昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―⑦

2017年01月24日 | 日記

5月4日。翌日が休刊日とあって、夕刊配達が終わった後の販売所はのどかな空気に満たされていた。おっちゃんは軽口を叩き、いつもはそ知らぬ顔をしている大沢さんも、軽口の一つひとつに反応していた。上機嫌だった。

カズさんが帰ってきて全員が揃うと、おばちゃんの「さ、早う食べや~~」という声が奥から聞こえてくる。

「これや、これ~~!」

とっちゃんがいち早く立ち上がり、階段下に腰掛ける三人を押しのけるようにして、販売所夫婦の住まいの上がり框に向かう。

障子が開く。正座したおばちゃんの両手が大きなお盆を前に押し出す。お盆からは、ゆらゆらと湯気が立ち上っている。

「一つやで!とっちゃん」

カズさんがすかさずとっちゃんに声を掛ける。が、返事はない。

「チキンラーメンやで」

おっちゃんの声に、即座にとっちゃんが丼の上の割り箸に手を延ばす。大沢さんと桑原君が笑みを浮かべながら続く。カズさんに背中を叩かれ、僕も続く。

「まだやで~~。待ってるんやで~~」

カズさんの注意をとっちゃんは聞く素振りも見せない。もう麺をすすり上げている。

「きったない食べ方やなあ」

カズさんの声に抗うように、とっちゃんのすすり上げる音が大きくなる。

「みんな、食べよ。とっちゃんに取られたらあかんしな」

カズさんが割り箸を割る。僕たち3人も丼を手に取る。

それからひとしきり、チキンラーメンをすすり上げる音が販売所を満たす。喉からお腹へと下っていく温かいおいしさに、お金を得ることだけではない労働の喜びを感じる。

食べ終わると、初めて大沢さんが声を掛けてきた。

「ちょっと二階に寄って行かへん?」

言われてみると、二階にはまだ一度も足を踏み入れていない。一緒にチキンラーメンを食べた親近感が、一気に大沢さんと僕の距離を縮めたようだ。

「お邪魔していいんですか?」

翌日が休刊日の気楽さが、僕の好奇心の頭をもたげさせている。司法浪人の暮らしぶりを垣間見てみたい。

「僕の部屋も覗いてみる?」

桑原君も、声を掛けてくる。

「いいの?」

と答える自分の声が弾んでいるのがわかる。

「もう~~。止めとき!」

おっちゃんの声に驚き振り向くと、カウンターから身を乗り出している。その目の先を追うと、麺とスープが残ってはいないかと、丼を一つひとつ念入りにチェックするとっちゃんの姿があった。

下から三段目でとっちゃんにいつも遮られている階段を、大沢さんの後ろから上がっていく。桑原君が僕の後についてくる。

「とっちゃんはええんやで!」

おっちゃんが、付いてこようとするとっちゃんを押しとどめる

階段を上がると、廊下が前に真っ直ぐ長い。なかなか奥が深い。廊下は突き当たりで左右に延びているらしい。T字路のようだ。前を行く大沢さんが上がったところで立ち止まり、左右を順に指差す。

「こっちが僕の部屋で、こっちが‥‥」

「僕の部屋やねん」

大沢さんの言葉の続きを桑原君が受け継ぐ。

廊下を進むと左右にさらに一部屋ずつあるようだ。突き当たり正面、ガラス戸の向こうは、生い茂る緑。裏庭の広さを感じさせる。

「どうぞ」

大沢さんの身体がふと右に消える。急いで付いていく。曲がった先はすぐに行き止まり。大沢さんの部屋の入り口がある。入り口は襖一枚のドア。開けられた部屋は南に向いて明るい。

「ほら、正面が植物園や」

開かれた障子の窓は広く、向こうには植物園の緑が夕日を浴びている。たっぷり6畳はあるだろうか。

「この押入れの向こうが桑原君の部屋なんやけどな、穴開いててな、覗くと桑原君の押入れの中が見えるんやで」

部屋に入って右手の押入れを少し開け、大沢さんは微笑む。穏やかで寡黙、自らを語ることのほとんどなかった大沢さんの明るさが意外だ。

「君、タバコ吸うんやったなあ」

大沢さんが、部屋の左の壁に置かれた大きな本棚の上を探る。入ってそのまま佇んでいた僕は部屋をぐるりと見渡す。

人の匂いが希薄だと思った。本棚がでんと構えている以外は、左奥に座机と座椅子があるだけ。座机の上には六法全書と蛍光灯スタンド。ノートや筆記具は見当たらない。窓障子の戸袋の陰になっているせいか、そこだけがどんよりと暗い。

