昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第三章:1970~73年 石ころと流れ星   25

2011年06月17日 | 日記

「そう言えば柿本君、夏美さんと話したことないでしょ?!」

僕の目に警戒の色を見た和恵はカウンターに両肘を乗せ僕を覗きこみ、次いで夏美さんの方に軽く顎をしゃくった。

「確か、昨夜はお話できませんでしたね」

和恵に促され僕の前に立った夏美さんが、柔らかく微笑む。軽く化粧の乗った顔は、至近距離から見ると、随分と大人に思えた。

「おばちゃんやなあ、思うたんでしょう?」

「いえいえ、そんな……」

「さっきからずっと、私を見ては不思議そうな顔してはるけど……」

カウンターを慣れた手付きで拭きながら、僕をちらりと見上げる目には、これまで出会ったことのない魅力があった。僕は思わず、“これが大人の色香ってものなのかなあ”と心の中で呟いた。

「どこから来はったん?柿本君」

夏美さんはケンちゃんにストゥールを運ばせ、僕の正面に腰掛けた。その目線には、僕のうぶな呟きが聞こえたのではないかと思わせる、微かな意地悪さがあるように見えた。

僕は生唾をジンライムで喉の奥に流し込み、夏美さんときちんと向き合うことにした。尻住まいを正しながら左右を見ると、小杉さんと和恵は悪戯っ子のような微笑みを、上村は侮蔑の色が混ざった微笑みを向けていた。割礼の儀式に送り出される少年のような気分だった。

 

夏美さんとの差し向かいは、それから小一時間続いた。興味深く、僕の頭を混乱させる小一時間だった。

夏美さんは、28歳。9歳も年上だった。彼女の落ち着いた所作も、大人の色香も納得できた。

九州の炭鉱町の中学を出て集団就職。岐阜県の繊維工場で働き始めたが、工場の中に併設されている定時制高校の授業が嫌で堪らず、夜の柳ヶ瀬に出没するようになる。そして、ある夜仲間と入った店で一人の男と出会う。

彼は夏美さんにとって、初めて出会う種類の男だった。

「カッコ良かった~~~。肩からギターを掛けて、腰振って歌うんやけどね。今思うと下手くそやし、プレスリーのどこにも似てへんのやけどね。田舎のバラックから出てきた小娘には輝いて見えて……」

小さな舞台の上から、いつも女の子の品定めをしていた彼の目に、夏美さんはすぐ止まった。

「女工さんの門限破りの夜遊びって、すぐわかったんやろうねえ。しかも、目をキラキラさせて見つめてるんやからねえ。飛んで火に入るって話よ」

演奏の合間にすかさず彼はテーブルにやってきた。

「ちょっと斜めの座り方、タバコの出し方、咥え方。ジッポの出し方、火の点け方。それと、あのオイルの匂いね。もうぜ~~んぶ、素敵やったわ~~」

懐かしむようでいて、わざと大袈裟に語っている風情に、すっかり乗り越えてきた過去であることを感じさせる。

「それからは、転落の詩集よ。どんな風になっていったか、想像できるでしょ?柿本君。作り話のような気いするやろ?よくできた話やなあって。でも、ね、世の中意外と、典型的な話でできてるもんなんよ~~。人がやることって同じなんやねえ、きっと。ねえ」

まさに、夏美さんの言うとおりだった。僕は、彼と瞬く間に男女の仲になり、すぐに捨てられ、女工を辞め、夜の世界に入り……、と、既に彼女のその後の展開を先読みしていた。

「ところが、私の場合はちょっとだけ違うんやわあ。今柿本君の頭の中にあるストーリー、裏切ることになるんちゃうかなあ」

僕は、和恵を見た。“聞いた方がいいわよ~~!”と言わんばかりの表情だった。気のせいか、勝ち誇っているように見えた。

 

     月曜日と金曜日に更新する予定です。つづきをお楽しみに~~。

第一章“親父への旅”を最初から読んでみたい方は、コチラへ。

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第二章“とっちゃんの宵山” を最初から読んでみたい方は、コチラへ。

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第三章“石ころと流れ星” を最初から読んでみたい方は、コチラへ。http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/14d4cdc5b7f8c92ae8b95894960f7a02


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