映画『フランク』の感想(昨日の続き)。成り上がり志向の主人公に対して、彼以外のバンドメンバーは、自身の表現を歪めてまで大衆の人気を得ようとは思っていない(一方で「無垢な天才」フランクは主人公に流される。)。
映画『フランク』 物資的な利益よりも精神的な充足に重きを置くべきだ、という考え方は高尚なように見えるが、だからといって他人のカネを浪費して省みない身勝手が許されるものではない。どこかの誰かは大損したけれど、私たちの魂は救われたから問題ありません、というのはクズ人間の言いぐさだ。
映画『フランク』 この映画の結末を観ると、そのクズ人間のふるまいを許してしまっているのではないか、という疑いが湧いてくる。さらに、前半のアルバム制作の話がいつの間にか消えてしまうという話運びの拙劣さが、かえってその疑念を強く意識させてしまう。
映画『フランク』 物語の不自然な構成が、作り手の意図的なものであるならば、ごく当たり前の道理を無視して高邁ぶろうとするやり方が、前述の「クズ人間の言いぐさ」に重なってしまい、より不快さが増すことになる。
「こうまいぶろう」を変換したら「子馬燻ろう」と出よった。馬肉の燻製の豪快な作り方か。