達男と公平は何を……
「大丈夫?義郎さん」
聡美の抑制した声に心配する心が滲み出る。その気遣いと優しさはうれしく、有り難いと思う半面、大袈裟な感じもしなくはない。それが1年ぶりの来訪の理由とも思えない。
「大丈夫ですよ」
と応える目を、聡美の疑いの目が覗き込む。
「無理してない?厭になってない?……ほんとに大丈夫?」
「大丈夫ですよ。……どうしました?」
過剰にさえ思える聡美らしくない言葉の連続に、義郎は戸惑う。朝の会議の議題や流れには現れ切れていなかった何らかの事情があるのだろうか。
「あんなに明るい声で帰ってきたから……。かえって…ねえ…心配になったのよ」
お茶に戻った聡美が、いつもの風情を取り戻していく。湯呑に伏せた目尻に深い皺が刻まれているのが、義郎は気にかかる。1年の時間のせいだけとは思えない。
「今日は少し遅くなるって」
優子がお茶菓子を持ってやってくる。
「これでも食べて待ってようか。8時は過ぎるみたいだから。ね!……聡美は?どうする?ビールでも出そうか?」
ひょっとすると、幸助の塾の日、義郎が帰宅する時間、あるいは、幸助の帰りが遅くなる予定までも考慮に入れて、お互い了解済みで、今ここ義郎の目の前に、二人は並んでいるのかもしれない。
ビールとコップ2つを運んできて、聡美の隣に座った優子を見ながら、義郎はそう思った。
「今日は、聡美さん、クルマじゃないんですか?」
3人でコップ2つ。優子は運転はしない。
「今日は、クルマじゃないのよ。久しぶりに歩いてきてみたのよ」
「遠かったでしょう」
「45分くらいかなあ。そんなに遠く感じなかったわよ。大川の堤防歩くの、久しぶりだったし。中学校の校門も久しぶりだったし……」
優子と義郎に交互に顔を向ける聡美の表情が和らぐ。目尻は、もう気にならない。
「じゃ、飲んでいいんですね」
「飲もう!酒屋の娘よ~~、私」
優子が注ぎ終わったコップを掲げ、乾杯をする。優子はお茶が入ったままの湯呑で付き合う。
「優子もちょっと飲まない?三人で話すのって、ほとんど初めてでしょう」
聡美が手にした2本目の缶ビールを、優子は慌ててお茶を飲み切った湯呑で受ける。
「ほんとに、ちょっとよ~~」
にこにこした横顔が、そのまま義郎を向く。
「ほんとに、初めてかもね~~~。このメンバーで話すの」
優子と聡美がコップと湯飲みを重ね、同時にビールを飲み切るのを見つめながら、これから先に展開する話を予想し、義郎はコップを握りしめる。
「兄貴たち、無茶苦茶でしょう。呆れなかった?」
「いや。そうでも……」
いきなり本題に入るところが、いかにも聡美らしい。
「取締役になったの?……OKしたの?」
「しました。……と言うより…」
「せざるをえなかったんでしょ?違う?」
「いや、そういう訳でも……」
「兄貴たちのうまいところなのよね、そういうところが。肩書や仕事やお金には人は弱いもんだって、よく知っているのよね。弱い所こそ、利用できるって思ってるし……。家、担保に入れて投資しないか、って誘われたでしょう」
「はい。それはついこの前……」
みっちゃんの手に公平の手が重ねられるシーンが蘇り、義郎は俯く。
「“寄り道”ででしょ?いいのよ、知ってるから」
「そうですか……」
「大丈夫よ、みっちゃんのことも私知ってるから」
飲もうとしていたコップを、義郎は慌てて下ろす。
「公平君の彼女だと思ったんでしょ?大丈夫。そうじゃないのよ。兄貴の彼女なのよ。みっちゃんて。長いのよ~~」
落としたままの目のやり場に困り、義郎はコップを一気に空ける。優子が微笑みながら冷蔵庫へと立ち上がる。優子にとっては周知の事実のように見える。
「兄貴、奥さんまだ東京にいるのよ。それは聞いてないでしょう。時々東京に行ってるのは、仕事だけじゃないのよ~~」
皮肉な笑みを、聡美は浮かべる。知らなかった事実の連続に、義郎は言葉もなく優子が差し出す缶ビールを受け取る。知ろうとさえしなかったことをまるで他人事のように思いだし、知る必要のないことを知っていくことに怯えてもいた。
「じゃ、兄貴が社長の会社、東京に作ったのは、知ってる?」
「いえ。……そうなんですか?安原コンサルじゃなくて。ですか?」
もう頭が混乱しそうだ、と義郎は思う。これ以上聞きたくないほどだ。しかも、その一つひとつが朝の会議と、自分が取締役になったことと、これから現場のコーディネーションをしていかなくてはいけないことと、どう関係しているのか、想像もつかない。
「あ、一気に喋ってるわねえ、私。ストレス溜まってるのかしら。ねえ、優子ちゃん」
義郎の困惑の表情を見て取った聡美は、隣に戻った優子を向き、ひと呼吸を置く。
「溜まってたんじゃないの?私にも、いきなり凄い勢いで喋ってたわよ~~。……義郎君。関係ないと思ったことは忘れていいのよ」
優子に救われた気分だが、まずは聞くべきところまでは聞きたいと、義郎は思う。
「義郎君と関係ありそうなことだけ喋るって難しいのよ。ごめんね。ややこしい?」
聡美は息を整えるように、胸を押さえる。言いたいことが胸につかえているようにも見える。
「いえ。大丈夫です。ただ、知らなかったことばかりで……。でも、全部教えてください。ほんと、大丈夫ですから」
所詮すべてを記憶し、記憶した一つひとつの関係性を理解することなどできない。忘れるという形で吐き出すことになる事柄も多いことだろう。が、まずは受け止め飲み込むことだ。と義郎は思った。それがきっと、聡美の好意への最低限のお返しになるはずだ。
「義郎君のいいところは、まず何でも受け止めることなんだよね。ねえ、義郎ちゃん」
優子が義郎の気持を後押しする。義郎の心はその言葉に晴れやかに拡がっていく。
「兄貴たち。土木・建築に、もう興味がないのよ。本人たちは、卒業だとかステップアップだとか言ってるけど、本音は面倒くさいだけなのよね、きっと」
「じゃ、続きね」と言って再開された聡美の話の第一声に、義郎は目を上げる。苦々しげな表情の聡美に何か言おうとするが、言葉が出てこない。彼らが土木・建築に興味を失いつつあるとはそこはかとなく感じてはいたが、はっきりと言葉にされると、自分の仕事と存在ばかりか仲間たちも小馬鹿にされているようで腹立たしい。
「倉田興業は、どうなるんでしょうか?」
聡美に訊くべきことではないと思いつつも、義郎が気になるのはその1点だ。
次回は、9月5日(木)予定 柿本洋一
*第一章:親父への旅http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/84e40eba50c5c6bd4d7e26c8e00c71f7
*第二章;とっちゃんの宵山 http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/f5931a90785ef7c8de01d9563c634981
*第三章:石ころと流れ星http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/0949e5f2fad360a047e1d718d65d2795
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