昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第四章“ざば~~ん”……13.公平の転機

2013年07月04日 | 日記

公平の転機

“台風の目”を自認していた公平が、「俺は、弱い台風だなあ」と長嘆息したのは、義父が息を引き取って一週間後、バー“寄り道”の奥でのことだった。

「たまには二人で飲むか」と誘われた時からわかっていたような展開だった。終始寡黙な公平の横で、ただただ自分の先行きの不安と戦っていた義郎は、「そんなことないよ」と応えるのが精一杯だった。

見事な逆襲だった。土木・建築で築いた地盤を活かし、ホテル、レストランや映画館などの経営にまで手を拡げていた黒崎興業は、安原の親方亡き後、瞬く間に行政の人脈を掌握。外堀を埋めたかと思うと、内堀もほとんど埋めてしまう勢いだった。中野は引き抜かれ、高木を初め2~3人が連れて行かれるのでは、とまで囁かれていた。

公平が目論んでいた衛星企業群との共生構想は、最早絵に描いた餅になろうとしていた。義郎は中野からの誘いを断ったが、それ以来、毎夜ベッドに入ると悔いていた。隣で背を向けて眠る優子を起こし「公平と別れる!」と宣言したい衝動に駆られることさえあった。

「ちっちゃな台風だけど、お前だけはどんなことがあっても守ってやるからな。安心ろよ」

吐き切った息を大きく吸いこみ、公平が顔を覗き込む。目の前のグラスのバーボンは、もう4杯目が空になっている。

「心配なんかしてないよ」

顎を引く義郎を、公平は鋭く睨みつける。

「お前、会社畳むなよ。畳んだら負けだからな。……大丈夫だから。な!」

中野に誘われたことを公平は知っている、と義郎は思った。しかし、どこから、誰から、耳に入ったというのだろう。

「そうだ!お前、達男がこっちに住むって決めたの知ってるか?」

達男がそう決めているであろうことは察していたが、はっきりと聞いたわけではない。

「それはいいねえ。公平も心強いだろう。聡美ちゃんだって……」

とまで言って、義郎は気付く。中野から誘いを受けた話は、優子から聡美へ、聡美から公平へと伝わっていったに違いない。

「優子だって……」

と呟くと、肩を叩かれた。

「聡美や優子ちゃんのことはいいんだよ。お前がどうかってことなんだよ。お前だって心強いだろう?」

「うん。そりゃあ……」

義郎が言葉を詰まらせると、公平の手が肩から離れ宙を舞う。

「もう1杯ずつ、ね」

気付いたママが笑顔を返し、カウンターにやって来る。

「みっちゃんも、よくやってるよなあ」

公平が、ジムビームを持つママの手に、そっと指を添える。ママは義郎にちらりと目を遣り、手を水割り作りに動かす。

「よし!乗り切るんだ!……なあ、義郎!」

二人はグラスを重ねる。

「達男が帰ってきて何をやろうとしてるか、教えてやろうか」

義郎はグラスに口を付けたまま、飲むことを躊躇する。その間に、公平は5杯目を飲み切る。

「あいつ、市会議員になるんだって。……立候補したら、当選するだろう、あいつなら。……で、わかるだろう、もう。……な!」

カウンターにいる二人連れを気にしながら声を潜め、最後だけ力強く声を張り上げた。

「達男なら、すぐ……」

そこまで口に出して、義郎にはわかった。新しいパイプ作りが始まるのだ。達男が市の政界でどれほどの力を持つことができるか。それはわからないが、彼の政治家としての資質が父親から受け継いだものだとすれば、公平が期待するのも頷ける。

「まだ、内緒だぞ。……優子ちゃんにもだぞ」

もう一度声を潜めた公平の横顔は、長嘆息の時とは比べものにならないほど明るい。それが決して酒の力を借りてのものではないことは、義郎にもわかった。

 

午後11時過ぎ。店を出ると、外は雨だった。向かいの空き地に停めていた軽トラに公平を乗せた。途中、雨脚が強くなった。

「軽トラ停めてた土地、あれ、狙ってんだよ、俺」「10階建てにはちょっと狭いけど、場所いいからなあ」「お前、実家どうした?まだあるのか?」などと喋りつづける公平を横に、いつも以上に、義郎は孤独だった。公平、達男、聡美、優子の輪の、一歩外に置かれているような気がしてならなかった。