「ごめんな。灰皿見つからへんわ」

大沢さんの申し訳なさそうな言葉に「いいです、いいです」と応えながら、僕は、座机の一隅が気になってならない。夢の実現に備える場所にしてはエネルギーを感じない。

「まあ座ってよ」

大沢さんは座机の前の座布団を僕に勧めると、自ら先に座机の前、畳の上に腰を下ろす。僕のための座布団との距離が近い。

「失礼します」

座布団を少し引き離す。座ると、冷たい湿気を含んでいる。

「栗塚君、出身は何処だったかな?」

言葉付きは柔和だが、まるで面接のように会話は始まる。僕の出身地は知っているはずだが……。

「島根県です」

「あ、そやったねえ。で、昭和24年生まれ‥‥」

「そうです」

それだって知っているはずなのだが‥‥。大沢さんの左後ろの六法全書のせいか、弁護士が行う身元確認のようでもある。

「そうや、そうや。そやったわ。僕は‥‥」

「愛媛県ですよね。昭和‥‥」

横を向いた大沢さんの左手が引き出しの中をまさぐり続けているのが気になり、大沢さんの生年が咄嗟には出てこない。

「18年。‥‥戦中派いうことになるんやろか‥‥あった!」

大沢さんはくるりと僕に向き、左手にしたモノクロ写真の束を畳に置いた。上の一枚は古く、セピア色になっている。いきなり過去の写真を見せられるのだとすれば、少し抵抗感がある。

が、大沢さんの説明は始まってしまう。

一枚目。

「お宮参りの時の写真なんやけど、ほれ、これが姉貴」

大沢さんが笑みを浮かべながら指差す家族全員の和服が上質なものであることは、モノクロ写真からでもなんとなく想像が付く。なかなかのご家庭だったらしい。

二枚目。

「終戦後なんや、これ。21年か22年やと思うわ。“今撮っとかんとあかん”て親父が言うて、撮ったたらしいんやけど……」

そう言う写真の大沢さん家族に笑顔はない。しかし、両親の着物姿は変わらず上品で、お姉さんと手をつなぐ大沢さんの半ズボンと革靴には、戦時下にあっても豊かな暮らしを続けることができていたゆとりが感じられる。

大沢さんの父親はどんな職業だったのだろう?実家は愛媛県の何処?空襲は免れたのだろうか?大沢さん家族の戦後の暮らしは?大沢さんが新聞販売所への住み込みをすることになったのは何故?‥‥‥‥。次々と疑問が浮かんでくる。

しかし、質問をする間もなく、次々と写真はめくられていく。小学生へ、中学生へ、そして高校生へと成長していく大沢さんと、その背景の変遷を眺めながら説明を聞く。大沢さんのこれまでに興味はあるが、好奇心が湧き立つほどではない。むしろ、大沢さんが中学生になった頃から父親の姿が見当たらなくなったことのほうが気になってならない。

「引越し多かったんですねえ」

大沢さん家族の背景の移り変わりは、一家の度重なる引越しを示しており、それはとりもなおさず、父親の環境が激しく変化していったことを表している、はずだ。

「田舎やろう、愛媛。海も山もあるのはええんやけどなあ」

「島根もそうですけど、日本海と瀬戸内海では違いま‥‥」

「この写真、どう?」

僕の言葉をさえぎり、引き出しからもう一枚、モノクロ写真を取り出す。田舎の畦道に佇む少年の写真だが、大沢さんではなさそうだ。

「普通の人と違うやろう?」

確かに利発そうには見えるが、特別な印象はない。

「そう言えばどこか‥‥」

言葉を濁し、もう一度写真を凝視する。しかしやはり、これと言った特徴は見出せない。

「この人はやねえ‥‥」

大沢さんの顔が近づいてきた、その時を見計らったかのように、部屋の外から声がかかった。

「栗塚君~~」

桑原君だった。絶妙なタイミングだった。不可思議な領域へと連れ込まれていく感覚に、少しばかりの怯えと警戒心が生まれ始めていた時だった。

「桑原君やな」

大沢さんの顔がつと離れ、モノクロ写真の束が素早く引き出しに押し込まれる。

「紅茶できたんで‥‥」

細く開けたドアから、桑原君の鼻先が覗く。

「あ、今行く。‥‥大沢さん、ごめんなさい。また寄せてもらいます」

そそくさと立ち上がる。

ドアを開くと、桑原君の真顔が待ち受けていた。

                   Kakky(柿本洋一)

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