(株)カプロラクタム-blog

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清須城と小牧城

2014年03月02日 | Weblog
昨日の説明を受け、居ても立ってもいられず残る信長の居城2つを攻めてきました(笑)

昨年は安土城へ赴き、GWには金華山登山をして久しぶりに岐阜城にも行ったので、いずれは行ってみたいと思っていました。あと、自分は大河ドラマはそれほど見ていないのですが、中学高校の頃の「吉宗」「秀吉」は何故か全編見ており、その時に秀吉役をやっていた竹中直人さんが「軍師官兵衛」でもまた秀吉をやると知って、今回は見ることにしたところ中々面白く、もう一度戦国時代の本も色々と読んでいる所で、良いタイミングだと思ったわけです。ただ、いつでも行けると思う分、意外にも中々思い切りがつかないのが近さゆえの矛盾ですね。たまたま名古屋で飲む約束があったため、午前中から出発し、清須城、小牧城の順に散策しました。

清須城は駅から歩いて5分と言った所で、いつも電車内から見えていましたが近くで見るとそこはかとなく安土城を思わせる出で立ちでした。まあ、それもそのはず、当時城といえば見張り小屋のようなものでしたから、このような立派な城が昔から建っていたわけでなく、おそらく安土城のデザインを参考に建てたのでしょう。中はしっかりとした歴史館と展望台になっており、かなり見応えがありました。井沢さん監修の解説もなされており、「岐阜の楽市楽座は清須の人達が移住できるように行ったもの」という見方は、こちら側の立場で考えないと思いつかず、なるほどと思いました。結果的に経済が活性化し尾張勢も地元岐阜勢も双方の得となったわけですが、歴史はやはり様々な見方で見る必要がありますね。

その後、小牧へは色々考えた挙句、歩いていくことにしました。14km程度ですから昼食込みで3時間と言う見通しでしたが、結局ひたすら歩き通して2時間ちょいで着きました。しかし後で気づいたのですが、小牧って最終目的地の名古屋からかなり遠ざかる位置にあるのですね。空港もあるからもっと名古屋よりのイメージでいたので大失敗でした。先に名鉄で小牧へ行き、清須まで歩けばもっと早く安く行けたのになあ・・・やはり衝動的に行くものではないですね。国道22号と302号の立体交差を徒歩でどうやってくぐるのか悩んだ挙句、結局車道に出てしまいましたし(笑)

小牧城は方向音痴な自分も、目的地が山の上に見えていれば迷わずに着くことができました。まあ、まさか見えてからまだ5km以上も歩くとは思いませんでしたが・・・ちょっとした山林公園のようになっており、城の中はやはり歴史館と展望台になっていました。こちらは信長が居た期間が短く、岐阜に移ったと同時に自然廃城となったようで、信長よりもむしろ秀吉VS家康の舞台となった小牧長久手の戦いをメインに紹介している感じでした。
ココまでは良かったのですが、とりあえず帰りの作戦を練ろうと駅を目指して歩き出したものの案の定道に迷い、1時間ほどぐるぐる回る羽目になってしまいました。合算で25km近く歩いたかなあ・・・お陰でビールはおいしかったですが(笑)

官兵衛自身にも興味が出てきたので、そのうち大修復を終えた姫路城や備中高松城なんかも見てみたいです。
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岐阜公園

2014年03月01日 | Weblog
信長居館跡に巨大な庭園 1日に現地説明会
というわけで、その説明会に行ってみました。

岐阜城は金華山の頂にありますが、発掘調査をしているところは山のふもとの岐阜公園の中にありました。元々は斉藤道三の居城ですし、山城は守りこそ頑強ですがやはり住むには不便ですしね。何やらかなり広い池や石垣が造ってあったらしいのですが、流石に庭園があったのは江戸時代よりもさらに前、400年以上昔の話ですし、岐阜公園は明治時代に今のように整備された時にかなり土盛りをしたらしく、当然当時の全景を記したものは限られ、ルイス・フロイスの書でのみその様子が語られるのみであり、今回の調査でその規模がかなり大きなものであったことが分かった模様です。「当時は石垣跡が出ただけでも驚きだったのに、これほどの規模だったとは」と、調査係の人も話していました。

奥に見えるのは三重塔ですが、その横の山の斜面から流れる滝水をせき止め、手前にかけてかなり大きなため池が整備してあったそうです。ただし、どのように水を流したかや、排水設備などは発見されておらず、自然に流れる雨水を貯めたか、来賓があるときにのみ人工的に水を貯めたのではないかという話でした。今でこそロープウェー乗り場に阻まれて景観は良くありませんが、昔はココからでも岐阜の楽市楽座の町並みが一望できたことでしょう。当然、市井の者も領主である信長の居城を眺めるわけで、機能性だけでなく豪華絢爛さまでも誇る、信長らしい居館であったことが伺えます。

丁度軍師官兵衛でも岐阜城が出ていますが、もしかしたら、本当は上でなくこちらで会っていたのかも知れませんね。
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