鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

『投馬国と「神武東征」』を自費出版

2020-11-12 13:37:58 | 古日向の謎
このたび、著書、タイトル『投馬国と「神武東征」』を自費出版した。


大隅史談会という昭和26年設立の歴史・郷土史の研究会が毎年春に発行している会誌『大隅』に、平成17年から平成29年まで属していた間に投稿した35編の論考を一冊の本に纏めたものである。

会誌『大隅』の第48号から第60号までに載せた分だが、そのうち50号から60号までは会長職としてその編集と発行に携わっていた。

私の主な研究対象は古代史で、中でも邪馬台国関連と古日向を舞台にしている天孫降臨神話(古日向を舞台にした皇孫四代の神話)であるが、この本では2003年に書いた『邪馬台国真論』の続きという意識もある。そしてさらに古日向の成り立ちについて、その核心に迫ろうとしたのが論考の眼目である。

どこまで核心に迫れたかについては道半ばの感もあるが、それでも「邪馬台国が九州筑後の八女市を中心とする地域である」ことと、「戸数五万戸と倭人伝に書かれた投馬国は古日向全体であり、ここから発したとされるいわゆる神武東征は史実であった」ことについてはほぼ100パーセント、論証により確定したと思っている。

素寒貧な古日向からの東征(自分としては巨大災害による避難的な移住と考える)によって畿内に大和王権の基の「橿原王朝」が樹立されたなどということは全くの造作で、ただ「日向」という吉祥地名を持つゆえに、そこから最初の王権がもたらされたと作文したに過ぎない—―という津田左右吉学説はもう完全に否定されなければならない。

はるか遠い昔から薩摩地方、大隅地方、そして宮崎県の南半分は常に火山活動と台風の襲来にさらされており、それゆえ「素寒貧」であったことは間違いないが、それでも、いやそれだからこそ、船を操り出して海産と交易に突出して行ったと考えられるのである。

米作りが国造りとなった弥生時代以降は経済(国力)的には確かに遅れ始めるが、なおそれを凌ぐ交易力は持続し、九州島のみならず北は朝鮮半島、南は南西諸島までが交易圏だった。

以上のような前提を踏まえて、「古日向=投馬国」「曽の国」「クマソ」「ハヤト」「倭人」などの解釈を施し、さらにそれらの周辺の関連事項を考察したのが本書の内容である。以下に本書の章立ての部分のみだが、羅列しておく。

第1章 南九州(古日向)にあった投馬(つま)国

第2章 邪馬台女王国は九州筑後の八女

第3章 「神武東征」とは投馬国の東遷である

第4章 古代大隅の人と風光

第5章 謎の応神王朝・武内宿祢・神功皇后

第6章 日本人の祖先「倭人」の足跡をたどる

(補論として「卑弥呼の墓」・・・これは最近の論考である)

本の体裁はA5判で、総ページ数368P、定価2700円(税抜き)
制作は南日本新聞開発センターで、発効日は2020年10月30日

※購入希望の方は南日本新聞開発センター(TEL099-225-6854)へ問い合わせれば、県内の南日本新聞販売所を通して入手できる。この時の支払いは定価に消費税をプラスして2970円。
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