仮名日記

ネタと雑感

証言を(させてくれ)(その2)

2005年07月13日 | 文化
 映画「クロ高」の公開差し止め申請の件につき、ひきつづきクソ真面目路線で考えてみます。いったい誰が得をするというのでしょうか。

 報道を見る限りクロマティー側は、名前を無許可で使われたことよりも、「クロ高」の内容を強く批判しているようだ。「クロマティ高校の生徒達は素行の悪い学生として描かれている」「青少年の健全な育成に努力しているのに、そのような作品に名前が使用されていることに憤りを感じた」「本人のイメージから著しく乖離する、極めて劣悪なイメージを植えつける」と仮処分の申立書でも述べているらしい。
 しかし、そもそもパブリシティー権の侵害と、名前等の情報が利用されている表現内容の反社会性とは直接の関係は無い。パブリシティー権はあくまでも経済的な利益を保護するために認められるものである。問題は、集客力のある情報を許可無く不当に利用しているか否か、言い換えれば「クロ高」がクロマティーの名前で勝手に稼いだと言えるかどうかであって、それがクロマティーのイメージを害していることをいくら主張しても無意味だ(せいぜい裁判所に対する「クロ高」の心証が悪くなる程度だろう)。「クロ高」の「劣悪な」内容がクロマティーの名誉・信用を害すると言うのなら、本来は名誉毀損を理由にして公開を差し止めるべきなのである。
 クロマティー側が単に、公開差し止めの仮処分申請に至った動機、笑って見逃すことのできない事情を説明しているだけではなく、名誉を害すればパブリシティー権が侵害されたことになると考えているのなら、大きな誤解をしていると言わなければならない。同様に、配給会社側の「映画はクロマティ氏の名誉を傷つけるものではない」とのコメントにも、訴えられている理由を理解しきれていないのではないかという疑念が生じる。
 さらに、クロマティーは「クロ高」の内容をインターネットなどで確認したというが、それはどの程度の「確認」だったのだろうか。彼の見方は、一面的という言葉を使うのも憚られるほどに作品のわずかな一部分だけしか捉えておらず、甚だしい偏りと悪意に満ちている。
 クロマティー側の言葉だけを見ると、「クロ高」がまるで暴力と犯罪を謳い上げ賛美し肯定する、殺伐とした反社会的・反道徳的な漫画のようだ。しかし実際は、あらためて指摘するのも気が抜けるが、あくまでもナンセンスなギャグ漫画であり、そこから反社会的なメッセージを読みとることは難しい。「クロ高」には、確かに素行はよろしくないけれども、多くは愛すべき、どこか常識からずれた高校生達の、くだらなくてばかばかしい、時には荒唐無稽な日々が描かれているだけだ。それを読んで非行に走ることはまずあり得ないだろう。登場人物達を客観的・批判的に見ることができるようになるという点では、むしろ「健全」な漫画なのかも知れない。
 そのようなギャグ漫画を、日本人の弁護士が付いていながら、単に不良学生が登場するというだけで短絡的に、上記のような激しい言葉で批判するのは相当に滑稽だということにクロマティー側が気付かない様子なのは不可解だ。だからこそ、宣伝のための狂言であるとか、金のために本人を焚きつけている人間がいるという穿った見方も出てくるのだろう。
 クロマティー側が「クロ高」の内容を批判する理由は、本当に気分を害していることを率直に伝えているだけかも知れないし、今後の、裁判所の判断等の法的手続きにおいて有利に働くと考えているためかも知れない。いずれにせよ彼は、「クロ高」について不当な評価をし、一方的な悪罵を投げつけ、作品の「イメージから著しく乖離する、極めて劣悪なイメージを植えつけ」ようとしている。仮にパブリシティー権の侵害が成り立つとしても(先述のとおりそれは作品による名誉侵害とは無関係だ)、この言動が不適切であることに変わりはない。もっとも、あまりにもばかばかしい主張なので「クロ高」の宣伝になりこそすれ、たいしたダメージにはつながらないだろうが。
 むしろ、クロマティー側がこれ以上「クロ高」の内容批判を続ければ、「大人げない」とか「度量が狭い」とかの情緒的な批判を越えて、彼ら自身の社会的な信用を失わせることになるだろう。パブリシティー権の法律的な解釈はともかく、裁判所の仮処分という重大な局面において愚かしい勘違いを訴え続けることは、もはや度し難い困り者という印象だけを強めるに違いない。

【追記】
 上の文章をあらかた書き終わった後「週刊ポスト」の「クロマティが独占告白『俺がケンカを売った本当の理由』」を読んでみました。
 取材の仕方もあるだろうけれど、やはりクロマティーは、経済的なことよりも「クロ高」の内容が不愉快で、そんな漫画に断りも無く名前を使われプライドが傷ついた、ほっとくわけにはいかない、という程度の認識しかないようだ。名誉感情を害されたことが仮処分申請の根底にある理由であり、パブリシティー権侵害云々は、名前を使わせないための方便に過ぎないのだろう。