昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第四章“ざば~~ん”……4.異変の始まり

2013年06月04日 | 日記

異変の始まり

 

何もかもが順調だった。

半月毎に仕事の予定表が全員に渡された。予定表はいつも、日曜日を除いたすべての日が仕事で埋まっていた。さらに、義郎の現場にはいつも中野がいて、毎日夕方になると翌日の予定を書いたメモを手渡してくれた。現場に中野がいてくれることが、義郎はうれしく、心強く、安心だった。ミニユンボは事務所代わりに借りた陋屋の庭に置いたままだったが、義郎の仕事は、急遽購入した鶴嘴とスコップで事足りていた。

2ヶ月が過ぎたある朝、しかし、現場に中野の姿はなかった。

「あれ?中野さん、今日はお休みですか?」

現場の仲間に訊くと、仲間から返ってきたのは「さあ。公平さんに訊いてみれば?」という素っ気ない返事だった。その目には、刺すような鋭い侮蔑の色がある。突然何かが変わったのだ、と義郎は直感した。

現場監督のいない工事現場を仕切ったのは、高木だった。中野よりも手際よく感じるその采配には、義郎への配慮は一切なかった。

「高木さん、僕は何をすればいいんでしょうか?」

次々と持ち場に着く仲間たちを目で追いながら尋ねると、

「もう2ヶ月もやってんだから。自分で判断しろ!」と、突き放された。

「何かあったんですかねえ?」

持ち場と決めた場所で仲間たちに訊いてみても、一様に「さ、仕事しなくちゃ」と逸らされるばかりだった。

昼休憩の時間、水入りのヤカンを中心にしてできた輪から一人離れている仲間を見つけ、義郎は彼の隣に腰を下ろした。弁当と水筒を前に置き、前屈みに弁当を開けると、彼は弁当を覗き込む風を装って、話し掛けてくる。

「田上さん、断ったの?」

義郎は、思わず弁当の蓋を落とした。急いで拾い頭を起こす時、輪になった仲間たちの一人と目が合った。

「断るって、何をですか?」

話し掛けられた時の秘密の香りに、声を潜めて訊き返した。

「あ、誘われてないんだ。じゃ、いいです」

そう言うと彼は、瞬く間に自分の弁当に没頭していった。

やはり、何かが起きていることだけは間違いない。義郎の直感は確信に変わった。不安と苛立ちが胃袋を突き上げてきた。義郎はほとんど弁当を食べることができなかった。

 

その日、仕事が終わると、義郎は軽トラを倉田興業へと飛ばした。不安と苛立ちに煽られるように、軽トラのエンジンは快調だった。

倉田興業に着くと、駐車場に公平のクルマはなかった。事務所の灯りはいつものように点いていたが、いつもとは異なる事務所内の空気を知らせてくれているように感じた。義郎は軽トラの中でしばし公平を待つことにした。

ところが、辺りがすっかり暗くなっても、公平は戻ってこなかった。公平の自宅に行ってみることや公衆電話から電話してみることも頭をかすめたが、自分の感じた異変が思い過ごしであって欲しいという想いが、義朗を駐車場に踏みとどまらせた。

7時半過ぎ、事務所の灯りが消える。慌てて義朗は、軽トラのエンジンをスタートさせた。アクセルをそっと踏むと、事務所の窓が開いた。黒い人影が窓から外を窺うのが見える。アクセルを踏み込み、義朗は急いで駐車場を出て行った。盗みを働いて逃げるような気分だった。自宅に向かう道に出ると、空腹にお腹が大きな音を立てた。

 

家に帰ると、しかし、うれしい知らせが待ち受けていた。玄関の引き戸を開けると、「お母ちゃん帰ってるよ~~」と、幸助が飛び出してきたのだ。「え!本当か!?」と三和土に目を落とすと、見覚えのある赤のローファーがあった。

