昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第三章:1970~73年 石ころと流れ星  56

2012年03月05日 | 日記

一箸一箸チキンラーメンを口に運ぶ奈緒子の顔を正視できず、僕は食べることに専念する振りをした。そして、彼女が下を向いた時に表情を盗み見た。ショートカットの前髪が汗にはりついていた。麺をすする時、小さな笑窪ができることを発見した。彼女が顔を上げそうになると、顔を丼に向けた。まるで交互に餌をついばむ小鳥のようだと思った。

「あら?!食べてないじゃい?おいしくない?」

スープを飲み干そうと丼を口に運んでいた奈緒子と目が合ってしまう。僕は丼に突っ込んだままだった箸を持ち上げ、「おいしいよ」と急いでチキンラーメンを掻き込んだ。

「私をちらちら見てたでしょ?」

麺を口一杯に入れたまま、手を合わせて“ごちそうさま”と口先で言うと、奈緒子は微笑みながら、その瞬間を待っていたかのように質問攻勢をかけてきた。

「なに考えてたの?」

「………」

「なにか思い出した?」

「…ん、ん、…いや」

「私のこと何か聞いたんでしょ。どんなこと?誰から聞いたの?……ひょっとして、水上さん?それとも……」

「…ちょ、ちょっと待って」

口一杯のチキンラーメンをやっと飲み下し、僕は煙草をずっと口にしていなかったことを思い出す。

「煙草吸っていい?……君、吸うの?」

とポケットに手を入れて思い出した。

喫茶店“白鳥”でも、僕の席にやってきた奈緒子の前で、僕は同じように煙草を探してポケットをまさぐったのだった。

「私は吸わないけど、姉貴が吸うから平気よ。灰皿出すね」

そうだった。あの時も、全く同じことを僕は言い、彼女もほぼ同じ台詞を返してきた。それがきっかけとなって、僕たちはお互いの家族のことや高校生活のこと、さらには将来のことまで話したのだった。赤いベルトが印象的な腕時計を見て、彼女が「あ!」と声を上げた時には、もう2時間近くが過ぎ去っていた。そして去り際に、突然こんなことを言い出した。

「もうすぐ東京に行くんだけど、京都で途中下車したら、会いに来てくれますか?」

「もちろん!」と答えると、

「じゃ、汽車の時間が決まったら、ここのレジにメモを残しておきますね」

そう言い残し、身を翻して帰っていった。

気負いも媚びもなく、思ったことを率直に口にする奈緒子との会話は楽しかった。窓を叩

き、僕と目が合うと手を大きく振って走り去っていく彼女の後姿を見送りながら、僕はしばし、心地よい解放感に浸った。

もっと話をしてみたいと思ったあの春の日には、東京で今、彼女の部屋で二人きりになっていることなど、想像することさえできなかったというのに……。

「これでいい?」

奈緒子が持って来た白い陶器の灰皿の内側には、縁取りに小さなイチゴの絵が描かれている。

「女の子、って感じでしょ。ね。ほら。ここにも、ね」

灰皿を僕の前に置くや自分が飲み干した丼を持ち上げ、僕の目の上にかざす。覗き込むと丼の裏にもイチゴの絵が真ん中にあった。

「イチゴ好きなんや」

そう言いながら奈緒子に顔を向けると、そこには彼女のノースリーブの右腕があった。鼻先が二の腕をかすめる。

「イチゴの絵、他にもいろんなものにあるんだよ」

僕の小さな戸惑いを察したかのように僕の向かいに戻り、奈緒子はからりと笑顔を見せた。卓袱台に両肘を乗せ、両掌で顎を支えながら「さっきの質問、答えてください」と、突然2年後輩の奈緒子に戻る。その眼は真っ直ぐ僕を見つめ、少し笑っているが真剣な色も覗いている。僕も率直に語るべきだろう、とは思うものの、最早質問された内容がほぼ飛んでいる。

「なんやった?いっぱいあった……」

鼻先をかすめた奈緒子の匂いに緊張している自分に気付き、僕は先輩らしいぞんざいな言葉使いにしようと思う。後輩の言葉に戻った彼女にも、緊張が宿っているのかもしれない。

「あ!水上から君の話聞いたことないからね。それ、先に言っとくわ。ほとんど知らへんもん俺、君のこと。お姉さんがいることくらいかなあ、知ってんの。なに気にしてんの?」

「私の過去のこと、いろいろ聞いてるんかなあ、と思って」

「え?君の過去!そんな、まだ過去と言うほど過去がある年ちゃうやん」

「でも、誤解されたくないから……」

「知らへんもんは誤解のしようもないし」

「よかった。……じゃ、さっきの質問、全部取り消し!何か食べるもん探してくるね」

すっと立ち上がり台所の方に向かう奈緒子の後姿を見ながら、僕はしかし、口ほどにもなく、彼女の“過去”なるものがやけに気になり始めていた。

……つづきをお楽しみに~~。    Kakky(柿本)

第一章“親父への旅”を最初から読んでみたい方は、コチラへ。http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/2ea266e04b4c9246727b796390e94b1f

第二章“とっちゃんの宵山” を最初から読んでみたい方は、コチラへ。http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/17da82818105f40507265de9990cfe8a


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