昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第三章:1970~73年 石ころと流れ星  55

2012年02月28日 | 日記

石神井公園駅から穏やかな街並みを抜けて緩やかな坂道を上がると、少し開けた一角に数軒の家がゆったりと並んでいた。その一番手前、平屋が二棟並んでいる間に、奈緒子はスキップをしながら入っていく。僕はしばらく佇み、息を整えた。顔が火照り、背中には汗を掻いていた。

「こっちよ〜」

奈緒子がひょっこり顔を出し、手招きをする。隠れん坊をしている少女のようだ。高鳴る動悸に息苦しささえ覚える。

「は〜い」

道路から少し入っているとはいえ、奈緒子の声に呼応する僕の返事が上ずっていないか気になり、辺りを見回す。まるで空き巣狙いだ。

二棟の間に首を突っ込むようにして見ると、そこは開け放たれた入り口だった。入った所は土間のようになっていて、トイレと思しき扉が右側の建物の中に見えた。

「あ、こっちとこっち、つながってるんや〜。平仮名の“つ”のような家なんや〜」

照れ隠しにキョロキョロしていると、腕まくりをした奈緒子が現れた。

「隣とくっついてるのわかる?母屋はお隣で、ここは離れみたいなもんかな。田舎の家みたいで落ち着くでしょ」

そう言われて振り向くと、道路を挟んで育ち過ぎのトマトやキュウリが見える。ここもきっと農家だったのだ。

「田舎やねえ。豪徳寺と一緒や」

「これでも、私が来てから減ったのよ、畑」

と言って、眩しそうに僕の後方を見やると、さっと消えた。

「上がって待ってて〜」

呼ばれて中に入ると、土の匂いがした。ひんやりとした空気が辺りを覆っている。田舎の農家で何度も味わった空気と匂いだ。背中の汗や顔の火照りも次第に落ち着いていくだろう。

「上がって。後、ほんのちょっと待っててね」

一枚の大きな石の上に、赤と黄色のサンダルが並んでいる。女の子二人の暮らしが見えるようだ。

「ここに脱いでね、靴。この石が、一応玄関なの。‥‥足、洗いたい?」

言われて、スニーカーの中も汗だくだったことを思い出す。

「洗いたいけど、何処で洗うたらええの?」

奈緒子の方を見ると、その手にはもうブリキのバケツがある。

「江戸時代の旅籠みたいでしょ?木の桶だといいんだけどね」

上がり框に腰掛け足を洗うと、手拭いが差し出された。広げると、“福山商店”と書かれている。奈緒子の実家は、商店なのだろうか。となると、奈緒子の動作の機敏さと気の利き方にも納得がいく。小学生の頃から家業の手伝いをしていたのだろう。

「きれいになった思うんやけどなあ。どやろか」

手拭いで足をしごくように拭き、片足の裏を奈緒子の方に向ける。

「きれい、きれい」

と一瞬振り向き、まな板で何かを刻んでいる。

上がった小さな板の間の向こうにある襖を指差し、そのままの姿勢で奈緒子の包丁の音が止まるのを待つ。

「向こうが、あの窓がある部屋?」

こちらを向いた奈緒子の手には、今度は皿が一枚。上にはどうも、蒲鉾が乗っているようだ。

「田舎の蒲鉾。送ってくれたの。あと、チキンラーメン。……足りるかなあ」

僕の質問には答えず、皿を持って上がってくる。急いで脱ぎ捨てたサンダルの片方が土間に横向きに立っている。

「いらっしゃいませ~~」

襖を開けた奈緒子が振り向く。光が一気に広がる。窓の向こうは、遠く広がる葡萄棚。そのさらに向こうに見える横長の屋根は、きっと石神井公園駅のホームなのだろう。

「ええ景色やねえ。明るいし」

窓に近寄り、眩しく遠くを見つめる。こんなに遠くを見たのは、吉田山から嵐山の花火大会を見た時以来だと思った。しかし、闇の中にポッと灯る花火と、遠くまでひたすら明るく広がる田園風景とは、大きく違う。しかもここには、奈緒子がいる。

「さあ、3分よ~~。そこの時計見て教えてね~~」

壁には鳩時計があり、その下には目覚まし時計もある。

「OK!」

と薬缶を片付けに向かう奈緒子の背中に声を掛け、そのまま部屋をぐるりと見回す。一間の押入れと二つのファンシーケース。三段の箪笥が背中合わせにされて部屋の真ん中にある。二人のささやかなプライベート空間を作る工夫だろう。

「8畳くらいあるの?広くてええなあ」

興味本位の目線を見られないよう、鳩時計に近寄っていくと、

「もういいんじゃない?」と、奈緒子は横に並んできた。顔が近い。しかし、京子が中華料理屋裏のアパートを訪ねてきた時のような女の匂いはしない。安堵とうれしさがこみ上げてくる。肩を抱きたい衝動に駆られたが、押し留めた。

「食べよ!腹ペコや~~」

箪笥の端に置かれた卓袱台に向かい合わせに座り、僕は大仰に「いただきま~~す」と言って、箸を取った。頭から京都弁が抜け落ちていくような気がした。

……つづきをお楽しみに~~。    Kakky(柿本)

第一章親父への旅を最初から読んでみたい方は、コチラへ。

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第二章とっちゃんの宵山を最初から読んでみたい方は、コチラへ。

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第三章石ころと流れ星を最初から読んでみたい方は、コチラへ。

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