昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

昭和少年漂流記:第四章“ざば~~ん”……14.至福の日々の訪れ

2013年07月18日 | 日記

至福の日々の訪れ

日々被災現場に通う毎日は、義郎にとって新鮮なものだった。

父親は夏場は夜の鮎漁に出かけることが多く、冬場はほとんど山に籠っている、という生活だったので、父親が毎朝出かけ毎夕帰って来るという暮らしを、義郎はしたことがなかった。

役所勤めや数少ないサラリーマンの家庭を羨ましいと思ったことはあったが、そんな家庭に足を踏み入れると、すぐ帰りたくなった。居心地が悪く、空気も澱んでいるように感じた。自分には向かない、と義郎は思った。

中学を卒業後、安原酒造の住み込みになるという話が魅力的に思えたのは、暗く奥深い土間と、そこを行き交う寡黙な従業員や杜氏が、自分の居場所を約束してくれているような気がしたからだった。

義郎にあてがわれた酒蔵の一隅にある小さな部屋も、気に入っていた。「牢屋みたいだよな」と布団を運んできた達男に言われたが、立ち上がってやっと外が見える嵌めこみの窓も好きだった。足元にある、かつては杜氏がそこから蔵の中の様子を窺っていたという小さな覗き窓も気に入っていた。

16歳で初めて手に入れた自分の空間だった。暗くひんやりとした狭い空間だったが、そこには自立があった。

それから17年。毎朝出かけ、降り注ぐ日の下で汗を流し、毎夕帰って来る暮らしを始めてみて、やっとかつて憧れた勤め人の家庭のよさがわかってきた。

出かける時には優子から弁当を受け取り、帰りにはそれが空になっている。ただそれだけのことが、家庭の温かさと労働の貴さを沁み込むように教えてくれた。軽トラの助手席で行きも帰りも一緒の弁当箱が、義郎はいつも愛おしかった。

収入も増え、優子が笑顔を見せることも多くなった。優子の嫁入り道具のベッド、冷蔵庫、箪笥、白黒テレビしかなかった家財道具に、机、ソファ、ダイニングセットと金魚鉢が加わった。白黒テレビをカラーテレビに換える時には、喜びはしゃぐ幸助に抱きつかれ、思わず涙をこぼした。

そうして迎えた1980年の秋。災害を機に市民団体を結成し、政治活動を活発に行っていた達男が市会議員選挙に当選した。

数日後、公平の事務所に打ち合わせに行くと、達男がいた。応援してくれた企業へのお礼参りだと言う。

お祝いを言う義郎にお礼の言葉もそこそこに、達男は溜めていたことを吐き出すように語り始めた。

「お前の実家があった下沢地区だけど、お前たちがよく頑張ってくれて復興も順調なんだけど……、俺は公約でも言ってきたように、復興は復旧とは違うと思ってるから、下沢地区は新しい町作りのモデルにすべきだと思うんだよ。元に戻すだけじゃなくて、新しい、コンパクトで住みやすい町に生まれ変わらせるべきだと思ってるんだよ。だから、……気付いてると思うけど……義郎の実家のあった辺りは区画整理された住宅地にして、その先の田んぼや畑のあったところには地区公民館を作り、県道の交差点辺りは新しく…」

「おいおい、演説になってるぞ」

公平に止められた達男の笑顔に、市議になった誇りが滲む。

すべて、達男の市民団体“未来研”のビラに書いてあったことだが、工事に携わっている義郎にとっては、それは最早計画ではない。具体的に進行している現実だった。

「仕事やってるとたしかにわかってくるよ。いい計画…」

義郎は、達男と“未来研”が主張してきたことの正当性を現場の立場から認めようと、語り始めた。しかし、達男はすぐ手を上げ、義郎の言葉を制した。

そして、義郎の目を覗き込むように突然言う。

「義郎。家建てろ!」

「え!?」

突然の意外な言葉に、達男に合わせていた目の焦点がぼやける。

「いいチャンスだぞ、義郎」

横にいた公平に肩を叩かれる。義郎は音を立てて生唾を飲み込む。

「家って……」

やっと口にした言葉が、揺れながら自分の耳に届く。自分の口から出た言葉とも思えない。

「第一号になるんだよ、義郎。新しい住宅地の」

「今だったら土地も買い得だぞ」

「俺たちの友達が第一号になってくれるって、いいよな」

「仕事も当分心配いらないし。なあ。本当にいいチャンスだぞ」

達男と公平が我がことのようにやりあう言葉が、義郎の頭の中に折り重なっていく。

「でも、家を建てるとなったら……」

自分の家を建てるイメージは描けるが、そこまで進む道筋は霧に包まれている。“自分の”という言葉が自分に似つかわしいとも思えない。

「大丈夫!土地の購入手続きやローンの申請なんかは、俺がやってやるから」

公平が頭をぐりぐりと撫でる。

「実は、俺もあそこに家建てようかなって思ってるんだよ」

達男は秘密を伝えるようにそっと耳元で言う。

「でも……」

義郎の頭を、不安が覆う。今の平和と幸せの一角が壊されていくのではないか、という漠然とした恐れが靄のように立ち上ってきたのだ。

自分の家を持つことはきっと素晴らしいことなのだろうが、それが何かを犠牲にすることなしに実現できるような気はしない。

優子を得て、優子がいなくなり、そして優子と本当につながり始めている今。幸助との父子の関係も築かれつつある今。敢えて背伸びをする必要があるのだろうか。

二人が強く勧めれば勧めるほど、義郎の心は躊躇する方向へと向かう。

しかし、達男が次に放った言葉で、義郎の躊躇は吹き飛んだ。

「優子ちゃんと聡美、楽しそうに話してたぞ、家を建てるんだったらこんな家がいいなって。それに、地区公民館の中には、小さいけど教会もできるしな。毎週ミサに行けるようになるとうれしいだろうなあ、優子ちゃん」

躊躇する心を義郎は恥ずかしいと思った。優子が望むことの一つでも自分は理解できているのだろうか、と思った。

毎朝軽トラに駆け寄り、助手席に弁当箱を置いてくれ、バックミラーから見える限り手を振ってくれる優子。そんな優子が“してくれる”ことに平和と幸せを感じているだけでは不公平だ、と義郎は思った。すると、背中を衝撃が突き抜けた。

これでいいんだと思っていたら、また優子を失うかもしれない。身勝手は、もうあってはならないのだ。

「よし!俺、家建てるぞ!」

義郎は決心した。

「いいぞ!義郎!じゃ、行動だ!俺に任せろ!」

公平がそう言うと、にわかに義郎の“自分の家”は現実の色合いを帯び始めた。

「義郎。お前、もう誕生日きたか!?」

「うん。一か月前」

「じゃ、お前も32になったんだな。いい頃かもしれないなあ」

達男は、ふと我に返るように漏らした。

そして、翌日から、計画は一気に進んでいった。

                                                次回は、7月21日(土)予定           柿本洋一

*第一章:親父への旅 http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/84e40eba50c5c6bd4d7e26c8e00c71f7

*第二章;とっちゃんの宵山 http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/f5931a90785ef7c8de01d9563c634981

*第三章:石ころと流れ星http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/0949e5f2fad360a047e1d718d65d2795


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