今回からしばらく、「戦後60年~あの夏を忘れない」というテーマでお送りするつもりです。太平洋戦争の終結から60年、この節目となる年に、我が祖国・先達が体験した戦争を振り返ることにより、未だ争いの絶えることなく、むしろ新たな戦争の時代のただ中にあるとも見える現在の世界情勢において、我々が今後いかなる道を選び、進むべきなのかを考える手掛かりになればと思います。
で、その初っ端が「スター・ウォーズ エピソード3 シスの復讐」の感想でございます。何だよ結局流行りモノかと、いくらナチスの台頭をモチーフの一つにしていると言っても、それは「あの夏」じゃないだろう、というもっともなご意見もあるでしょうが、ナチスドイツとは同じ枢軸国側としてともに戦ったんだから、ここは寛い心で受け止めて欲しい。
娯楽映画としての出来はいまさら喧伝するまでもないでしょう。民主主義の共和国の独裁帝国への変容、ジェダイ騎士団の崩壊、「選ばれし者」だったはずの主人公アナキンの堕落・破滅という3つの悲劇が物語の主軸となっており、そこにこれでもかという質・量・種類の戦闘シーンが組み込まれ(この戦闘がCGを駆使しつつも、泥臭くて小汚いのもリアルで好感が持てる)、結末までまさに怒濤の如く雪崩れ込みます。だれる場面と言えば、機械が軋む音が聞こえそうなほどにぎこちないラブシーンぐらい。この展開の早さのおかげで、心理描写や状況説明はこまやかさに欠けていますが。
悪に魅入られた主人公が最後には酷たらしい業苦に遭い、善人達を陰謀にかけたシスの暗黒卿が勝利し権力を握るという、暗くて後味の悪い結末ではありますが、それほど救われない気分にならなくても済むようになっているので、娯楽映画として踏み外してはいません。描写が総じて薄味なためもありますが、なにしろ、大概の観客はこの後で(つまりエピソード4以降で)、結局は悪の帝国が滅んで正義が勝つことが判っているのだし、ちゃんとエピソード4につながるシーンを入れて、新たなる希望を判りやすく暗示してくれています。だから、ややこしいことを考えず、長きにわたって続いたシリーズの締めくくりという、お祭りに参加するような気持で楽しめるでしょう。
が、その「ややこしいこと」、要するに政治的・イデオロギー的な部分について考え出すと、どうにも引っ掛かるものがあるのですね。そんなことは措いておけ、と言われても、作品中の至る所でその類のメッセージが出てくるので、ほっとくわけにはいきません。
先ほどナチスの台頭がこの映画のモチーフの一つだと書きましたが、それ以上に濃厚なのがブッシュ政権への批判です。そのあたりは、下記のサイトで解説されていますので参照してみてください。
西森マリーのUSA通信「悪の帝国=ブッシュのアメリカ!?」
付け加えておくなら、議会の承認を受けて銀河帝国の皇帝の地位に就く暗黒卿の姿は、ブッシュ大統領であると同時に、全権委任法の可決によって独裁を手にしたヒトラーとも重なります。つまり、暗黒卿=ヒトラー=ブッシュ大統領と言っているとも取れるわけですね。また、国内の安全のために暗黒卿=ブッシュを支持する議会の人々も、愛する人を守ろうとして暗黒面に堕ちるアナキンも、善意を果たしているつもりで、視野の狭さ・思慮の浅さのために取り返しのつかない過ちを犯すという点では同じと示唆しているのかも知れない。
このように、あからさまに政治をテーマにするのは娯楽映画にあるまじきこと、と言うつもりはありません。政治的な問いかけも娯楽の一要素と考えれば、それ自体は問題ではないからです。また、反ブッシュの立場を取っていることの是非を問いたいわけでもない。
引っ掛かったのは、登場人物達、ことに正義の騎士であるジェダイ達がやたらと「デモクラシー=民主主義」という言葉を連発することです。その度に違和感が湧き上がるのを抑えられなかった。それは、「民主主義」という言葉が、未だに日本語として完全に定着していない生硬な翻訳語だからかも知れませんが、何よりも、「おまえらみたいなアホに言われたないわ」と感じずにはいられないからだと思います。
