J OKAYAMA ~岡山スポーツの桃源郷へ

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地域に溶け込む川崎フロンターレ15 【J特】

2011-05-21 00:50:26 | サッカー(Jリーグ(J1・J2)・国内)

 川崎さんの話題が続きます。以前に見かけたコラム(4/26付)ですが、改めて読んでみるとそのレベルの高さに脱帽しました。スポーツによる震災復興活動ですが、レベルが違う話です。江藤高志さんというライターさんが書かれたスポナビの1コラムで、「川崎の支援活動に見るサポーター、行政との理想的な関係『Mind-1ニッポンプロジェクト』が成立するまで」というタイトルです。「Mind-1ニッポンプロジェクト」のいきさつ、「三位一体の支援」の先進事例が出てきます。当ブログはたぶんいくつかのJクラブのフロントさんも読まれていると思いますが、今日の記事は特に読んでください! 以下、抜粋して紹介。
     
  無類の“イベント力”を持つJ1川崎の支援活動だったが、短絡的な企画ではなく、その背景に「東日本大震災復興支援活動 Mind-1ニッポンプロジェクト」というコンセプトがありました。
 J1川崎の支援活動は、決してスタートが早くはなかったが、4月23日現在で3,575万余りに達しており、今ではJクラブでもトップクラスの規模である。これは持続性のある支援が必要だとの共通認識がクラブ内に浸透している証拠。「Mind-1ニッポンプロジェクト」はクラブに、サポーターと行政(川崎市)がかかわっているが、どのような経緯で実現したのか。

 震災復興支援活動で作られたJ1川崎のコンセプトは、サポーターである川崎華族代表の山崎氏と緊密に築かれていった。その中心にいるマーケティングループ・天野氏を逡巡させたのは、甚大な被害規模を踏まえ、支援活動の長期化が必須であるという認識。
 長期間にわたり、中だるみすることなく支援活動を継続するには、記憶の風化を跳ね飛ばすコンセプトを、フロントスタッフに提示する必要があり、そこで登場するのが川崎華族の山崎氏。2人で川崎としてのコンセプト作りを進めていく。

 「ポイントになったのは、募金活動がイコール支援活動ではないということ。支援の活動の1つが募金活動なんだということです。支援イコール募金活動、義援金というイメージになっていたけど、そこは違うよねという話はしました」
 「『やろうよ』、じゃなくて『やらないとダメだ』と。『それがクラブの使命であり、フロンターレの存在価値、存在理由がそこにある』と言われた」と天野氏。
 山崎氏から「今までやってきたことは見せかけか?!」とまで言われ、そうした熱意ある言葉で天野氏は不眠不休での活動を決意。まずは基本コンセプトで、その象徴が“Mind-1ニッポン”というキャッチフレーズ。

 方向性が決まると、天野氏は早く動いた。中断期間になり、チームが一度解散した3月14日に、天野氏は横山選手会長と井川主将とクラブ強化部長に基本理念の説明を行う。
「こういうことをやるからには、選手が街頭に出てほしいと。ただし、そこでやらされているという意識ではなくて、自らやるんだという意識を見せてほしかった。だから、そのためには選手会とキャプテンとの話が必要だった。彼らの方がそういうことの大事さを感じて、選手に話をした。選手から強化部に話してもらうという形を取らないと、『天野が言ったことをやらされている』という認識になったら、この活動に継続性はないなと。それを5日間でまとめるのはすごく大変だった」

 一方の山崎氏は、サポーターはあくまでもクラブを支える黒子に徹するというスタンスを取ることを決意。
「募金活動はいろんな人たちがやると思った。善意が、悪意に利用されてしまうという懸念が広がるのは良くない。だから川崎華族として募金の先頭に立つのはやめようと。そうではなくて、川崎フロンターレという信頼されている団体の活動を、自分たちが支える立場を取ることにした」と山崎氏。
 その上で、若手サポーターの発案で3月16日の朝、通勤時間に横断幕を掲げて、通勤客にあいさつを続けられました。
「首都圏は地震や津波の被害は受けていないんだけど、停電が起き、電車の本数が減って、みんながピリピリしていた。だから、若手が武蔵小杉の駅に立って、横断幕を持ってあいさつをして、頑張っていきましょうという呼び掛けをした。それが、僕たちサポーターができることじゃないのかなと」と山崎氏。

