(株)カプロラクタム-blog

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大泣き

2006年09月19日 | 私見
給食の前、子どもが久しぶりに大号泣していました。

その子はお腹がすくとたまに泣くので、今回もそれかなと最初は気にしていませんでした。確かに、たまたま今日は配膳が10分ほど遅れていて合掌までに時間がかかっていました。しかし、今回は合掌後「もう食べられるよ」と勧めても余り食べずに、また大泣きが始まっていました。
次に気にするのは、熱があるか、どこか痛いのか、です。おでこに手を当て、念のため熱を測りましたが平熱。また、「どこが痛いの?」と聞いて応えてくれればそもそも養護学校に来ていません。歯やらお腹やら各部所を触って反応を見てみてもはっきりとは分かりませんでした。
しばらく様子を見ていると、そのうち食卓から離れ、手近なガムテープをはがして指に巻き始めました。改めて見ると親指の皮がちょっとだけ捲れていたので、「保健室に行こうか」と誘いバンソコウを貼ってもらいました。その場はそれで納得したようで、肝心のバンソコウは保健室を出るなりすぐに取ってしまいましたけど、その後は落ち着いていました。

赤ちゃんもよく泣くことでお腹がすいた、ウンチが出たなどということを伝えようとしますが、何か要求を伝えたい時にその表現方法が1つしかないと、受け手は非常に大変なのだなと言うことを改めて感じました。お母さん方は赤ちゃんの泣き方1つでその要求を正確につかめると言いますが、これは赤ちゃん側に泣き方を変えるというスキルが身についたからだとも言えると思います。もちろん親もより正確に要求を理解しようとする一心から、時間帯であったり今までの経験であったり、様々な情報を総合的に判断して応えようとしているわけですから、お互いコミュニケーションが取れていることは間違いありません。大切なのは「理解しようと思うこと」なのです。
今回の場合も、本当に指が痛かったから泣いていたのかと言うと、必ずしもそうではなかったと思っています。我々でもたまにあるように、昔あった嫌なことがふっと思い出されて泣いている場合だってあるのです。そこまでくると本当に想像するしかありませんが、「何故泣いているのかな」という気持ちをこちらが目いっぱいぶつけることで見えてくることもありますし、逆の立場でも、相手に何とか分かってもらおうとする気持ちが湧いてくるものなのだと思います。言葉に頼りがちな現代で、言葉にできない思いをもつ子ども達の“心の言葉”に目を向けられる教師になりたいものです。

何か、今すぐにでも子育てできそうだよなぁ・・・そのまえに畑を耕さないといけませんがね(爆
コメント
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