラーは石田三成と重なる。
読めば読むほど、全然コメディではないのではと思い始める。読者としては、せめて、本人は真面目にやっているつもりが、周囲からは冗談をやっているように勘違いされ、そのギャップで笑わせるものを期待していたのだが。宣伝文句からするとまさにそんな風に思ってしまうではないか?しかしちょっと方向性が違う。
読んでいると、ヒトラーは本当に狂気との思考者だ。世の中(特にドイツ人)を良くしようと考えている、だが、ちょっとずれているような、偏執狂的というような、違和感を感じてしまう思考だ。その上で、過激すぎる行動を取ろうとする。ただこの小説においては、ヒトラーは自分が第二次世界大戦中ではなく、現在に生まれ変わっており、従順な部下もいない、そしてまだこの現代社会からは100%受け入れられているわけではないので、自分の思想を押し出すわけではなく、ここは黙って周囲の状況に甘んじよう(しかしいつか自分が認知されるようになったときには、死刑にしてやる。と根に持ったり)とする。これは事実、ヒトラーがナチスの党首になるずっと以前はそうであったのだが。そうやっていつか目にもの見せてやると考えていたのだから、そして、そんなヒトラーがいつの間にか人心をつかみ独裁者となっていく。それを繰り返してしまうのではないかという懸念がある。
ドイツ人はあの戦争を反省し、ナチスやヒトラーを完全否定してきた。しかし、頭の中から排除するだけでは、またヒトラーのような人物(この小説ではヒトラーその人物だが)が現れたら、同じ過ちを繰り返してしまうのではないか。そうではなく、ヒトラーの何が問題なのかを考えたうえでなければいけないという警告なのだ。
上巻
20160613読み始め
20160625読了
下巻
20160626読み始め
20160703読了