ふらつく公平を降ろし、大川の堤防を走って実家に向かってみた。公平の言葉に、半年前まで住んでいた長屋が気になったのだった。

坂を下る直前、いつものように松が淵の方を見たが、見えたのは暗い夜空だけだった。もはや住む人のない5軒長屋にも灯りはなく、寒々とした影を漂わせているだけだった。

借家とはいえ、狭いながらも庭付きの、今の我が家が愛しく思われた。そこには優子がいる。幸助がいる。このかけがえのない存在を守るためには、ここが踏ん張り所だと思った。

この夜の闇を突き抜けるように、走っていかなければいけない。松が淵に飛び込んだ時のように勇ましく、身体を翻さなくてはならない。そのために、まず公平を信じよう。達男も信じてみよう。そう思った。

義郎は大川の堤防に引き返し、家路を急いだ。松が淵を左に、右に大きく曲がってアクセルをふかした。その時、突然の豪雨がやってきた。ほとんど前方が見えないまま家に辿り着き玄関を開けると、パジャマ姿の優子と鉢合わせになった。

「雨戸は締めたんだけど、自転車入れなくちゃ、と思って。よかった~~。いい時に帰って来てくれて」

胸を撫で下ろす優子と一緒に自転車を片付け、戸締りの確認をし、幸助の寝姿を見て、ベッドに入った。幸せな気分で満たされていた。その夜、数年ぶりに、義郎は優子を抱き締めた。

 

翌朝、激しく雨戸を叩く音に目を覚ました。雨戸を開けると、近くに住む青年消防団員が数名、土砂降りの中に立っている。

「大川の水嵩が…」「松が淵が…」「大川が曲がるところが…」「水がぶつかって……」と口々に言う。素早く補強しなければ、堤防が危ないらしい。堤防上の消防小屋にある砂袋を運び出そうと、若い男全員に招集をかけているのだと言う。

急いで青年団の半纏を羽織り、飛び出る。軽トラの荷台に3人乗せ、松が淵方面へと向かった。途中、少し高くなっている場所から、100mばかり前方の松が淵辺りを、みんなで眺める。濁流が松が淵にぶつかり、坂道の上辺りで渦巻き、泡立つようにせり上がっている。

「危ないなあ」「切れるかなあ」「避難は?」と口々に言うものの、消防小屋に向かう勢いは失せている。

「あの消防小屋だって、堤防が切れた所に作ったんだろ?」「反対側に作ればよかったんだよな」「それじゃ、役に立たないだろ。砂袋、向こう岸まで投げられるか?」と、半ば物見気分になっている。

義郎は、一旦止めた軽トラを発進させた。松が淵が気になってならなかったのだ。

「やめろ~~」と叫ぶ声が少し遠くなった時、しかし、義郎は軽トラを止めざるを得なかった。明らかに危険な水域まで水が押し寄せいることがわかったのだ。

なんとか反転し、みんなの待つ場所に引き返そうとした。と、その時、“ざばぁ~~ん”と遠くで音がした。窓から顔を出し振り向くと、松が淵の角が決壊していた。

 

記録的な一晩の集中豪雨だった。決壊したのが一か所だったのが不幸中の幸いで、夜が明けていたことと気付くのが早かったおかげで、人的被害もなかった。ただ、坂下の一本道の両側にあった家々は、悉く流されてしまった。

水害復旧は、翌々日午後から始まった。跡形もなくなった実家の跡に佇み、一瞬だけ茫然とした義郎も、ミニ・ユンボを駆使して働き続けた。現場で中野に再会したが、挨拶もそこそこに汗を流した。高木にも会った。黒崎興業の社長にも出くわした。みんな、ただただ働いていた。義郎には、それがうれしかった。

しかし、何よりもうれしかったのは、公平がブルドーザーに乗ってきたことだった。運転席から指示を出しながら巧みにブルドーザーを操る公平は、仲間の一員だった。

そして、心配だった倉田興業の業績も下り坂の手前で踏みとどまり、その後復興事業として進められた堤防の補強、道路の整備、川底の処理等々で、むしろ好調の波に乗っていった。やがて、公平の口から、知識集約型という言葉が発せられることもなくなっていた。

                                                 次回は、7月6日(土)予定           柿本洋一

*第一章:親父への旅 http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/84e40eba50c5c6bd4d7e26c8e00c71f7

*第二章;とっちゃんの宵山 http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/f5931a90785ef7c8de01d9563c634981

*第三章:石ころと流れ星http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/0949e5f2fad360a047e1d718d65d2795


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