鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

安田氏開放と二人の徹

2018-11-01 10:40:02 | 日本の時事風景

今朝のKKB(鹿児島テレビ=テレビ朝日系列)の羽鳥モーニングショーで、シリアで人質になっていたフリージャーナリスト安田純平氏の解放と帰国に関して、二人の「徹」が論陣を張っていたのを興味深く聞いた。

ひとりの徹はテレビ朝日社員でこの番組のレギュラーコメンテーターである「玉川徹」氏で、もう一人の徹は御存じ、あの維新の会の代表で大阪府知事・市長を歴任した「橋下徹」氏である。

玉川氏の言い分は「無事に解放されて帰国した安田純平氏を、税金の無駄遣いだなどと叩く論調が多いが、なぜ危険地帯へ身を挺して出かけ、情報を国民に提供しようとしていた人を叩くのか分からない。敬意を持って迎えこそすれバッシングはないだろう。国民のために現地の情報を伝えるのは民主主義の基本ではないか」というものだ。

一方で橋下徹氏は「単なるバッシングはいけないが、といって玉川氏のように英雄視するのはどうか。ジャーナリストの活躍は自分も大事なものだと思っている。しかし反政府勢力に拘束され、身代金が日本政府から支払われたどうかは不明だが、彼の救って欲しい旨の映像が流れ、その人物が安田さんと特定されたので日本政府も外務省をはじめレスキューチームを立ち上げている。これには国民の税金が使われている」

玉川氏はこうも述べた。「仮に兵士が他国に行って(戦闘に遭遇し)無事に帰国したのであれば国を挙げて英雄視するのに、民主主義のために現地の情報を得ようと命がけで出かけて帰ってきた人をバッシングはないだろう」と。

玉川氏は同じジャーナリストとして、安田氏を畏敬の念で迎えたいのだ。それは分からぬでもない。しかしそれにしてもテレビ朝日の社員で解説者(重役に近い)としての待遇を得ている人物が「兵士」を引き合いに出したのには驚く。自衛隊員というのなら今日自衛隊の存在を認めている朝日の重役としておかしくないが、「兵士」となると憲法9条の朝日的解釈では受け入れられなないのではないのか? あとで問題にならなければよいが・・・。

そもそも、こういった兵士と戦場に出かけたジャーナリストとを同日に取り上げるのはおかしい。なぜなら兵士は(日本の自衛隊員でも)国の命令で戦地に出かけるのであり、国家の命令を義務として忠実に守って(死ぬか生きるかは別にして)任務を果たして帰ってくる。他方のフリージャーナリストは自分の自由意志で戦地なり、ほかの危険な仕事なりに出向くわけで、現地に出向く動機が全く違う。これを一緒くたにしては話にならない。

橋下氏のは、フリージャーナリストとしての仕事は戦地に行こうがどこに行こうが結果を出してこその話で、もし他のどのメディアもジャーナリストも掴みえなかった情報をもたらしてくれるのであれば「拍手喝さい、称賛」に値する。まだ、帰国したばかりで安田氏がどんな情報をつかんできたか分からない段階でのバッシングはすべきではない、との論調であった。

橋下氏の言い分の方がもっともだろう。要は、危険を冒してまで現地に出かけるのはフリージャーナリストの自由であり、プロの職業人としてはどうなろうと自己責任の範疇であるということだ。ただし、危険の代償としてこれまで誰にも掴みえなかった情報をもたらしたのであれば大いに評価されるし、各メディアが放っておかないから引っ張りだこになり、結果として多額の報酬は得られるから、フリージャーナリストとしての市場価値は途轍もなく上がる――というだけのことである。

玉川氏の言い分の中で不可解なのが「民主主義のために戦地へ行って情報を得ようとしていた(安田さん)」という下りだ。

この際、「民主主義」は飛躍的すぎる。「自由主義」に置き換えるべきだろう。職業上、自由を得て、つまりフリーランスとしてならどこへ行こうが全くの自由である。こういう自由な職業は、メディアが自分の中に取り込んでいる玉川氏のようなジャーナリストを危険な場所には絶対に派遣しない以上、大いに必要な職業である。

テレビ朝日の社員としては極めて大きな制約を科せられているがゆえに、玉川氏としてはそういった「自由に行動できるフリージャーナリスト」を畏敬の念で眺め、「自由はいいなあ」という我が心中を、これも制約上「民主主義のために戦地に出かけて行った」とくどいほど言うしかなかったのだろう。もし、テレビ朝日(朝日放送)が「民主主義こそがわが社の最大のコンセプトだから、その民主主義を実現するためにはどんな危険地帯にでも社員を派遣する」と言うのであれば話のつじつまは合ってくるのだが・・・。

それに、数年前にISILによって拘束され数か月後に殺害された同じくフリージャーナリストであった後藤健二氏について、玉川氏が一言も触れないでいたのはおかしい。もし危険地帯に出かけて情報を得ようとしていた人物を称揚するのであれば、後藤さんをも「英雄視」しないではいられないはずだ。