昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第二章:1969年:京都新聞北山橋東詰販売所   とっちゃんの宵山 26

2011年02月04日 | 日記

とっちゃんにできそうなことを思い描きながら、求人資料をめくり続けていると、次第に“とっちゃんは新聞配達をしていた方がいい”という考えに傾いていった。

無表情に書き連ねられた応募条件からは、労働環境や上司となるべき人の資質や性格はまったく読み取れない。そして次第に、それがおそらく、とっちゃんにとって最も大切なことだとさえ思えてきた。

一旦めくる手を止め頬杖をついてみると、“おっちゃん”“おばちゃん”カズさんの顔が浮かんだ。みんな人のいい笑顔だった。

とっちゃんと話してみようと、テーブルを離れ入り口の方へ向かった。とっちゃんの中を窺う目線に出会った。その瞬間、「止めよう。今のままでええんちゃう?帰ろう!」という言葉を飲み込んだ。とっちゃんの目が、湧き起ってきた欲望にぎらついているように感じたからだった。

必要のない欲望を“おっさん”や僕に駆り立てられてしまったのか、自然にと生まれてきた欲望に捕われてしまったのか、とっちゃんはもう引き返すことができない所にまで踏み出している。僕には、そう見えた。

“とことん面倒を見る”というのは、こういうことか、と思った。中途半端に灯ったとっちゃんの心の火が燃え盛るか消え去るまで、付き合っていくべき義務が僕にはもう発生してしまっているのだ。

僕は、即座に妥協した。できるかもしれない仕事ではなく、できそうな仕事に目線を変えた。求人情報の選択法を、精緻な生産の現場に関与しない、人との交渉に携わらない、といった消去法から、できそうなことに基準を置き変えると、“配達”という文字に目が留まるようになった。一気に楽なった。だが、2件に限定された。“会社員”というイメージからは、明らかに遠ざかって行った。

2枚の求人票を持ち、係員の元へ向かった。振り向くと、とっちゃんが、事態が展開した期待に笑顔で手を振っているのが見えた。少しだけ胸が痛んだ。

「この2つがいいかなあ、と思うんですけど……」

そっと差し出すと、無言で手にした係員の眉間の皺が、すぐに消えた。

「この2件やったら、ええんちゃうかなあ。すぐにでも、紹介できますよ~」と、申込書類を出そうとする。

「いや、ちょっと待ってください。本人に確認して連れてきますから……」

立ち上がり、入り口に向かいながら、とっちゃんへの説明の仕方を、僕はくるくると考えた。

一つは、蕎麦屋。仕事は、出前。“会社員”とはほど遠いが、新京極通りの中にあるというのが利点と言えば利点。若い女性たちとの接点には事欠かない。やがて蕎麦職人に、という道がないわけでもない。

もう一つが、人名事典の配達。こちらは、“会社員”への道があるようだが、そのためには営業ができるようにならなければならない。

できそうなことを選ぶか、“会社員になる!”ことにこだわるか、それはとっちゃん次第だ。だが、人名事典の配達員を求めている会社には怪しい臭いがしなくもない。僕としては、新京極通りという立地の良さと職人という職業の魅力を武器に、蕎麦屋の出前を押してみよう。などと、考えた。

ドアを開けると、とっちゃんの輝く笑顔があった。「どや!決まったか!」と、僕が結果を持ち帰ってきたかのように肩を叩く。さすがに怒りが小さく爆発。「あほか!僕がする就職やないわ!」と手を振り払うと、いつものように顔を覗き込んでくる。一つ深呼吸をして、先に人名事典、次いで蕎麦屋の順に2件の説明をする。説明が終わり、これからの段取りを話そうともう一つ深呼吸をしていると、「決めた!蕎麦屋ええやん!」というとっちゃんの明るい声。意外にも即決。僕は、少し拍子抜けの気分だった。

 

*月曜日と金曜日に更新する予定です。つづきをお楽しみに~~。

 

もう2つ、ブログ書いています。

1.60sFACTORYプロデューサー日記(脳出血のこと、リハビリのこと、マーケティングのこと、ペットのこと等あれこれ日記)

2.60sFACTORY活動日記(オーセンティックなアメリカントラッドのモノ作りや着こなし等々のお話)


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