鴨着く島

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霧馬山が新大関に昇進

2023-06-04 10:05:39 | 日記
関脇霧馬山(27歳=1996年4月生まれ)が新大関に昇進を果たした。

霧馬山は陸奥(みちのく)部屋所属で、出身地はモンゴルだ。

陸奥部屋の親方は元大関の霧島で、親方は昇進と同時に霧馬山に自分のしこ名を継承させた。

しこ名の継承は珍しいことではないが、モンゴル語の本名はビャンブチュルン・ハグワスレンと言い、モンゴル人の名はいつ聞いても一息で返せそうにない。

モンゴル語は日本語と同じ「苗字+名前」だから、名前の方はハグワスレンだ。「ハグ(抱擁)」を「忘れん」と覚えればいいかもしれない。

元霧島の陸奥親方は軽量に泣きながら筋肉を鍛え上げ、ついに大関にまで昇進したが、本当は横綱まで行きたかったらしい。その悔しさを弟子の霧馬山にしこ名を与えることで晴らしてもらいたいようだ。

ハグワスレンには重圧になるかもしれないが、それでこそ「親方と弟子」つまり文字通り疑似の「親と子」ということだろう。

今後の精進と稽古で横綱昇進を大いに期待したい。

ところでモンゴル出身の横綱だが、今のところ照ノ富士までで5人を数える大所帯だ。

朝青龍が第1号(2002年)、以下、白鵬(2006年)、日馬(春馬)富士(2009年)、鶴竜(2012年)、そして照ノ富士(2015年)。

第68代朝青龍から現在の第73代照ノ富士の間に日本人で横綱になったのは72代の稀勢の里ただ一人で、その横綱の期間もわずか2年だったから、ここ20年はほぼモンゴル人横綱が独占していたことになる。

ここへ来てまたモンゴル出身の霧馬山改め大関「霧島」が、となれば国家的危機いや「国技的危機」に見舞われそうだ。

野球やサッカー、バスケットなどには外国籍の選手が昔から多いが、向こうは集団的なプレーなのでそこまでは思わないが、大相撲は個人技であり、しかも国技だからわけが違う。

そう目くじらを立てるのはどうかと思うが、救われるのは、所属部屋制度の中で競技者として育て上げられることだ。新弟子はどこかの部屋の親方によってスカウトされ、その後は疑似的な関係とはいえ「親-子」となる。

部屋ではもちろん日本語が常用されるので、モンゴル人もジョージア人もその他の外国人力士も次第に日本語が上達し、会話だけ聞いていると日本人力士と遜色はない。

特に面白いのがモンゴル人力士の日本語だ。彼らのアクセントは全くの日本型アクセントなのだ。

朝青龍が横綱になる前にアメリカ人の曙や武蔵丸などが横綱になったし、もっと前にはジェシーこと高見山が大関になって大人気だったが、彼らの日本語はどこかアクセントの違いが気になった(それがまた面白いとさらに話題になったが)。

ところがモンゴル人力士は「端正な日本語(標準語)」をしゃべるのである。まるで日本で生まれ日本語を母国語としていたかのようなのだ。

この特徴は朝鮮半島出身者にも当てはまる。テレビなどでよくコメンテーターとなる半島系の人物群はやはり標準語に近い日本語を話している。

どうも日本列島人・朝鮮半島人・モンゴル人には共通の祖語があったと考えるに大過は無いと思うのである。

私はその「祖語」を古代倭人語ではないかと考えている。

先日3回に分けて「倭人とは?」をブログに書いたが、「漢書地理志に書かれている楽浪海中に住むという倭人は、朝鮮半島と日本列島(特に九州)を含めた広域に散在する倭人のことではないか」としたが、この楽浪海域に広域に住む倭人の共通の祖語はもちろん当時の「倭人語」であったはずだ。

北朝鮮の放送局からたまに向こうでは高名な女性アナウンサーがしゃべっている様子が放映されるが、意味は分からないが「‣・ビョルン チャッガス ハンスミダ」などという語尾を聞くと、「~ン」や「~ダ」で終わったり、途中の単語を続ける「~ン」が多用されている。

この「~ン」「~ダ」や「チャッ」のような促音便は、九州弁の中でも鹿児島弁ではお馴染みの発音である。また濁音も多く使われる。これは言語学者によると縄文語に起源があるらしい。

縄文中期ごろから九州の中でも南九州の倭人は九州地方はもとより、遠く南西諸島にまで船による広域圏を持っていたらしいことが各地から発掘される同時代の土器や黒曜石から証明されているが、その内の余力ある海人が朝鮮半島まで船足を伸ばしていた可能性は高い。

その倭人が定着し、漢書をして「楽浪海中に倭人有り、分かれて百余国」と記録せしめたのではないだろうか。

新大関霧島ことビャンブチュルン・ハグワスレンもそんな倭人の血を引いているのかもしれないと思うと、「国技大相撲」の応援に力が入りそうだ。こうなったら元大関霧島の陸奥親方に是非とも横綱を見せてやって欲しい。


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