昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

昭和少年漂流記:第四章“ざば~~ん”……34.見え隠れする公平の野心

2013年10月04日 | 日記

見え隠れする公平の野心

「お休みなのに申し訳ないですが、すぐ来てもらえませんか?4階にいますから」

長沼からの緊急呼び出しだった。声に怒りと焦りの色がある。

「どうしました?……事故ですか?」

尋常なことではなさそうだ。だが、長沼は用件を言おうとしない。

「わかりました。すぐ行きます」

ともかく、まずは行かなければならない。現場での事故は何度かあったが、作業員の怪我だけですんでいた。それも重傷のものではなかった。最もあってはならない一般人を巻き込んだものではないか、気にかかる。

「何かあったの?」

優子の心配顔が義郎を見つめている。

「不安だなんて私が言ったからだわ。不安は口に出しちゃいけないのよね。……ごめんね。大丈夫かなあ」

沸かし始めていたお湯を止めて、優子は義郎の出発の準備にとりかかる。

「大丈夫だとは思うけど……。ま、とにかく行ってみなくちゃわからないから……」

好天の朝、急いで洗った作業着を取り込み、二階から駆け下りてきた優子に微笑んでみせる。しかし、頬が強張り微笑みにならない。

 

倉田興業ビルに着くと、4階まで駆け上がった。廊下のダウンライトは点灯されておらず、真っ暗だった。トンネルを抜けるように、壁伝いにオフィスに行き着く。

ドアを開けると、オフィスの中も夕闇に包まれていた。3人の影は押し黙り、長い沈黙の中にいたことを想像させる。顔ははっきりとは見えない。

「おう!」

義郎が電気を点けると、公平の顔が眩しそうにこちらを向く。

向かいに座っている長沼が、そしてその横にいる聡美が、順に顔を向けてくるが、二人とも声はない。いずれも憮然としている。一瞬ためらった後、義郎は長沼の隣に腰を下ろす。

「弟さんの結婚式の日に、すみませんね」

「大丈夫、大丈夫。内輪だし、早く終わったし……」

義郎は上の空だ。

「いい日にごめんね、義郎ちゃん。この人が勝手を言うもんだから……」

聡美が長沼越しに歪んだ笑顔を見せ、向かの公平を指差す。

「いやいや。俺はただ……」

公平は手を振り、心外だと言わんばかりだ。

「無茶苦茶じゃない、だって!……こんな計画にみんなを知らないうちに巻き込んで!」

公平に向けた指がテーブルの上の紙に向かう。首を伸ばすと、一覧表が見える。億単位の数字が並んでいる。

「みんなのために、と思ってやってるんだからな!俺と達男は」

公平が不満そうに声を荒げる。

「だったら、なんでみんなに説明もせずに勝手にこそこそやってるの?」

聡美は公平の声を抑えつけるように甲高い声を張り上げる。聡美のこんな剣幕は見たこともない。声を荒げる姿さえ初めてだ。

「まあまあ、田上さんもわざわざ来てくれたことだし、ちょっと冷静に話しませんか」

長沼が最も冷静だ。明らかに突然降りかかった事態に戸惑っているようだ。が、その公平をちらりと見遣る目には、怒りと不信感が宿っている。

「僕から説明しましょうか?」

長沼が憮然と腕を組む公平と義郎を交互に見る。聡美はどうぞばかりに手を差し出す。公平は不満げだ。

「社長と安原さんのこれまでの実績と……証券投資の部分は入ってませんが、不動産投資を始めて以降の……ということでいいんですよね……これからの計画を一枚にまとめたものが、これなんですよ。……ちょっといいですか?」

長沼がペーパーを引き寄せ目の前に置いてくれるが、見つめてみたところでわかるわけもない。

「4年前からの年度別になってるんですが、これが物件毎の投資額、これが現在の評価額、これが利益……」

とまで長沼が説明したところで、聡美が口を挟む。

「あくまでも帳簿上のね。評価額で売れたら出るはずの利益ってことだから」

「それでいいじゃないか。それが資産てものだ。土地だって、家だって、株だって……酒だってそうだろう?売れるまでは見込み資産にしか過ぎないんだよ。でも、銀行は評価額に応じて金を貸してくれる。動かないものや動かしにくいものでも金に換えてくれるのが銀行なんだからな」