居間に走って行きたい衝動に駆られたが、地下足袋を脱ぎながら押し留めた。どんな言葉をかければいいか、それだけを考えた。

何を言うべきか思いつくこともなく短い廊下を進むと、開け放された居間から優子の顔が覗く。息を呑んで義朗は立ち止まった。綺麗だ~、と思った。そこに優子がいることでさえ奇跡だと思った。しかも、そこにいるのは自分の妻だ、と思うと頭の芯が溶けていきそうだった。たとえいなくなったとしても、その事実が残るだけでも十分幸せだと思っていた“妻の優子”に、言うべき言葉などあるはずもない。

「お疲れさま~~」

居間に足を踏み入れると、優子は立ち上がっていた。正面からねぎらいの言葉と笑顔で迎えられる。自然に「ありがとう」と言った後は言葉にならず、喉の奥がひくついた。泣いてはいけない、と胸に力を入れた時、「ご飯食べようよ~~」と幸助が二人の腕を引く。

「実家でチラシ寿司もらってきたのよ」

優子の言葉にテーブルを見ると、立派な重箱があった。結婚を申し込みに行った優子の実家でもてなしを受けた重箱だった。正月には、優子の母親からおせち料理が届けられた重箱でもあった。義朗が家庭を持つことや家庭を築いたことを象徴してくれてきたような重箱は今、義朗が家庭を取り戻したことを示してくれているようだ。

しかし、そこで義朗の頭に疑問がふいに浮かんできた。実家に帰った理由はわかっているつもりだが、帰ってきた理由はまだはっきりとしない。きっと、会社を作るというリスクを背負い、きちんと仕事と向き合っていくことを決断し実行したことが関わっているに違いない。大きな町ではなく共通の友人も多い。有限会社KOUのことが優子の耳に届かないはずはない。しかしそうだとしたら、何故2か月前ではなくて今なのか………。

「ただいま~~~。……びっくりした?」

幸助に急かされ、混沌としたままテーブルに着くと、重箱を開けながらそう言って手を止め、優子は微笑んだ。その笑顔に触れ、義朗の混沌は一瞬で掻き消える。理由はどうでもいいじゃないか。優子は帰ってきたんだ。そして、今こうしてここに、目の前にいるじゃないか。考えなくてはいけないことがあるとしたら、これからの生活だ。優子がいつも求め続けていて、やがて大きく失望することになった“暮らしに希望を描く”ことだ。今の俺には描く資格があり、もうすぐ描くこともできるはずだ……。

錦糸卵を掻き集め口に頬張る幸助を見つめている義朗の頬からは、自然と笑みが漏れていた。

「ちょっと、義朗ちゃん」

懐かしい呼び方に顔を向けると、優子の厳しい表情と向き合った。「ちょっと、ちょっと」と袖を引かれ台所に移動する。振り向くと、幸助は重箱に覆いかぶさっている。

「公平さんの義理のお父さん、あぶないんだって」

「え?!それか~~!」

シンクに入れようとしていた出しっ放しの汚れた食器を、義朗は元に戻す。

朝から感じていた異変の根源がわかった気がした。公平が現場回りもせず、事務所に戻ってこなかった理由も、これで明白だ。

「今夜あたりが山だってことだけど……。そうなると、公平さんの会社や義朗ちゃんが作ったばっかりの会社だって、……ねえ…」

「え?なに?公平の義理のお父さんが亡くなると……」

義朗には、異変の根源はわかったような気がしたが、その及ぶところまでは想像できていなかった。ましてや、自分の会社にまで影響があるとは、優子の言葉を耳にしても思い及ばなかった。しかし、優子が突然帰ってきた理由はわかったような気がした。

 

                                                    次回は、6月6日(水)予定           柿本洋一

*第一章:親父への旅 http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/84e40eba50c5c6bd4d7e26c8e00c71f7

*第二章;とっちゃんの宵山 http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/f5931a90785ef7c8de01d9563c634981

*第三章:石ころと流れ星http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/0949e5f2fad360a047e1d718d65d2795


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