 18日、22日には川崎市で活動する他の競技団体と合同で街頭募金活動を実施。その後「『あれはパフォーマンスだったの?』という話になって。これって継続的にやるべきことだということで、それをちゃんと形で表さないといけないと。だから言葉も最初“Mind-1ニッポン”だったのを、“Mind-1ニッポンプロジェクト”に変えた」と天野氏。
 募金活動はあくまでも支援活動の1つであるという考えがベースにあり、募金活動は「Mind-1ニッポンプロジェクト」の中の1つの活動であるという姿勢で「プロジェクト」という言葉が加えられた。継続した活動としての復興支援を「Mind-1ニッポンプロジェクト」として行う一方、サポーターに笑顔で支援してもらうために、スタジアムでのイベントも充実させる。

 一方で、このプロジェクトには地元行政(川崎市)も深く関与。「3月12日、13日には電話で、義援金活動をやりたいという話をしている。ただ、直接川崎市にどうかしてくれということではなく、どうすれば許可を取れるのかという部分のレクチャーをお願いしたい、と市民スポーツ室蛭田課長。
 4月2日の横浜FCとのTMでは被災者を招待。炊き出しで、行政からアドバイスを受けて実施。前もって被災者が何を欲しているのかを確認していたが、J1川崎は行政が持つチャンネルを最大限に引き出していた。
 川崎市ホームタウンスポーツ推進パートナーという組織を利用した復興支援活動の計画が進んでいるとの事。
「3つほどあるんですが、その中の1つをイベントとして秋ぐらいをめどに開催できないかと考えています。復興支援の熱波が去って、尻すぼみになっていることが考えられるので、そのタイミングでやりたいと思います。もう一度、支援の輪を掘り起こしていきたいと考えています」
 「そのために、市当局のイニシアチブとJ1川崎のイベント力を発揮して欲しい」「(J1)川崎の力なしでは考えられない。あのイベント力は大きいが、頼ってしまってはいけない。スポーツ推進パートナーを活用する部分に関しては、行政が先頭に立っていくことは考えている」と蛭田課長。

 短期的な支援活動はもちろん、継続した中長期的な支援が必要であるというコンセプトを川崎とサポーターとが連携して確立し、それに沿った活動を続けていく。そして、支援活動を啓蒙するという目的を持ったイベントを行政が主導し、これに川崎が協力する。「Mind-1ニッポンプロジェクト」はこうして、今も進行し続けている。フロント、サポーターとの緊密な連携によって川崎の災害復興支援のコンセプトが形作られ、そこに行政の協力が入る。何とも理想的な関係ではないかと感じている。
 
 とライターの江藤氏は結んでいます。「募金活動イコール支援活動ではなく、募金活動はあくまでも支援活動の一つ」「パフォーマンスで終わらせないために『プロジェクト』にした」など、このコラムの中には、どこかのクラブに聞いて欲しいような言葉が溢れています。
 中には一発花火で募金活動をやったとか、4月から1度も選手をこういう活動に出していないとか、川崎さんに首をかしげられるクラブがあるかもしれませんが、J1川崎さんの活動(プロジェクト)は、
コンセプトなど極めてレベル・質がとても高いと思います。
 以前の記事で、他のクラブのこうした復興支援についてのクラブ独自のプロジェクトを紹介していますが、それらのクラブは川崎さんと同様に、社会貢献意識の強い素晴らしいクラブだと思います。それが「地域密着」なのでしょうか。
スポーツナビ該当記事:
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/jleague/2011/text/201104260001-spnavi.html
各クラブ震災復興独自プロジェクト関連:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20110418

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