(長くなりそうなのでつづく)
で、その初っ端が「スター・ウォーズ エピソード3 シスの復讐」の感想でございます。何だよ結局流行りモノかと、いくらナチスの台頭をモチーフの一つにしていると言っても、それは「あの夏」じゃないだろう、というもっともなご意見もあるでしょうが、ナチスドイツとは同じ枢軸国側としてともに戦ったんだから、ここは寛い心で受け止めて欲しい。
娯楽映画としての出来はいまさら喧伝するまでもないでしょう。民主主義の共和国の独裁帝国への変容、ジェダイ騎士団の崩壊、「選ばれし者」だったはずの主人公アナキンの堕落・破滅という3つの悲劇が物語の主軸となっており、そこにこれでもかという質・量・種類の戦闘シーンが組み込まれ(この戦闘がCGを駆使しつつも、泥臭くて小汚いのもリアルで好感が持てる)、結末までまさに怒濤の如く雪崩れ込みます。だれる場面と言えば、機械が軋む音が聞こえそうなほどにぎこちないラブシーンぐらい。この展開の早さのおかげで、心理描写や状況説明はこまやかさに欠けていますが。
悪に魅入られた主人公が最後には酷たらしい業苦に遭い、善人達を陰謀にかけたシスの暗黒卿が勝利し権力を握るという、暗くて後味の悪い結末ではありますが、それほど救われない気分にならなくても済むようになっているので、娯楽映画として踏み外してはいません。描写が総じて薄味なためもありますが、なにしろ、大概の観客はこの後で(つまりエピソード4以降で)、結局は悪の帝国が滅んで正義が勝つことが判っているのだし、ちゃんとエピソード4につながるシーンを入れて、新たなる希望を判りやすく暗示してくれています。だから、ややこしいことを考えず、長きにわたって続いたシリーズの締めくくりという、お祭りに参加するような気持で楽しめるでしょう。
が、その「ややこしいこと」、要するに政治的・イデオロギー的な部分について考え出すと、どうにも引っ掛かるものがあるのですね。そんなことは措いておけ、と言われても、作品中の至る所でその類のメッセージが出てくるので、ほっとくわけにはいきません。
先ほどナチスの台頭がこの映画のモチーフの一つだと書きましたが、それ以上に濃厚なのがブッシュ政権への批判です。そのあたりは、下記のサイトで解説されていますので参照してみてください。
西森マリーのUSA通信「悪の帝国=ブッシュのアメリカ!?」
付け加えておくなら、議会の承認を受けて銀河帝国の皇帝の地位に就く暗黒卿の姿は、ブッシュ大統領であると同時に、全権委任法の可決によって独裁を手にしたヒトラーとも重なります。つまり、暗黒卿=ヒトラー=ブッシュ大統領と言っているとも取れるわけですね。また、国内の安全のために暗黒卿=ブッシュを支持する議会の人々も、愛する人を守ろうとして暗黒面に堕ちるアナキンも、善意を果たしているつもりで、視野の狭さ・思慮の浅さのために取り返しのつかない過ちを犯すという点では同じと示唆しているのかも知れない。
このように、あからさまに政治をテーマにするのは娯楽映画にあるまじきこと、と言うつもりはありません。政治的な問いかけも娯楽の一要素と考えれば、それ自体は問題ではないからです。また、反ブッシュの立場を取っていることの是非を問いたいわけでもない。
引っ掛かったのは、登場人物達、ことに正義の騎士であるジェダイ達がやたらと「デモクラシー=民主主義」という言葉を連発することです。その度に違和感が湧き上がるのを抑えられなかった。それは、「民主主義」という言葉が、未だに日本語として完全に定着していない生硬な翻訳語だからかも知れませんが、何よりも、「おまえらみたいなアホに言われたないわ」と感じずにはいられないからだと思います。
(長くなりそうなのでつづく)