「でも、安原醸造ではどうだったのよ?酒造りがうまくいかなかった時」

「売れる見込みのあったものがなくなったんだからしょうがないだろう。そりゃ、返せって言うよ」

「不動産はそうならないって言うの?マンションには見込み違いはないって言うの?」

「ないとは言ってないじゃないか!だから、俺と達男がしっかり吟味して……」

「吟味したって根拠があるわけじゃないでしょ?」

「根拠がある投資なんてあるわけないだろう!」

「だから!言ってるのよ!みんなに迷惑かけるようなことはしないでって!」

公平と聡美は掴みかからんばかりだ。自宅で散々同じことをやりあってきたのだろう。お互いが、同じことを言わなくていけないこと、それ自体にもはや怒りを抑えきれないといった様子だ。

「まあまあ、田上さんはまだ来たばっかりで……」

いささか辟易とした感じで、長沼がなだめる。しかし、義郎には大まかな事情は見えてきた気がする。

「そうね。だけど、義郎ちゃんだって怒るわよね。勝手に会社の資産を担保にされたら」

聡美が公平に向けていた身体を義郎に向ける。その声は震えている。

「会社の資産を担保?」

聡美の同意を求める眼差しを避け、長沼に訊く。長沼は首を小さく縦に振る。

「勝手にって、お前の会社じゃないだろ!聡美!俺の会社なんだから、俺の意志で動かしていいじゃないか」

「みんなの会社です!働いている人みんなの!……毎日現場で働いて、お金をいただいて、それが少しずつ積もり積もって……」

「だから駄目なんだよ、女の考え方は!金庫にある現金しか信用できないんじゃ、会社の未来や事業ビジョンはどうなるんだ!だから、安原酒造だって……」

「ウチのことは放っておいてよ!あなただって、兄貴だって、何もしてないんだから!……あなた達がやってきたことは金儲けだけじゃない!会社の未来とか事業ビジョンとか、関係ないでしょ!」

公平と聡美の諍いがぶり返す。二人のスタンス、言い分に交わるところなどなさそうだ。ただ一点義郎が気にかかるのは、会社の資産を担保にしているということだ。しかし、そのことの詳細を聞こうとすると、きっとまた二人の諍いに戻るだけだろう。おそらくこの事態は今日の仕事が終わった頃から始まったもので、その状況を打開すべく、長沼は義郎を呼び出したのに違いない。

「公平。いつ帰って来てたの?」

事態を転換すべく、義郎は話題を転換する。

「昨日。予定外なんだけどな。……で、家に帰ってからずっとこんな調子なんだよ。困ったもんだ」

その言葉に、また聡美が身を乗り出そうとする。その膝を長沼がすかさず、そっと押さえる。

その時、義郎はふと、財務・経理担当の光代が、一週間ほど前から何やら忙しくしていたことを思い出す。「大切な書類を届けなくちゃいけないもんで」と東京に向かったのは4日前だった。これらはすべて、今目の前で繰り広げられている話と深く関わっているのかもしれない。

「考えたら久しぶりだよねえ。ちょっと飲みにでも行こうか」

義郎は、公平を誘い出すことにする。

「いいねえ。久しぶりにじっくり話でもするか」

公平は救われた目で微笑む。義郎と二人きりなら、いかようにでも説得できる、という自信と安心感がその笑顔には含まれていた。

                                        次回は、10月7日(月)予定           柿本洋一

*第一章:親父への旅http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/84e40eba50c5c6bd4d7e26c8e00c71f7

*第二章;とっちゃんの宵山 http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/f5931a90785ef7c8de01d9563c634981

*第三章:石ころと流れ星http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/0949e5f2fad360a047e1d718d65d2795


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