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東日本大震災復興支援について

2021-03-10 00:01:59 | 災害復興支援(東日本・コロナ等)

 リスペクトコラムです。
 あさってで東日本大震災発生から10年となります。メディアでも徐々に特集が増えてきました。Jリーグではまだ余り見当たりませんが。川崎さんと仙台さんの先日の試合くらいか。昨日報ステを観ていたら、いきなり憲剛FROが出てきたので、慌ててビデオの録画ボタンを押す。そしてすっかり見入ってしまいました。時折目頭が熱くなってしまったり。改めて川崎さんは付加価値のメガクラブだなと思い直しました。リスペクトしてみましょう。
   
【川崎フロンターレと陸前高田市の10年】
 J1川崎は震災後10年にわたって、岩手県陸前高田市と交流を続けてきた。中村憲剛FROが現地で米作りをしていた。先月に陸前高田市を訪問。前に来たのは2年前の2019年。2011年に始まっているので10回目。自分の中では第2の故郷、田舎の実家に帰っていく感じ。その憲剛FROが10年目の節目に行きたかった場所の一つがあぜ道の先にあった「ふろん田」。
田んぼのオーナー金野さん「J1川崎の選手が来て、田植えをして収穫してお酒をつくる。そのお酒もまたおいしい」

   
 出来上がったお米は「清酒 青椿」に使われた。去年1,600本完売した大人気商品。なぜJ1川崎が400kmも離れた東北地方で清酒造りをする事になったのか。そこにはあの東日本大震災から10年にもわたる川崎フロンターレと陸前高田の絆があった。震災から半年後、そこにはJ1川崎の選手全員の姿があった。その爪痕を目に焼き付けた。現地では子ども達のためにサッカー教室を開催。市内から約100人の子どもが集まった。
憲剛FRO「震災が起きてからタイミングを探していた。今回半年経ってしまったが、サッカー選手としてサッカーを一緒にやって、サッカーを楽しんでもらえれば」
   

 J1川崎が行った支援はサッカー教室にとどまらず、「川崎フロンターレ算数ドリル」を配布。市内3つの小学校が津波で文房具や教材が流された。そこへ川崎市で独自に作っている教材を800冊寄贈。こうした支援活動を毎年継続して実施。震災から4年後にはクラブと陸前高田市と友好協定(高田フロンターレスマイルシップ)を締結。一スポーツクラブが地元以外の都市と協定を結ぶ異例のつながりが誕生。 
陸前高田市長「震災で被災をしたところに対する川崎フロンターレさんの温かいご支援という一歩的な関係でやってきたが、自分達としても大した事はできないかもしれないが、相互に連携できる事はないだろうか(と思った)」
   
 以降毎年ホームゲームで「陸前高田ランド」と題したイベントを開催し、陸前高田の方々による物産の販売が行われるようになり、支援は交流へと変化を遂げた。こうして関係を深めていった中、クラブが陸前高田で行う事になったのが「清酒造り」。
J1川崎担当スタッフ「地元の市役所の皆さんに話を聞いたり、いろいろ調べていくと、耕作放棄地や農業の担い手の不足がかなり課題としてあるという現状だった。」

 津波の被害で使われなくなった農地や担い手不足の問題に、サッカーの発信力を利用する事で農業の普及や復興に貢献したいと考えた。
憲剛FRO「サッカークラブが『米を作りたい』という依頼、なかなかないですよね。」
金野オーナー「素人ができるのかなと思ったりもしたけれども、やっぱり希望を持っていないと楽しくない。サッカーの人達がみんな来てやりがいがある、励みになる」
   
 一昨年の春、憲剛FROは稲の苗を育てた。復興を目指して作られたブランド米の品種は「たかたのゆめ」。サポーターも田植えツアーで現地へ。夏には選手全員が陸前高田を訪問。こうしてできた「たかたのゆめ」は岩手県内の酒蔵で清酒へ。その名は「青椿」。「青」はフロンターレ、「椿」は偶然にも陸前高田市の「花」と川崎市の「木」が椿だったことから名づけられた。去年は1,600本を完売。(今年の青椿は4月下旬完成予定)
 そして震災から10年という節目の今年の先月、酔仙酒造での醸造作業に参加。新型コロナの影響で選手は稲作ができなかった今回、それでもともに作り上げたいという思いは変わらなかった。
憲剛FRO「(青椿の味は)甘いです。口当たりはマイルドなんですけど、途中から炭酸の泡がシュワシュワっときて、自分は余り日本酒は飲めないがこれは全然いけますね」
酔仙酒造社長「フロンターレさんは震災の時から即来ていただいて、ずっと継続するってすごく難しいことなので、コロナ禍で去年は来られなかったので、今年はどうなのかっていうような時に来ていただいたので、うちらとしてもやっている甲斐がある。」
   
 今、陸前高田の街ではところどころにフロンターレを感じる事ができる。サポショ加盟店証や地元のサポーターが張ってくれているタペストリーなど。
 もう一つ憲剛FROが行きたかった場所の一つがある。被害の大きかった沿岸部に去年8月に、総合運動公園(2つの野球場と2つのサッカー場)として新たに高田松原運動公園が完成。愛称は「川崎フロンターレ 東北のカリフロニア フィールド」。フロンターレをより近くに感じられる場所という意味合いで。正直10年前に来た時、この光景(サッカーの試合)は全く描けなかった。瓦礫ばかりで何も無かった場所から、クラブが描く未来がある。陸前高田は温暖な場所。降雪地域の東北の他県の方たちがここ(この運動公園)を使用し始めている。みんながここに集まってサッカーできることで、観光産業も陸前高田は一つの柱になっているので活気が出る。スポーツはすごくパワーがあるので、東北の聖地になって欲しい。
   
 という内容でした。留守録で観たものをそのままベタ打ちなので、一部読みにくい部分もあったと思いますが、「そのまま」がいいと思ったのでご容赦ください。10年前は社会貢献ではゴールドだが、成績ではシルバーコレクターだった川崎さん。今やどこから見ても非の打ちどころの無い完璧なメガクラブとなりました。今季も3連勝。
 憲剛氏の肩書はFRO(フロンターレ リレーションズ オーガナイザー)です。本人がより幅広く活動したいという要望だったそうですが、まさに憲剛氏にピッタリの立ち位置です。今回の活動もコロナ禍で選手が動けない中、選手の代わりに活動した訳ですが、申し訳ないですが選手よりも存在感がある。究極のアンバサダーです。いや、アンバサダーよりも素晴らしいポジションかもしれない。たぶん、ミーハーな当ブログは、この青椿を買いに動く事でしょう。今回は前編です。川崎さんのこのテーマでの記事はもう一つ後編があるのでお楽しみに。
J1川崎関連:10310210110099989796959493929190898887868584838281807978777675747372717069686766656463626160595857565554535251
#がんばろう日本 #ThankYouHealthcareWorkers #ThankYouCaregivers

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